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第29話 皇妃は断罪されたようです

寝室へと向かうと、ベッドの上で上半身を起こしたアルフレッドが、静かにこちらを見つめていた。


「アル兄様!」


そう呼んで駆け寄った瞬間、彼の表情がいつもとは違うことに気づく。

血の気の引いた顔、揺れる瞳、そして押し殺したような震え。


「ご、ごめん……ルーナリア。僕は……僕は、なんてことを……」


その言葉で、アルフレッドが操られていた間の記憶を失っていないことを悟った。

彼は絶望したように俯き、肩を震わせている。

私はためらうことなくベッドに上がり、彼をそっと抱きしめた。


「大丈夫、大丈夫よ、アル兄様。アル兄様は誰も傷つけていないわ。何も起きなかったの。だから大丈夫」


背中をゆっくり撫で、髪を梳くように指を通す。

しばらくして、アルフレッドは堰を切ったように静かに泣き始めた。

私はそのまま何も言わず、彼が落ち着くまで抱きしめ続ける。

やがて呼吸が少しずつ整い、嗚咽が弱まった頃、涙を拭いながら優しく問いかけた。


「……一体、何があったの? アル兄様」


アルフレッドは少し迷うように視線を揺らし、それからぽつりぽつりと語り始めた。


シルビアの誕生祭が近づくにつれ、私に遊びに来ないよう伝えたのは、アデルが何かを企んでいる気配を感じ取っていたからだったという。ただし、その時点では具体的な方法までは分からなかったらしい。

ある日、祖父である前アスセーナ公爵が招かれ、二人が密談しているのを偶然聞いてしまった。

その内容は、何らかの手段を使って皇后シルビアを殺害する計画だった。


「僕は……どうにかして詳しいことを知ろうとして、調べて……それで、母上に見つかったんだ」


アルフレッドの声が震える。


「母上はおっしゃったんだ。『いつまでも出来損ないの役立たずのくせに、私の邪魔をするのか』って……」

その後、激しい折檻を受け、意識が朦朧とする中で、あのブローチを身につけさせられたのだという。

「それから……意識はあるのに、体の言うことが聞かなくなった。母上の命令通りにしか動けない、操り人形みたいになって……」


ブローチ自体は、もともと別の用途のために用意されていたものらしい。しかし、折檻を受けて弱っているアルフレッドを見た、神官服の人物が「ご子息を使えばよろしいのでは」と唆したのだという。


「顔は……よく見えなかった。意識がほとんどなくて……」


淡々と語るその姿に、胸の奥が締めつけられる。


「……これから、僕はどうなるんだろう。やっぱり、母上と同じように……処分されるのかな」


そう呟いたアルフレッドの瞳には、すでに諦めの色が浮かんでいた。

私はすぐに彼の手を取り、しっかり握る。


「そんなわけないでしょう」


顔を上げたアルフレッドに、まっすぐ微笑みかける。


「一人にしないって言ったじゃない。これからも、アル兄様は私のお兄様で、大切な家族よ。それはずっと、変わらないわ」


その言葉を聞いた瞬間、アルフレッドの表情が崩れた。


「……うっ……」


溜め込んでいた恐怖や苦しみ、悲しみが一気に溢れ出したように、彼は嗚咽を漏らして泣き出す。

私はもう一度彼を抱きしめ、背中をゆっくりと撫でながら、何度も静かに繰り返した。


「一人にしないわ」

「大丈夫よ、アル兄様」


彼の震えが少しずつ落ち着いていくまで、私はずっとそのまま寄り添い続けた。



その後、アルフレッドは「皇帝陛下と皇后陛下に合わせる顔がない」と静かに言い、誕生祭のパーティーを欠席することになった。

皇妃宮へ戻すには不安が残るため、彼は私の部屋で休ませることにして、私は予定通りパーティーへ出席した。


長い夜会を終えて自室へ戻ると、私の部屋でアルフレッドが静かに待っていた。


「アル兄様、起きていて大丈夫だったのですか?」


そう声をかけると、彼は少し困ったように笑う。


「……なんとなく、眠れなくて」


その表情にはまだわずかな不安の影が残っていた。私はやわらかく微笑み、「今日は一緒に休みましょう」と告げて、彼を寝室の中へ招き入れた。

ベッドに並んで横になると、アルフレッドは落ち着かない様子で天井を見つめていたが、やがてそっとこちらに視線を向ける。赤いルビーのような瞳は、まだかすかに揺れている。

