2-2 まるで虹の中にいるみたい
振り返った近衛兵は訝しげに眉を寄せます。
「はい、ですからこちらに」
セレスタン様はさらに何か言いかけたようでしたが、ぐしゃっと頭をかいてからまたひとつ息を吐きました。私には一体なにが起きていて、何がセレスタン様を困らせているのかさっぱりわかりません。
用意されていた小さな馬車に揺られること……どれくらいかしら。手入れの行き届いた庭や荘厳な噴水に見惚れているとあっという間でした。でも馬車を降りて振り返ればお城がなんだか小さくて、ずいぶん離れたところに来たのだとわかります。
お城の敷地内だというのに足元を小川が絹糸の束のようにさらさらと流れて、周囲には馴染み深い様式の建物や畑がいくつもありました。馴染み深いというのは、つい数日前まで住んでいた家と似たような、という意味です。いえ、我が家より広くて綺麗ですけれど。
近衛兵は建物のうちのひとつを指して、ここが私の生活する家屋だと言いました。
「私の家っ?」
「これは一体どういうことだ!」
セレスタン様が怒気をにじませながら近衛兵に何か言っていますが、私の意識はもうこの建物に向いています。だってここが私の家ですって! なんて素敵なのかしら!
ドアを開けて中へ入ると我が家より広くて綺麗なキッチンとダイニング。調度品は飾り気こそありませんが、どれもこれも高価なものであることは一目瞭然です。こんなお家を使わせていただけるなんて……!
二階へと上がる私の後ろをセレスタン様がついて来ました。近衛兵さんとのお話は終わったみたいですね。
「申し訳ない。あー、その、聖女に関するそもそもの認識が誤っているのだと思う。侍女もつけずこんな場所に押し込むとは、そうとしか考えられない」
「そうなのですか? 私も聖女というものがよくわからなくて――」
カラカラと車輪の回る音に気付いて口を閉じ、二階の部屋の窓のカーテンを開けました。恐らく馬車がお城へと戻る音だと思うのだけど、荷物はどこに置いてくださったのか確認しようと思って。
けれどカーテンを開けた瞬間、考えていたことなんてすべて忘れてしまいました。
「これ……っ! 大聖樹!」
驚くほど大きな木が限界を知らぬかのように広く広く枝を広げ、眩く輝いています。樹木そのものは真っ白な大理石に光が当たったように淡く発光していて。その周りを虹色に輝く何かが無数に飛んでいるのです。小さな光の粒が寄り集まって蝶のようにも小鳥のようにも見えるそれはきっと精霊で。
私の見つめる先で、虹色の輝きが複数集まってヒトの形をとりました。その姿は私が普段「幽霊」だと認識しているものによく似ています。ああ、なんて素敵な光景かしら。見ているだけで、なんというか……善良な人間になれると勘違いしてしまいそうになるわ。こういうのを心が洗われると言うのかしら。
「いつ見ても圧倒される眺めだ」
横に立ったセレスタン様も大聖樹を見上げて目を細めていました。
「そうですね。まるで虹の中にいるみたい」
「虹……? そうか、聖女にはそう見えるんだな」
満足そうに微笑んだのも束の間、セレスタン様は何か思い出したようにこちらへ向き直ります。
「とにかく、だ。早急に部屋を替え、侍女をつけるよう掛け合っておく」
「え、でも」
「護衛も必要だろうが、それは我々聖騎士が責任をもって務めるから安心してくれ」
「私、ここで満足です。こんなに素晴らしい眺めの中で暮らせるなんて、感謝しかありません」
一瞬だけ目を丸くしたものの、彼はくくっと笑って頷きました。
「ああ、君はそういう人だったな」
どういう人でしょう? よくわかりませんが、セレスタン様も納得した様子ですからこれでよかったのでしょう。
それから私は移動方法などこの場所についての説明や、食事や生活用水の手配についての話を聞かせてもらいました。なんでもここは古の聖女が造った農地で、この家を含む小さな家々は農夫が住むものなんだとか。一応、清掃や調度品の入れ替えなどはしてあるようだけど、とセレスタン様が眉を寄せて言います。
階下で人の気配がしたので降りてみると、セレスタン様と似たような服を着た男性がいました。
「ジゼル様をお迎えに上がりました」
「もうそんな時間か」
「何があるんです?」
「いっぺんに言うと混乱するだろうから都度説明するつもりだったんだが……」
そう言って私の手を取り、家を出ます。
彼が指し示したのは川を挟んで北側。お城と比べればとっても小さいけれど、故郷の教会の数倍はありそうな立派なお屋敷がありました。
「あれは」
「歴代の聖女のために用意された離宮だ。このあと当代の聖女様との顔合わせがある」
「ヒェェ……」
実は王族にお会いするより聖女様にお会いするほうが緊張するのです。きっと、王族は雲の上の人というか私とは無関係な世界の人だけど、聖女様は私の先生になるからでしょう。自分が聖女だという話も未だに信じられないのに、今後は聖女の仕事を引き継いでいかないといけないんですから。
ちょっと前までただのパン屋だったのに……!
「では、行こうか」
セレスタン様の部下と思しき聖騎士さまが門の前の荷物を屋内に運び入れてくれました。それを確認するなり、セレスタン様は私に手を差し出します。ううう。いざ、ご対面です!




