遭遇
目を覚ますと、僕はまたエリックに背負われていた。眠気眼で見る二人の姿はいつになく険悪で、一言も会話をすることなく黙々と穴への帰り道を走っている。
冴えてきた頭で思い出すのは、魔力を扱えるようになった事実。歓喜が身のうちから溢れて、ぶるりと身体を震わせた。
そしてこの気絶が話に聞いていた魔力切れなのだろう、そうすると、一発の初級呪術で枯渇するほど僕の魔力量は少ないことになる。けれども、魔力量は訓練次第で増やすことが出来るとラースは言っていたのだから、悲観する必要はないし、今まで魔力を持ってすらいなかったことを考えれば素晴らしい進歩だ。
ラースが見せてくれたあんな魔法やこんな魔法を、自分が使っている姿を想像して恍惚としていると、二人の視線が僕に注がれていることに気が付いた。
そういえば、遠征隊の仕事はまだ終わっていなかった。魔力を手に入れてすっかり頭から抜けていたが、梯子渡りのあとから気絶して荷運びどころか自分自身が荷物になってしまっていた。
エリックから飛び降りて胸に固定している焔石も受け取り、ようやく本来の仕事の準備ができた。
「ごめんなさい!ここからはしっかり荷運びの仕事を頑張ります!」
反応のない二人に、謝罪と共に下げた頭を上げられない。いつも優しいエリックも任務に対する態度はとても厳しいことを知っているので、説教を覚悟しながら恐る恐る様子を窺う。
想像通りの剣呑な雰囲気を纏わせた二人に冷や汗を垂らしたが、なにか違和感を感じる。思い切って顔を上げてみれば、二人とも僕を見ているわけではなく互いを睨み合っていた。
「あのぉ…」
「「フェオ」」
「はひっ!」
「「お前はこいつみたいになりたいか?」」
あまりにも突飛な問いに、目を白黒させながらも努力して状況を整理する。普通に捉えれば、エリックのような白兵戦に長けた戦士になりたいのか、ラースのような変幻自在の魔法で戦う魔法使いになりたいのかを聞いているようだ。
だが、それはあくまで平常時であればの話。今は、僕が自分の仕事である荷運びを疎かにしたあとにこの問いがかけられたことを考えれば答えは一つ。
「立派な荷運びになりたいです!」
問いの意図はこうだ。僕が荷運びという仕事を軽んじて、戦士や魔法使いなど一見して派手さのある仕事をしたがっているのじゃないかと。僕が浮ついた意識でこの遠征に臨んでいるかを問われたのだ。
会心の回答を出した僕は褒めてと言わんばかりに得意満面を向けたが、予想は裏切られて二人の表情は何とも形容し難いことになっていた。
「…まだお前は若い。結論を急ぐことはない」
「そうだぞ、これから才能が花開くこともあるんじゃねぇか?」
あれれ?なんで慰められているのだろう?
「ゲフんっ!それよりも、梯子渡りを良く成し遂げた。師として誇らしい限りだ。これからは、一人前として戦士と名乗ることを許そう」
「えぇ!?」
突然で驚いてしまったが、物心つく頃から格闘を教えてくれているエリックに一人前と認められたことは嬉しい。
ただ、日々のエリックとの訓練で着実に強くなっている実感はあるけれど、一人前だと言われても甚だ疑問だ。訓練でも思い通りの成果を出せず魔物との実戦経験もないのだから、恥を忍んで、まだ教えを乞うべきだと率直に思った。
「…嬉しいけど、まだ名乗れないよ。エリックから一本も取れてないし、教えられた欠点も直せてない」
「早まってんじゃねぇよ、脳筋。フェオの方がよっぽど弁えてやがる」
言葉をつまらせたエリックは、やがて膝から崩れ落ちて地面に四つん這いになっていた。
確かに梯子渡りは大変な試練だったけれど、なぜ急にこんな帰り道の途中で言い始めたのかエリックを問いただそうとすると、先にラースがしゃべり始めた。
「バカ弟子!初めて魔力を使った感想はどうだ?」
「すごかったです!!炎がこう、ぶわぁって出てきて、どかぁんと爆発して!でも、調節できなくて気絶しちゃいました…」
「ハハハ!始めてやったんだ、あんだけできりゃあ上出来だ」
わしわしと無遠慮に頭を撫でまわしながらラースが褒めてくれた。初めて火炎を使った時も同じように褒めてくれていた気がするが、あのときは余裕がなくてよく覚えていない。
だから、僕は初めて受け取ったラースの気持ちがなんとも歯痒くて、口許が緩むのを堪えようとによによしてしまう。
「だが、杖のこと忘れたわけじゃねぇよな?」
あ。
歓喜から一転、滝のような冷や汗が身体中からわき出てくる。
火炎を使ったあのとき、魔力の扱い方は知識として持っていたからなんとか出来ていたみたいだけれど、杖の扱い方は何も知らなかった。その結果、とんでもなく高価でそれまで触らせて貰ったことすらなかった、るつぼの杖を壊してしまったのだ。
魔力切れですっかり頭から抜け落ちていたが、僕はいったいどうやって弁償すればいいのだろう。穴では共同生活が当たり前だから、外の世界では普通にあるという通貨なるものはない。あったところで払えるような物でもないけれど。
文字通り、頭を抱えていた僕の肩を掴んで姿勢を正させると、ラースが左の口角だけを上げて笑っていた。
悪寒。
僕はこの顔を知っている。
酒を飲んでエリックと口論した次の日、仲直りの握手を僕がさせたのだが、握手をしたと同時に魔法を放ったのだ。エリックの顔面に。
そんな悪辣なイタズラが成功した時と同じ顔。嫌な予感しかしない。
「穴に戻ったらすぐに旅へ出る。バカ弟子、お前にはその間の荷運びを言いつける。杖の対価だ、嫌とは言わせねぇぞ?」
ラースは旅の途中で、穴には立ち寄っただけというのは聞いていた。少し居座るくらいの滞在が十年を超えているのは、居心地が良かったのか、それとも長寿の種族には当たり前なのかは分からない。
事情を考えれば旅に戻る頃合いと言われてもおかしくはないけれど、僕を連れて行くのはなぜだろう?
