先生との「おはよう」 ~中学生の思い出~ ①
中学生になった。午前七時。
目覚まし時計はならない。それはそうさ、僕は学校へは行っていないから。いわゆる不登校というやつ。僕は小学六年生の夏に転校したが新しい学校には馴染めなかった。そこは父の地元という場所で、父は小中学生、ママさんにバスケットボールを教えていた。タイミングが悪いというかその頃、バスケットボール漫画が流行っていた。
そのためバスケット人口が多くなっていた時期で、その影響でモテ期なのかというように僕は毎日知らない人から「山田先生って山田ぐんのおどづぁんだべ?」とよく声をかけられた。標準語で育った僕にはそのコトバが宇宙語のように聞こえた。何故、宇宙語かというと方言の訛りが理解できなかったから、僕はそれを宇宙語と呼んでいる。
というのは表向きの不登校の言い訳だ。本当は転校をした学校の担任の先生からの嫌がらせが原因で学校に行かなくなった。学年が変わる時期に転校をしていれば問題はなかったかもしれない。学期の途中で授業内容が合わなく、一時的に授業に遅れてしまった時期があった。
鈴木先生はテストの解答用紙をそれぞれに返す時に大きな声で「山田くんはクラスで一番成績が悪かったです! なんと! 七十点です! こんな点数を取るようでは中学生になっても勉強できなくて苦労します! 皆さん! ちゃんと勉強しましょうね!」と笑顔で言った。
その笑顔からは悪意は感じない。では天然なのか? それにしてもすごいことを笑顔で言う人だなと、今まで出会ったこともない大人だなと思った。僕はへへへと苦笑をしながらペコっと頭を軽く下げ、左手は机の中で爪の跡が残るくらいにギュッと握った。
それからも音楽の授業では「山田くんは声が小さいから歌わなくていいや! その代わりピアノを演奏してね」と突然楽譜を渡されたり、運動会では「背が高くて目立つから、綱引きの綱は持っているフリして低姿勢を保ってね」と言われ、絵画コンクールの絵を描くと「すごい坂の絵を書いたね。そこに立っている人たちは足腰が強いんだね」と笑いながら言われ、習字のコンクールでは「毎年、山口さんが最優秀賞なんだよね。山田くんも毎年、賞を取っていたみたいだけど残念だね」と僕がコンクール用に提出したものとは別のものがエントリーされていた。自分だけが受ける仕打ちに僕の心が壊れていった。