1-1 聖女様をおさがしですか
1-9話目までは短編版とほぼ同じ内容です。
帰宅するとまず、私室の扉という扉、引き出しという引き出し、蓋という蓋のすべてを開けるのが日課。ベッド下の箱よし、クローゼットよし、鏡の私……よしじゃないけど。と、ひとつずつ確認していくのです。
頭頂でお団子にした艶のない栗毛はほつれてるし、自慢だった翠の目も今は曇って見える。それもこれも全部……いえ、言っても仕方ないですね。
「今日は何もなくなってないといいのだけど」
普通の歩幅で五歩もあれば壁から壁にたどり着いてしまう小さな部屋です。棚もひとつしかないし確認自体はすぐに終わるのですけど。と、机の引き出しを開けてゾッとしました。あるべきものがない。
机の横では亡き父によく似た幽霊が困り果てた顔で腕を組んでいます。そう、幽霊。と言ってもそんなものは見慣れてしまったし、今はそれどころじゃないのです。
「ソニア! ねぇ私の机にあったお金知らないっ?」
狭くて急な階段を駆け下りると、キッチン兼ダイニングのテーブルでお茶を飲む双子の妹ソニアが「んー」と曖昧な返事をしました。
丁寧にブラシのいれられた金色の髪をかきあげて、教会のステンドグラスみたいな青の瞳を細めながら口を開きます。
「今日は司教様が教会にいらっしゃるって言うから」
「まさか献金したのっ? あれはブーツを新調するために貯めてるって言ったよね?」
いつ壊れてもおかしくないくらいベコベコになって、靴底も外れかけている靴をだましだまし履きながら三ヶ月。やっともうすぐ買い換えられると思ってたのに、ソニアは教会へ差し出しちゃったそうです。
「でもそのお金で助かる人がたくさんいるんだよー?」
「そのお金がなくて困る姉と、無理言って格安で修理させられる靴屋の事情は無視ってこと?」
「壊れるような靴さえない子がいるってこと! ねぇ、それよりお腹すいちゃった。今日ね、ボランティアで教会の草むしりやっててー」
溜め息をどうにか呑み込んで、勤務先のパン屋からもらってきた廃棄予定のパンをテーブルへ置きました。
妹のソニアは容姿だけでなく心も美しく、毎日ボランティアに精を出し、困った人がいればなんとしても手助けをする……と評判です。ソニアこそ「聖女」に違いないと。
ただその手助けのしわ寄せが姉である私ジゼルに及んでいることは、世間はもちろん本人さえ気付いていないのが困ったところで。
「あら、昨日作っておいたスープは?」
「それも教会に持ってったー」
「えっ! じゃあ今日もパンしかないじゃない」
「これも世のため人のためー。パン余ったら明日持って行っていい?」
「駄目って言っても持ってくくせに」
実際、外を歩いているときによそ様から「妹に助けられた」と感謝を伝えられることも少なくありません。そんな善行をやめろと言うわけにもいかず、発散できないモヤモヤが溜まっていくばかりです。
そんな平凡なようで平凡でないある雨の日のこと。私の働くパン屋のカフェスペースに見慣れない男性がひとり、ふらっとやって来ました。
王都からそう遠くない街ですが、交通の要所というわけでもないので滅多に外部の人は来ません。なのでよそ者はただでさえ目立つのですが、加えて見目麗しい彼はかなり人の目を集めているようです。
だって外からもチラチラ覗こうとする女性がいるし、パン屋の女将さんも仕事の合間に「イイ男だねぇ!」と耳打ちするほどですから。筋肉自慢の旦那さんも素敵だと思いますけどね。
……確かに陶器のような肌に青みを帯びた銀の髪はツヤツヤで、それでいて服の上からもわかる実用的な筋肉。まるで教会にある聖人様の彫刻みたいで現実味がありません。ぼんやり窓の外を眺める姿もまた様になっています。
「お待たせしました。コーヒーとクロワッサンですねー」
注文の品を運ぶと、彼は窓から目を離して顔をあげました。すみれ色の瞳が柔らかく細められ形のいい唇が「ありがとう」と動きます。ついで、彼は窓の外を指しました。
「見て、雨がやんで虹が出てる」
「あっ、ほんとだ! ぬかるみにげんなりしてたけど、こんなご褒美があるなら雨も悪くないですね」
男性はククっと笑ってコーヒーを一口。指の先まで洗練された動きにうっとりしてしまいます。これでは女将さんのこと笑えませんね。
「貴女はこの街の人間だろう。聖女がここにいるという噂については?」
「ああ……。聖女に会いにいらしたんですか?」
ソニアの噂は街の外にも広がっていて、たまにこうして聖女を探しにやって来る人がいます。それは崇拝対象として会いたいのか、興味本位なのか、それとも救いを求めてなのかはわからないけれど。
探るような視線を投げてしまったからでしょうか。男性は背筋を伸ばし、懐から取り出した紙を開きながら声をひそめて言いました。
「本物であれば国が保護することとなっているのは知っているだろう?」
「あ、なるほど……」
なんと書いてあるかまでは見えなかったけど、彼の手にある紙には王家の紋章がありました。
恐らくソニアを迎えに来たということなのでしょう。平民風の服なのにその仕立てが素晴らしいのは、身分を隠すつもりはないけど悪目立ちもしたくない、といったところかしら?
我が国の聖女は精霊と話ができるのだそうです。それによって天災などの大きな出来事を予言したり、または精霊に権能の行使をお願いしたりするのだとか。権能の行使というのはたとえば雨乞いなどがそれにあたりますね。その代わり王都にある大聖樹に祈りを捧げなければならない。
聖女がいないと国が亡ぶというわけでもないでしょうけど、国民の心の拠り所になっているのは確かと言えます。
「新たな聖女が我が国の北東部、つまりこの街を含む北はヤエル山地、東はゼハン港の辺りまでだな。そのどこかで誕生したとのお告げがあったのが十七年前。当代の聖女の力は次第に弱まっていて、次代の聖女の保護が急務でな。何か知っているなら情報がほしい」
「きっと、おそらく、いえ絶対教会にいます。誰もが認める聖女が! どうぞよろしくお願いします!」
ぶんっと勢いよく頭を下げると、彼は呆気にとられた様子を見せました。でもすぐ雲間から太陽が顔を出すみたいに笑顔が広がっていきます。
「そうか。ではあとで行ってみよう。感謝する」
話し方には生まれながらの上位者といった空気が滲んでいます。さすが、聖女を保護する任務に就くだけあるというか……聖女に失礼がないようそれなりの立場の人を寄越しているのでしょう。そのうえこんな人を疑うことも知らないような表情はまさに聖人様という感じ。もしかして聖人様の生まれ変わりでは?
私は男性にお辞儀をしてカフェスペースから店頭のカウンターへと戻りました。
妹が聖女として王都へ行くことになったら、と思うとつい頬が緩んでしまうのです。だって、廃棄予定のパンで命を繋ぎ、無理に繕った古い服を着て、紛失したものがないか確認する毎日とサヨナラができるってことですからね!
それに何より、あの子が国に保護されるというなら私はもうあの子を守って生きる必要がないということ。大体、働きもしないで毎日ボランティアボランティアって……。
鼻歌をうたいながらパンを並べ、態度の悪い常連のおじいちゃんに笑顔で対応しながら、教会へ向かうと思われるイケメンさんを見送ります。今日は廃棄パンだけじゃなくて従業員割引でちょっと豪華なパンも買おうかしら!
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