第25話 誕生祭当日がやってきたようです
皇后シルビアの誕生祭当日となった。
私は朝早くから、マリーを筆頭とした使用人たちに念入りに身支度を整えられ、鏡の前には磨き上げられた一人の少女が立っていた。淡く輝く髪は丁寧に結い上げられ、宝石を散りばめたドレスが光を受けてやわらかく煌めいている。
(おおぅ、今日も今日とてすごい出来栄えだ)
内心でそんな感想を抱きながら、私はふと、昨夜の出来事を思い出した。
実は夜中、こっそりアルフレッドの様子を確かめに行ってみたのだ。
空間の歪みを最小限に抑え、《転移》で静かに降り立った先は、皇妃宮の一角――アルフレッドの私室付近だった。
しかし、部屋の中に彼の姿はなかった。
(……いない?)
魔力感知を広げると、確かにアルフレッドの魔力はこの宮の中に存在している。だが同時に、すぐ近くにアデルの魔力も感じ取れた。
(今は近づかない方がいいわね)
これ以上動けば気づかれる可能性があると判断し、その夜は深追いせず、自室へ戻ることにしたのだった。
アルフレッドは「部屋の近くにはあまり使用人は来ない」と言っていたし、これまでのアデルの態度から考えても、母子で同室にいるとは考えにくい。それでも、何となく胸の奥に引っかかるものが残った。
部屋へ戻った後、起きていたディアと顔を見合わせる。
「……なんか、ありそうじゃない?」
そう呟くと、ディアは尻尾を揺らしながら軽く肩をすくめた。
「まあ、もし何かあったとしても、ルーナならどうにでもできそうだけどね」
(……まあ、それはそうかもしれないけど)
苦笑しつつも、私は改めてアデルへの警戒を強めておくことにした。
今日の予定は、午前中に侯爵家以上の高位貴族当主たちを交えた、教皇猊下による皇族への謁見。その後、城全体を使った大規模な誕生祭のパーティーが開かれる。
もしアデルが何かを仕掛けてくるとすれば――このどちらかの場面だろう。
(……でも、お父様も当然そこは警戒しているはず)
何も起こらなければ、それが一番いい。そう自分に言い聞かせたところで、マリーが静かに声をかけた。
「姫様、お時間でございます」
「今行くわ」
私は軽く頷き、ディアの方へ振り向く。
「お留守番お願いね。もし何かあったら、すぐテレパシーで知らせるわ」
「了解。気をつけてね」
その言葉を背に、私は扉を開き、誕生祭の始まる中央宮へと歩き出した。
謁見の間へ向かう途中で、私は家族と合流した。
アデルとアルフレッドは、どうやらすでに中へ入っているらしい。二大公爵家、そして四大侯爵家の当主たちも、すでに揃っているという。
重厚な扉が開かれ、私たちは室内へ足を踏み入れた。
すると、その場にいた貴族たちが一斉に臣下の礼を取る。
入場の直前、なぜかルシウスから「今日はシルビアの近くにいなさい」と小さく告げられていた。普段ならルシウスに抱き上げられるか、ルークやルビーと手を繋いで入場することが多い。だが今日は珍しく、私はシルビアと手を繋いだまま歩みを進めた。
周囲から向けられる視線の中、ふと目に入ったのは序列三位――リゴナイト侯爵家の若い夫妻だった。お披露目の時と同じく、当主代理として出席しているのだろう。当主だけ参加している家もあるようだがリゴナイト侯爵家は夫妻できているようだ。二人の視線は警戒でも探るようなものでもなく、ただ純粋に微笑ましげなものだった。
(あの夫妻が送ってくれた魔法具、面白かったのよね)
軽く微笑みを返すと、夫妻は静かに一礼する。
続いて感じた別の視線に顔を向けると、そこにいたのは貴族派筆頭――アスセーナ公爵だった。彼は一人で来ているようだ。
今日もまた、どこか興味深げな眼差しをこちらへ向けている。
(……あの人、何を考えているのかしら)
なんとなく好きになれず、私は気づかないふりをして視線を外した。
すでに入場していたアデルへ視線を向ける。
いつものようにシルビアや私へ敵意を向けてくるかと思ったが――違った。
微笑んでいる。
それも、どこか妙に機嫌が良さそうな笑みだった。
(……絶対に、おかしい)
胸の奥に、嫌な感覚が広がる。
そのすぐ側に控えているアルフレッドを見ると、彼は相変わらず無表情だった。しかし、その視線は一点――シルビアへと、ただじっと向けられている。
(アル兄様……?)
