自分がみている世界と他からみた世界 ②
そう、浬音は僕と同じで誰かが一瞬でもいいから『楽しい、幸せだ』と思える時間を過ごしてもらいたいと想いで仕事をしている。だから僕らはとても話が合うし気が合うのだ。
僕の仕事も浬音の仕事も“イマというイキモノ”と戦っている感覚で仕事が終わった夜中も朝方も休みの日も問題が起きては対処するというのが日常の仕事。そのため日常の生活が荒れていくようになった。同じ家にいるのに夫婦なのに同じ時間を過ごすことも一緒に食事すらできなくなっていった。
だから僕は決意をした。フリーランスになって自宅で働こうと。そして自分の好きを仕事にした浬音を全力で応援しようと思った。学生の頃から自炊をしてきたので食事も作れ、家事もできる。主夫として生きるかも考えたが将来のことを考えると少し不安になったので仕事は続けながら家事を出来るだけ自分がやる。そんな生活をはじめたら浬音との時間も一緒に食事も出来るようになった。
自分にできることを今度こそと思い、行動に移す。とても勇気のいる選択だったけれどこの選択で良かったと確信している。
浬音がつくったものが世界でみられ、誰かが笑顔になる。浬音はつくり手の一人で目立たない存在だけれどもスタッフロールにのる自慢の妻。母はそれが嬉しくて浬音のテレビ作品はリアルタイムでみて、映画になると観に行くだけでなく必ずパンフレットを何冊も買う。そして浬音の名前を見つけて写真を送ってくる。母も浬音が笑顔にした一人。
僕はそんな浬音の夢をこれからも応援していく。そんなことを思っていると母からメッセージが届いた。その内容は浬音の映画を観にいったというのとパンフレットのスタッフロールの写真が添えられていた。そして浬音が携わった浬音がお気に入りのシーンに対しての褒め言葉だった。浬音はそのメッセージをみながら涙をポロポロと流した。
「なんか自分がお気に入りの自信作を褒められると嬉しいね」
「うんうん、すっごく嬉しい」
「浬音のつくるモノは誰かを笑顔にして幸せなココロを運んでくれるね」
「へへ。ありがとう。私も俊と俊の家族にいつも笑顔をもらっているのでお返しができて嬉しいよ」
「笑顔をもらっているって?」
「あれ? やっぱ気がついていないんだ? あのね。”おはよう”とかの言葉って当たり前じゃないんだよ? 私の家では挨拶はたまにだし、誰かが出かけるときに家族で見送るなんてみたこともないんだよ。写真を送り合うとかもほとんどしたことがない。父の日や母の日、敬老の日とかに感謝の気持を込めるとか一度もないよ? 親がしないと子供はしないものだからね。人ってさ、家族という狭い世界、生まれ育った地域だけにいるとそれが当たり前になって周りがみえなくなるんだよね。他人からみたらステキな家族もその中心にいる人は気が付かない。だからそのステキに気がついてほしい。私は俊の家族になっていつも笑顔をもらって、ココロがポカポカになっているんだよ」
そんな浬音の言葉に驚いた。いや、本当は気がついていたんだ。自分の当たり前が他人の当たり前ではないことも理解をしている。けれど改めてそれを言われると自分は本当に最高の家族を持っていて、感謝とお返しをしていかないといけないと思った。時間は進んでいく、だからこそ今できることをやらないと後悔すると思った。




