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翌日、仕事の帰りに、僕は花を買った。道端で売っていたひまわりが彼女によく似合うと思ったからだ。
朝、彼女の顔を見ると、笑ってしまいそうになって困った。彼女は何も知らないから、不思議そうに首を傾げているばかりだった。
ローマ旅行の出発の日が近づいている。帰ったら、楽しい話をしよう。彼女と一緒に古都のどこを回るか、のんびりと打ち合わせをしよう。
「メアリは人殺し」
僕は足を止めた。耳元で声がしたのだ。
「何だって?」
周りには誰もいない。幻聴だろうか。不愉快な言葉だった。僕はまた歩き始めた。心持ち、早足になった。
「メアリはすべた。学校の男全員に体を許した。農場に男を連れ込んで、牛の前でいやらしいことをした」
「ふざけるな!」
僕は怒鳴った。
「そこにいるのは誰だ! 僕の妻を侮辱するな!」
近くにいたのは、通りがかりの老女や子どもばかりだった。みんな知らない人間だ。大声を上げた僕のことをぽかんと見ていた。
僕は怒りを抑えて聞いた。
「誰か今__僕の妻、メアリのことを悪く言わなかったか?」
誰もが首を振った。僕にも分かっていた。今、聞こえたおぞましい言葉は、若い女の声だった。
しかも、メアリの声によく似ていた。彼女はここにはいないのに。
畢竟それは幻聴なのだ。僕は自分にそう言い聞かせ、また歩き出した。
「メアリは親不孝。父親の商売の邪魔をして、母親を殴った。家では彼女は暴君。誰もメアリに逆らえなかった。誰もがメアリのためにお金を稼いだけれど、彼女からはねぎらいの言葉もなかった」
僕は両手で耳を塞いだ。買ったばかりのひまわりが地面に落ちたが、拾い上げはしなかった。
「メアリはいじめっ子。学校の友達を何人も、退学に追いやった。父親の銃で自殺した子もいた」
「嘘だ!」
僕は叫んだ。声は、僕の言葉には決して応えない。メアリは。メアリは。そう言い募るだけだった。
それは、僕が我が家に帰るまで絶えることなく続いた。
メアリがいる時、その声はしない。僕が一人になると、必ずそっと近づいてきて、メアリの噂を吹き込んだ。ならば、メアリとずっと一緒にいればいい。
だが、そのうち僕は、夜は友人達と飲んで歩くようになった。一人になるのが恐ろしい。だが、それと同じくらい、メアリと二人きりになるのが嫌だと思い始めていた。
得体の知れない声が吹き込む噂とメアリを重ねるなど、あり得ないことのはずだった。だが、メアリを見るたびに、僕はあの声を思い出した。メアリの目に、友人を追い詰める傲慢な少女の影を見出した。メアリが僕にくっつく時、その慣れた動きに嫌悪を覚えた。
メアリは、僕の態度の変化にいつ頃から気づいていたのだろう。きっと彼女は、一人で苦しんでいたはずだ。それでも、あの時まで彼女は耐えていた。