第20話 異母兄に魔法が使えるのがバレたようです
転移した先は、私の自室の一つだった。今日は皇妃宮へ向かう前に「しばらく部屋に籠る」と伝えてあるため、マリーが訪ねてくることはないし、エディは扉の外で待機しているはずだ。ディアも転移の際、きちんと私のそばについてきていた。
突然視界が切り替わったことに驚いたのか、アルフレッドはしばらく何も言えず、周囲を見回している。
「アル兄様、大丈夫?」
私はそう声をかけ、鞭に打たれた部分に触れないよう注意しながら彼の腕をそっと支え、椅子に座らせた。
されるがままに腰を下ろしたアルフレッドは、まだ状況を飲み込めていない様子で口を開く。
「ルーナリア……? 一体これはどうなって……。ここは、ルーナリアの部屋なのか?」
「そうよ。転移して連れてきたの。まずは、その腕の怪我をどうにかしないと」
私は彼の前に立ち、静かに《完全回復魔法》を行使する。
淡く温かな光が両腕を包み込み、ミミズ腫れのように赤く腫れ上がっていた傷へとゆっくり吸い込まれていった。やがて傷跡は次第に薄れ、荒れていた皮膚も元の状態へと戻っていく。
「これでよし。痛くない? アル兄様」
心配そうに尋ねると、アルフレッドは少しだけ苦笑して答えた。
「慣れているから大丈夫だよ。でも、ありがとう。こうやって心配しながら手当てされたのは……初めてだ」
その言葉を、彼はまるで何でもないことのように口にした。
私は、その平然とした様子に胸が締めつけられる。
(慣れている……?)
あんなことを、しかも親から受け続けて――それを「慣れている」と言えるまで、どれほど苦しかったのだろう。
そう思った瞬間、視界が自然と滲んだ。
いきなり涙ぐんだ私を見て、アルフレッドが驚いたように目を見開く。
「どうして泣くんだ?」
そう言いながら、彼はポケットからハンカチを取り出し、少し戸惑った様子で私の頬に当てた。
どこかぎこちない、不器用なその仕草が、かえって胸に刺さり、私はますます涙をこぼしてしまった。
(まだ子供なのよ。それなのにこんな扱いをずっと受けて平気でいるなんて)
しばらく涙が止まらなかった私を、アルフレッドは不器用ながらも静かに慰めてくれていた。
やがて私が落ち着きを取り戻すと、彼は少し安心したように小さく息をつき、周囲を見渡した。
「ここが、ルーナリアの部屋なんだね」
私たちが転移してきたこの部屋は、自室の中でも少し奥まった場所にあり、外の気配がほとんど届かない静かな部屋だった。棚や壁には、家族や周囲のみんなからもらった贈り物や、小さな装飾品がいくつも飾られている。
それらを物珍しそうに眺めていたアルフレッドは、ふとこちらに向き直った。
「ルーナリア、なんであそこにいたんだい? それに……君は、もう魔法を使えるの?」
その言葉に、私は「あ」と小さく声を漏らした。
まだ、私がここまで自由に魔法を使えることは誰にも話していない。気が動転していたとはいえ、普通にアルフレッドの前で転移まで使ってしまった。
五歳から魔法の訓練が始まるとはいえ、まずは属性適性の検査を行うのが通例だ。私の検査はこれからなのだから、本来であれば魔法を使えるはずがない。
しまった、という顔をしてしまったのだろう。
アルフレッドは穏やかに微笑み、小さく首を振った。
「ルーナリアが隠していることなら、僕は誰にも言わないよ」
その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
それから私は、先ほどの部屋で何が起きていたのかを彼から聞いた。どうやら皇妃は、苛立つことがあると、よくああしてアルフレッドに当たっているらしい。
「今日も、少しイライラされていたみたいだね」
困ったように笑いながら、彼はそう言った。
「僕が出来損ないなのは、その通りだし……仕方ないさ」
どこか諦めたようなその言葉に、私は思わず眉を寄せる。
「何が、出来損ないなのです?」
そう問い返すと、アルフレッドは少し視線を落としながら答えた。
「いつも、うまく立ち回れなくてね。それにルーク皇子殿下やルビー皇女殿下と比べても僕は優秀ではないから」
私は一瞬、遠い目になってしまう。
――あの双子と比べられたら、誰だって分が悪いに決まっている。
私は改めてアルフレッドに向き直った。
「あのですね、ルーク兄様とルビー姉様は、アル兄様より年齢も上ですし……そもそも、あの二人はなんというか、常人ではないんですよ。比べる方が間違ってます。アル兄様には、アル兄様の成長の速度というものがあるのですから」
