先生との「おはよう」 ~中学生の思い出~ ③
しかしある時、学校に行かない日常が変化するときがやってきた。中学の担任の宮崎先生は小学校の担任だった鈴木先生とは真逆のとても優しい先生で、僕が不登校を続けていると、宮崎先生はタバコを咥えながら車で迎えに来た。
「おはよう、山田くん」と笑顔で手を差し伸べてくれる。僕が学校へ行かなくても毎朝、迎えに来て前日のプリントを渡して帰っていく。そんな日々が続き、僕は少しだけ学校へ行ってみることにした。
学校に行くが教室には入らず別の部屋に通う。宮崎先生は理科の先生で数学も得意。タバコ休憩という表向きの理由をつけ、空き時間があれば勉強を教えてくれた。校内で拾ったセミの死骸をその場で解剖しながらセミのつくりや生態を詳しく教えてくれ、理科準備室にある豚の内蔵の塊を見せながら豚のつくりや生態を説明しながら人間との違いを教えてくれたりとたまにグロテスクな個人授業もしてくれた。先生は僕が心配ということで三年間、担任をしてくれた。
宮崎先生は僕が帰る時に「また明日な!」といって見送ってくれる。僕はそのコトバが本当に嬉しかった。だってこんな僕にも明日があって、居ていい場所があるということだったから。僕はそれから学校へ行くようになった。学校へ行くと先生たちは優しく、国語の先生は笑顔で話しかけてくれ、美術の先生は授業を出なくてもいいから絵だけでも描いてみないかと声をかけてくれた。体育の先生は父の高校の後輩ですれ違うたびに「俊! 元気か! 勉強もいいが運動もいいぞ!」と廊下に響き渡る声で話しかけてくれる。無口の社会の先生は授業をまとめた資料をくれ、校長先生は美術の先生で一緒に絵を描こうと誘ってくれた。クラスメートたちも仲良くしてくれ、僕は学校へ行くのが楽しくなっていった。
そして、中学三年生になった。高校受験のため自主的に勉強を行うようになっていた。僕は学校へは行くけど結局教室に行くことはないまま過ごしていた。宮崎先生は時間があると僕がいる部屋に来て自分の勉強をはじめた。言うまでも無いが、僕が勉強で解き方がわからないと答えてくれるのは変わらず。
「先生、何の勉強をしているんですか?」
「ああ、俺ね。教頭先生になりたくてその勉強をしているんだよ」
「教頭先生になるのに勉強が必要なんですね?」
「そうなんだよ。色々と条件もある。それに試験に受からないといけないからな」
「先生も受験生みたいですね」
「おう、一緒に頑張ろうな」
「頑張りましょう! やっぱ先生になったからには教頭先生になりたいものなんですか?」
「どうなんだろうな。俺の場合は俊みたいな生徒の力になりたい、学校の環境を少しでも変えられたらと思って教頭先生を目指したんだよ」
「……」
「驚いた? 一人の先生として出来ることと、教頭先生が出来ることって違うんだよ。立場が高くなると出来ることって社会においても多いだろう」
「確かに、そうですね」
「俺はお前に出会えて色々と学んだし、やりたいことが色々と見えてきたんだよ。ありがとな。俺な、お前のそのくしゃくしゃの笑顔が好きだぞ。もっと笑え! 人生辛いことより楽しいことが多いぞ。楽しいことをやりたいことを見つけてたくさん笑え! 笑う門には福が来るんだぞ! 大いに笑おうじゃないか!」と宮崎先生は太陽のような笑顔をみせる。僕も久しぶりに笑った気がした。
僕は先生にとってマイナスの存在になっていたと思っていた。こんな不登校なお荷物なんか面倒だと。そんな僕にプラスの言葉をくれた。しかも僕がきっかけで夢が出来たとまで言ってくれた。本当に嬉しくなった。僕はこの時、教員免許を取って心理学の学校に行ってスクールカウンセラーになって先生のように誰かの居場所をつくる仕事に就きたいと思った。