3-62 震える声と歓声と
拾い上げた杖を立ったまま高く掲げます。
「精霊よ」
自分の声とは思えないほど低い声でした。ぴたりと動きを止めた精霊たちは、まるでこちらの様子を窺っているかのよう。
「私が誰かわかるでしょう?」
その問いかけに、精霊たちは声を揃えて『ヌーラ』と前世の名を呼びました。
ヌーラは始まりの聖人で、タルカラで生涯を終えた人。死後も伝説となってタルカラの民に語り継がれた人。
この地において、ヌーラを知らない人はいないし、それはつまりヌーラを知らない精霊も存在しないということです。
『ヌーラ』
『ヌーラ、ナツカシイ』
『アコガレ』
『ダイスキ、ヌーラ』
一声呼びかけただけで精霊たちはその数を増やし、輝きを増していきます。
私の持つ杖も再び光り始めました。
「私はこの地に争いが起こることを望まない」
『ソウダネ』
「私は民の心が本人の意思に反して捻じ曲げられることを許さない」
『ソウダネ。ダカラ』
――命じて。あなたにはその力がある。
精霊たちの声がハッキリと聞こえます。
そうです。いま彼らに言われてやっと思い出せました。私は命じることができるのです。精霊の力を借りるのではなく、使わせることが。それが、大精霊がヌーラに与えた特別な力でした。
「ジゼル・チオリエの名において命じます。愛しい子らを鎮めよ、治癒せよ、解呪せよ」
言い終えるや否や杖が強く光を放って、辺り一面が真っ白になりました。
いっぺんにたくさんのマナを吸い上げられたせいか、眩暈を感じます。びっくりするほど何も見えない真っ白な世界の中で、私は「真っ直ぐ」がわからなくなってしまいました。天と地がどちらにあるのかがわからないのです。
杖で身体を支えるつもりが、杖は空を切るばかりで地面に届かず。もしかして倒れるんじゃないかと思い至ったとき、私の身体は温かなものに包まれたのです。
この優しい感触と香りはセレスタン様が抱きしめてくれているに違いありません。
「なんだ? 何も見えねぇ。くそ、何が起きた? 兄上、無事か?」
「ああ。私もビビアナも問題ない。次の襲撃に備えてくれ!」
白い世界の中でそんなやり取りが微かに聞こえたけれど、光の奔流はそう長くは続きませんでした。
少しずつ色を取り戻した視界の中で、誰もが呆けたように立ち竦んでいます。
キョロキョロしたり、あるいは手を閉じたり開いたりして、自分の目が見えていることを確かめる人々。
その中でセレスタン様だけが私を強く抱きしめました。
「また無茶なことを……」
「あの、私、大丈夫です。元気です、だから」
「話は後だ。君が無事ならそれでいい。先に事態を収拾し――」
彼の震える言葉は人々の歓声によって掻き消されてしまいました。先ほどまでの殺伐とした様子など微塵もなく、ただただ大喜びで「聖女さま」と叫ぶ人ばかりです。
イドリース殿下は呆然としつつも、オルハン殿下やビビアナ殿下の無事を確認してからこちらへやって来ました。
「今、何が起きた?」
「ナウファル殿下の魔術を解呪しました」
「は? ここにいる全員をかっ?」
「もう操られている人はいないと思います。逃げたナウファル殿下を追ってください」
「いやいやいや、え?」
イドリース殿下が目を白黒させる横で、ハラーク公爵が神殿騎士を集めて状態を確認し始めました。セレスタン様も私を支えたまま口頭で聖騎士たちに指示し、民の様子を確認させています。
「いやいや、なんで公爵もセレスタンもそんなサラっと受け入れてんだよ! 異常だろ、さすがに!」
「落ち着いてください、殿下。森に限定して二晩も雨を降らせ続ける聖女を、我々のような凡人の物差しで測ってはいけませんな」
「そりゃそうだけど――」
「うぉー! いってぇー! ……たくねぇな? 痛くねぇぞ、なんだこれ!」
ブノワさんがガバっと起き上がって、制服のシャツを捲り上げようとしました。が、駆け寄って来たヨアンさんが勢いに任せてブノワさんを殴り飛ばします。
それはもうすんごい音がしましたけど、大丈夫かな。
「黙れ、痛いふりしろ」
「いってぇー! 普通に痛いんだけど!」
「ほら、医務室行くぞ」
「えぇ? 俺ジゼル様をお守りしないと――あああああああ」
ヨアンさんが襟首を掴んでブノワさんを引きずり、神殿内へと入っていきます。
そんな彼らの脇を誰かが走り抜け、私の目の前へ。ガシッと両肩を掴まれ、強く揺さぶられましたがセレスタン様が支えてくれているので大丈夫。
セレスタン様は私が自分の足で立てることを確認すると、自らも事態の収拾のため階段を降りていきました。
「ジゼル様、ご無事ですか!」
「ベアトリスさん、それは私のセリフです! 神殿騎士に盾突くなんて」
ベアトリスさんは私の背中に両手をまわし、ギュッと抱き締めてくれます。よかったって言いながら。
「アタシはジゼル様に命を救われたので、ジゼル様のためなら命なんて惜しくありません」
「えぇっ? 惜しんでください。命大事に!」
「いいえ。ジゼル様が助けてくれたのは命だけじゃありません。おばあ様に嫌われていると思い込んでいた幼いアタシの心も救われたんですから、あなたに助けが必要なときにはなんだってします」
「んもー」
その後、暴れていた人たちがすっかり正気を取り戻したことが確認でき、広場は次第に落ち着きを取り戻していきました。
聖騎士や神殿騎士たちはそれぞれ本来の配置に戻って、食堂に立てこもっていたという貴族たちも各々ステージ上の席へとついて。
それとは逆に、オルハン殿下やビビアナ殿下は一度神殿内に戻って休憩したほうがいいという話になりました。私も一緒に下がってお水をいただきたいです。
グテーナのときのように倒れてふた晩も眠ってしまうということはないですが、さすがにちょっとしんどい。やりすぎたかな、なんて乾いた笑いが出るくらいには息もあがっています。
きっと、聖女様ーって声援がなかったらこの場でうずくまっていたことでしょう。
それぞれに護衛を編成し直してさぁ神殿の中へ向かおうか、となったそのとき。親衛隊によって新たな報告がもたらされたのです。
ナウファル殿下を捕縛した、と。