私は彼の手を軽く握り、安心させるように微笑んだ。


「大丈夫。一人にしないわ、アル兄様」


そう言って、そっと額に口づけを落とす。

その瞬間、気づかれないほど微かな光属性の魔力を編み込み、穏やかな眠りを誘う術式を重ねた。さらに《夢遊魔法》を静かに重ね、悪夢が彼の眠りに触れないよう守りを施す。


「……おやすみなさい」


小さく囁くと、アルフレッドのまぶたがゆっくりと閉じていく。

やがて彼の呼吸は静かに整い、安心したように深い眠りへと落ちていった。

私はしばらくその寝顔を見守りながら、握った手を離さずに目を閉じる。

今夜だけは、彼が何も恐れず眠れるように――

そんな願いを込めながら、私もまた静かに眠りへと沈んでいった。


◇ ◇ ◇


後日、アスセーナ公爵の協力もあり、事件の詳細は順調に明らかになっていった。

アデルは、シルビアの懐妊の報を聞きつけ、強い嫉妬心を抱いたこと、そして懐妊中は母体の魔力が不安定になりやすいという点を利用し、シルビアを害そうと画策したらしい。その計画に手を貸したのが、前アスセーナ公爵だった。彼は生涯、自らの欲望に忠実に生きてきた人物であり、特に娘であるアデルには異常なほど甘かった。


皇后が排除され、娘が残れば自動的に皇后の座に就ける――そんな短絡的な思考に至ったのだろう。


(お父様があれほどアデル様を嫌っているのに、なぜそんな考えに至るのかしら……)


アデルと前公爵親子の浅慮さに、思わず小さくため息がこぼれる。

今回犯行に用いられた魔道具について、アデルも前公爵も詳細は知らされていなかった。ただ「願えば奇跡を起こし、望みを叶えてくれるもの」として前公爵が譲り受けたという。そして、それを渡したのは神官の姿をした人物だったらしい。

だが、調査の結果、その神官たちは教会の所属ではなかった。教皇に正式に照会を行ったが、教会側は「該当する人物はいない」と回答し、証拠も見つからなかったため、それ以上の追及は難しい状況となった。


(でも……きっと教皇は何か知っている)


私はそう確信していた。あの場で、アルフレッドが操られる直前から彼を見つめていたのは、ただ一人――教皇だったのだから。それも、どこか興味深そうな眼差しで。


その後、表向きには、アデルは突然の病により皇妃の座を退き、実家へ戻ったのちに亡くなったと発表された。前アスセーナ公爵の訃報も同時に帝国中へ伝えられた。


――実際には。

ルシウス自らの命により、二人は長期間の尋問の末に処刑された、というのが真実だった。



死を待つだけとなった頃、私はディアと共に地下牢へと向かった。重く湿った空気と、血と鉄の匂いが漂う地下通路を進み、やがてアデルの収監された牢の前に立つ。

すでに彼女の身体は見る影もなく衰えていたが、意識だけはかろうじて保っているようで、ゆっくりと顔をこちらへ向けた。


「ごきげんよう、アデル様」


微笑みながらそう告げると、彼女は何かを言おうとして口を動かしたが、声にはならなかった。舌を失っているらしく、口元からは涎だけがこぼれ落ちる。

私はそれを静かに見つめ続けた。


「あなたの息子、アルフレッドは――あなたを母だと思わないことにしたそうです」


わずかに、アデルの目が揺れる。


「でも、あなたへの恨み言は一つも言いませんでした。あの子は、本当に優しい子ですもの」


牢の鉄格子の前へ、もう一歩近づく。


「長い間、愛情も与えず、ただ所有物のように扱ってきた。その結果がこれですわ。もうすぐあなたの命も尽きるのでしょうけれど……」


私は静かに魔力を巡らせた。精神へだけ干渉する繊細な術式を編み上げる。肉体ではなく、心へ作用する魔法――本来、極力使わないと決めていた力だった。


「さっさと終わるなんて、許せませんもの」


格子越しに指先をかざし、術式を完成させる。


「アル兄様が味わった時間に比べれば、ほんのわずかでしょうけれど……その命が尽きるまで、あなた自身の記憶の中で、存分に苦しんでちょうだい」


魔法が静かに発動し、アデルの瞳が大きく見開かれる。だが、声は出ない。

私はそれ以上彼女を見ることなく、踵を返した。


「さようなら、アデル様」


小さくそう呟き、ディアと共に地下牢を後にした。


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