目に光がない。
まるで糸の切れた操り人形のような、どこか不自然な静けさだった。
もっとよく確かめようと視線を凝らした、その時。
「教皇猊下、ご到着でございます」
という声が、謁見の間に響いた。
再び扉が開かれ、教皇と数名の神官たちが入室してくる。
昨日とは違い、より豪奢な神官服に身を包んだ教皇は、堂々たる威厳をまとっていた。
教皇は室内をゆっくりと見渡し――
そして、私を見つけると、面白そうに微笑んだ。
そのまま視線が、別の方向へと移る。
そこにいたのは、アルフレッドだった。
私も思わずアルフレッドへ視線を向ける。
その瞬間、はっきりと――見えてしまった。
彼の身体に、黒いもやのようなものが、絡みつくように漂っている。
(……なに、あれ……?)
胸がざわりと騒ぐ。
しかし室内ではすでに、ルシウスが教皇へ形式的な歓迎の言葉を述べ始めており、誰一人としてその異変に気づいている様子はなかった。
◇ ◇ ◇
アルフレッドから漂っている黒いもやのようなものは、この場にいる者の中で、どうやら私にしか見えていないようだった。
――否。もう一人、見えている人物がいる。
教皇だ。
教皇の視線は、確実にアルフレッドを捉えていた。
その目は、まるで何かを確かめるかのように細められている。
私はアルフレッドから一度視線を外し、教皇の様子を確認しようとした――その瞬間だった。
先ほどまで、シルビアから最も遠い位置に立っていたはずのアルフレッドの姿が、次の瞬間には、シルビアの目の前へと現れていた。
(……っ!?)
身体能力というには速すぎる。
まるで、私の《転移》と同じ――空間を飛び越えたかのような移動だった。
室内の者たちは、何が起きたのか理解できず、息を呑んだまま動けない。
ルシウスとルークが反射的に動き、シルビアとアルフレッドの間へ割り込もうとするが――間に合わない。
(……仕方ない)
私は一瞬で判断した。
シルビアと繋いでいない方の手を前へかざし、《結界》の魔法を複数展開する。
私とシルビアを守るように、半透明の防御障壁が瞬時に目の前に展開された。
直後、目の前に現れたアルフレッドが、懐に忍ばせていた短刀を振り上げ、そのままシルビアへ突き立てようとする。
ガキィン――!
硬質な衝突音が響き、短刀は結界に弾かれて軌道を逸らされた。
周囲が驚愕に凍りついたまま動けずにいる中、私はゆっくりと一歩前へ出てシルビアを庇う体制をとる。
アルフレッドは弾かれて少し間を開けて部屋の中心へ降り立った。その目はやはりずっとシルビアを見つめていてまるで人形のようだ。
アルフレッドが結界に弾かれて一歩後退したことで、ルシウスとルーク、そして遅れて駆け寄ってきたルビーも、シルビアと私を庇うように前へ立った。
その一方で、アデルは呆然とした表情のまま、震える声で呟いている。
「……どうして、防がれたの……? うまくいくって、言っていたのに……」
教皇はすでに数名の神官たちに庇われながら、静かに後方へ下がっていた。周囲の貴族たちも、事態の異常さに顔色を変え、ざわめきながら壁際へと身を寄せていく。
広い謁見の間の中央に、ぽつりと――
アルフレッドだけが立っていた。
私はシルビアの手をそっと離し、家族の前へ一歩進み出る。
「ルーナ、危ない!」
「戻って!」
双子とシルビアが同時に声を上げ、こちらへ駆け寄ろうとする。
しかし、その動きをルシウスが静かに手で制した。
「……父上、なぜ止めるのです」
ルークの問いに、ルシウスは何も答えない。ただ、私から視線を外さず、状況を見極めるように立っていた。
私はさらに一歩、アルフレッドへと踏み出す。
彼を視界に収めたまま、再度《結界》を再度作動させた。
次の瞬間、家族と貴族たち、そして教皇たちを包み込むように、ドーム状の半透明の障壁がそれぞれ展開された。
外側に残ったのは、私とアルフレッド、そしてアデルのみ。
(アデル様は別に守らなくてもいいものね…それと……)
私は視線を一瞬だけアデルへ向け、指先を軽く動かす。
闇属性の魔力を影へ沈ませ、彼女の足元の影をその場に縫い留めた。
「……っ、な、何……!? 動け……」
アデルの身体がぴたりと止まり、わずかに身じろぐことしかできなくなる。
再び私は前を向いた。
静まり返った空間の中、ただ一人、黒いもやをまとったアルフレッドと正面から向き合う。
「アル兄様」
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