エピローグ 氷の剣聖の夢
アルフレッド視点のお話。
母上の起こした事件から数週間。
僕は今、ルーナリアの宮に滞在している。
皇妃アデルが廃されることが決まり、皇妃の息子である僕も元の居場所を失ったという事情もあるが、僕自身の処遇がまだ正式に定まっていないことも理由の一つだった。そんな中、ルーナリアが「私のもとで預かりたい」と皇帝陛下に願い出てくれ、皇帝陛下はそれを受け入れたらしい。
最悪の場合、地下牢にでも入れられるのではないかと本気で覚悟していた僕に与えられたのは、彼女の宮の中にある、静かで広く、驚くほど整えられた一室だった。
ルーナリアと出会ってから、僕の人生は大きく変わった。
父である陛下にはほとんど顧みられず、母上には「出来損ない」と呼ばれ、皇子でありながら従兄弟の公子には嘲られ、周囲からは「影の皇子」と陰で囁かれる。
いつしか僕は、何も期待しなくなっていたのだと思う。
剣だけは好きだった。
だから、剣さえあればいい――そう思い込むことで、なんとか自分を保っていた。
それなのに、ルーナリアはそんな僕にも当たり前のように微笑みかけ、騎士になりたいという夢を真っ直ぐに応援してくれた。
母上に、いつものように八つ当たりで鞭を打たれていたあの日も、彼女は迷いなく僕を助け出し、圧倒的な魔法でその場から連れ出してくれた。
二人で向かった、スノーグレイスの氷山。
あの場所に足を踏み入れた瞬間、胸の奥に、説明できない懐かしさと、押し潰されるような苦しさが同時に湧き上がった。
理由も分からないまま歩き続け、そして僕は、あの剣を見つけた。
剣を見つめた瞬間、懐かしさも苦しさもさらに強くなり、息が詰まりそうになった。
そんな僕に、ルーナリアは言った。
「アル兄様……あれは、きっとアル兄様を待っていたんじゃないかって思うんです」
その言葉を聞いた時、なぜか「抜かなければならない」と自然に思った。
そして柄に手をかけようとした瞬間――
「……一人にしない?」
気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。
なぜあんなことを言ったのか、自分でも分からない。ただ、その言葉を口にした途端、胸の奥の苦しみが一気に増した気がした。
それでも――
「もちろん。一人にしないわ」
ルーナリアがそう言ってくれた時、不思議なことに、その苦しみは少しだけ和らいだ。
そして僕は、どこか懐かしさを感じるその剣を、静かに手に取ったのだった。
それからしばらくの間、僕は時折、同じ夢を見るようになった。
ひどく懐かしく、ひどく苦しく、そしてどうしようもなく孤独で、寂しい夢。
夢の中で、僕は――騎士だった。
その騎士は、氷の神から特別な加護を授かり、人を超えた力を持っていた。
彼はその力を、兄である国王のために、そして国の民のために使いたいと、心の底から願っていた。
騎士は妾腹の子として生まれ、王宮では常に距離を置かれ、家族からも疎まれていた。
誰からも必要とされず、いつも一人だった。
それでも彼は、家族を愛していた。
愛されたことがなくても、想いが返ってくることがなくても、
彼はただ静かに、兄を、家族を、そして国の民を愛し続けた。
だが、彼が力を尽くせば尽くすほど、周囲との距離は広がり、孤独は深くなっていった。
――いつか、きっと。
いつか家族が、自分の方を見てくれるかもしれない。
いつか国の民が、自分の存在を認めてくれるかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながら、彼は剣を振るい続けた。
しかし、その日は、最後まで訪れなかった。
やがて彼は、愛していた兄――国王の手によって討たれることになる。
その場所は、まだ氷に覆われていなかった頃の、スノーグレイスの山だった。
剣を握ったまま倒れゆく騎士の体から、氷の神の加護が静かに剥がれ落ち、
残された力が暴走するように周囲へと広がっていく。
その瞬間、山は一夜にして氷に閉ざされ、後に「氷山」と呼ばれる姿へと変わった。
騎士は、死の間際まで誰も恨まなかった。
自分を討った兄を、
自分を遠ざけた家族を、
そして自分を知らぬまま生きていく国の民を。
ただ、去っていく兄の背を見つめながら、静かに願った。
――どうか、兄が。
――家族が。
――国の民が、幸せでありますように。
けれど、最後の最後に――
ほんのわずか、消えきらなかった想いが、胸の奥に残った。
(……一人は、寂しい)
(誰か、そばにいてほしい)
その小さな願いだけが、彼の剣に残滓として刻まれ、
剣は長い年月、氷山の奥深くに突き立ったまま、静かに眠り続けることになったのだった。
ふっと意識が浮上する。
どうやら、また夢を見ていたらしい。
けれど、その内容はいつもはっきりとは思い出せない。
騎士になっていたこと、ひどく孤独で、寂しくて、胸が締め付けられるほど苦しかったこと――そんな感情の残滓だけが、ぼんやりと胸に残る。
ただ一つだけ、毎回はっきりと残る想いがあった。
……一人になりたくない。
その感情だけは消えず、気づけば頬を伝う涙とともに朝を迎えていることが多かった。
けれど、今日は違った。
視線を横に向けると、すぐ隣でルーナリアが穏やかな寝息を立てている。
母上の起こした事件からしばらく経ち、不安から浅い眠りしか取れなくなっていた僕に、ルーナリアは「しばらく一緒に寝ましょう」と言ってくれていたのだ。
そして昨日、正式に僕の処遇が決まった。
僕は皇子としてではなく、ルーナリアの騎士として生きていくことになった。
「一緒にいるって約束したじゃない」
そう言って微笑んだ彼女の言葉に、胸の奥に凍りついていた何かが、ゆっくりとほどけていった気がした。
僕自身の孤独と、そして――夢の中で感じる、僕ではない誰かの孤独までもが、少しずつ溶かされていくような感覚。
隣で眠るルーナリアの寝顔を、そっと見つめる。
朝の淡い光に照らされた銀色の髪が、柔らかく輝いていた。
僕はその一房を指先でそっとすくい上げ、静かに口づける。
「……僕のすべてを君に」
誰にも聞こえないほど小さな声で、そう囁いた。
「ルーナリア。君が望む限り、永遠に」
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