そう言うと、アルフレッドは少し驚いたように目を瞬かせ、それからふっと笑った。
「ルーナリアは……なんだか五歳に見えないね」
私は肩をすくめ、小さく笑い返す。
(まあ、中身は大人ですしね)
心の中でだけ、そう呟いた。
それから私は、再び転移を使って皇妃宮へと戻った。
すでに魔法を使えることは彼に知られてしまったし、転移さえできればこれからはいつでも様子を見に来られる――そう思った私は、そのままアルフレッドの自室まで同行することにした。
廊下を歩いていても、使用人の姿がまったく見えない。
不思議に思って周囲を見回していると、アルフレッドが小さく肩をすくめた。
「使用人たちは、みんな母上の部屋の方にいるからね。僕の部屋の方には、ほとんど誰も来ないんだ」
(……え? じゃあ、アル兄様の身の回りの世話は誰がしているのよ)
胸の奥にじわりと不快感が広がる。そんなことを考えているうちに、「着いたよ」と彼が足を止めた。
一つの扉の前でアルフレッドが鍵を回し、ゆっくりと扉を開く。
中に広がっていたのは、帝国の皇子の部屋とは思えないほど、物の少ない簡素な空間だった。必要最低限の家具が整然と置かれているだけで、飾り気はほとんどない。
「……ずいぶん、物が少ないのですね」
思わずそう口にすると、アルフレッドは少し困ったように笑った。
「ああ。アンセルが、気に入った物をよく持って行ってしまうんだ。まあ……僕は、この剣が取り上げられなければ問題ないから」
そう言って、彼は壁際に大切そうに立てかけてあった剣に手を触れる。その仕草には、どこか静かな愛着がにじんでいた。
(あのおバカお坊ちゃん……こんなところでも悪さをして)
胸の奥に、小さく火が灯る。
――今度会ったら、少し教育してあげた方がよさそうだわ。
そんなことを心の中で密かに決意しながら、私はしばらくアルフレッドと他愛のない会話を交わした。先ほどまでの重たい空気が、少しずつ和らいでいくのを感じる。
やがて、そろそろ戻らなければと立ち上がる。
「また、遊びに来ますね」
そう言うと、アルフレッドはわずかに目を見開き、それから柔らかく微笑んだ。
「うん。待ってるよ、ルーナリア」
その言葉を背に、私は再び転移を発動させ、自室へと戻った。
◇ ◇ ◇
それからしばらく、私は時間を見つけてはアルフレッドの部屋へ遊びに行くようになった。
最初に部屋へ案内してもらった時、彼の一日の大まかなスケジュールを聞いておいたから、授業も訓練もなく、一人で過ごしている時間を見計らって転移するようにしている。
何度か言葉を交わしていくうちに、彼が「出来損ない」などでは決してないことはすぐに分かった。むしろ、誰よりも真面目に課題に取り組み、地道に勉強を続けている。控えめな性格ゆえに目立たないだけで、努力を惜しまない人なのだ。
ただ――やっぱり剣の話になると、彼の表情は少しだけ柔らかく変わる。
その日も、壁に立てかけられた剣を手に取りながら、アルフレッドはぽつりと言った。
「僕は、本当は騎士になりたいんだ」
「騎士、ですか?」
「ああ。誰かを守れる、強い騎士に」
そう言った後、彼は少し目を伏せ、小さく笑った。
「母上は、ルーク皇子殿下に負けないように帝王学を学べって言うけれど……僕に、ルーク皇子殿下のような皇帝になれる器はないし、正直、なりたいとも思っていないんだ」
その言葉には、自嘲よりも、どこか諦めに似た静かな響きがあった。
私は彼の正面に立ち、まっすぐ目を見て微笑む。
「いいじゃないですか、騎士様。優しくて真面目なアル兄様には、とても似合っています」
一瞬、きょとんとした顔をした後、アルフレッドは少し照れたように視線を逸らし、それから穏やかに笑った。
「……ルーナリアは、いつも優しいね」
窓から差し込む午後の光が、静かな部屋の中でゆっくりと揺れていた。
◇ ◇ ◇
「アル兄様、今日は外に行きましょう!」
意気揚々と宣言した私を見て、アルフレッドは少し驚いたように目を瞬かせた。
「外? こんな時間にかい?」
今日は昼間に時間が取れず、夜になってからこっそり彼の部屋を訪ねてきたのだ。いつもは部屋の中で話をしていたけれど、今夜は満月がひときわ美しい。こんな夜は、どうしても見せたい景色があった。
「ええ。今日は満月がとても綺麗でしょう? ぜひ一緒に見てほしい場所があるんです」
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