でも、ラースが何を考えているにせよ、旅に置いて行かれてしまってはせっかく使えるようになった魔力も持て余してしまうのは間違いない。
それに旅に出てみたい、外の世界を見て回りたい願望は少なからず僕の中にはあった。生まれてからずっと穴で暮らしてきた僕にとっては今回の遠征が一番の遠出で、エリックやラースから聞いた外の話で想像を膨らませるばかりだった。
ただ国同士を繋ぐ門は、ダンジョンと呼ばれる強力な魔物たちが蔓延る場所を抜けた先にあり、僕みたいに戦う力を持たないものが独力で辿り着くことは出来ないので諦めていた。
荷物運びとして、実力も経験もあるラースについていけるのであればこれはいい機会なのかもしれない。
「考えはまとまったみてぇだな」
熟考していた僕を急かすことなく待っていたラースが、決まりだとばかりに片手を差し出してくる。それに応えるために僕も手を伸ばした。
「待゛ぁぁぁあてぇぇえい!!」
奇声があがった直後、触れ合う寸前だった僕とラースそれぞれの手を鷲掴みにしたエリックが目の前にいた。あまりの速度に目を見開いている僕とは違い、冷静なラースは大きく舌打ちをついていた。
「エリック!!決闘の話、なかったことにはさせんぞ!!」
「わぁーってるよ。だがな、フェオの意思は尊重しないとなぁ?」
ぐりんっとこちらに顔を回したエリックはまるで懇願するような表情で縋り付いてきた。
「ま、まだ、教え切れていないことは山ほどある!これからも私と研鑽を積めば、必ず立派な戦士にして見せる!だ、だから」
そうだ、浮かれていて考えが及んでいなかった。旅に出れば当然、穴のまとめ役であるエリックとは別れることになる。自分は一人前ではないと言った手前、中途半端に投げ出して旅に出るなどあってはならないことだ。
付け加えるならば、単純にエリックと離れるのも寂しい。
なにかいい手立てはないかと、今までの話を整理していると気になる単語が浮かんできた。
「ねぇ。決闘ってなに?」
時が止まった。
何気なく呟いた言葉だったが、僕を中心にこの空間が静寂しているのは間違いない。余裕の色を浮かべたラースも、必死な姿を見せるエリックも、同様に凍り付いていた。
思い返してみれば、魔力切れから目覚めたあとから二人の様子は明らかにいつもと違っていた。エリックの急な一人前認定と、矢継ぎ早に告げられたラースの旅への同道の話が出てきたのには原因があるのではないか?
そして、決闘という言葉に対してのこれほどまでの動揺。
問い詰めることを確認した僕は、エリックの手を振りほどいて隠し事をしているらしい二人を睥睨した。
ーーーーー
一通りの話を聞き出した後、膨れっ面を作ったまま遠征隊の先頭を歩いている。
勝手に僕の行く先を二人が決闘で決めるなんてひどい。どちらかを選ばなくてはいけないのであれば、みんなで一緒に考えさせてくれたって良かったのに。僕の未来に、僕よりも熱を持ってくれている二人の気持ちを、ないがしろにはしないのだから。
そうしてくれていたら、本当になりたいもの、誰にも言わず胸に秘めてきた想いを打ち明けられるくらい、僕にとってエリックとラースは特別なのだ。
それを決闘で、ましてや秘密裏に済ませようとは、一日顔も見たくないほど怒っている。
けれど、これは気持ちの半分。
もう半分は嬉しさだ。
どんなに努力しても、今まで荷物運びしか任せられることはなかった僕を、見捨てずに育ててくれた二人。
もし僕に親が居たら、こんなふうに寄り添ってくれていたのかな。やり方や考え方ですれ違って、その度に喧嘩して。最後にはお互い謝って、もっと分かり合えるだろう。
心の中で気持ちを言葉に変えていくと少しだけ昂っていた身体が落ち着いて、すっかり平静を取り戻していた。でも、今回は僕から謝るのは筋違いなのでそっぽを向けているわけだ。
後ろからは僕の尊敬する師匠たちががこそこそ話し合いながらこちらを窺っているのがわかるけれど、僕は進む道に集中していた。焔石の採石場から穴までの道程は、すでに九割ほどのところまで来ている。僕だけは二度の気絶で十分休息を取りながらここまで来ているが、二人はほとんど休むことなく進み続けているのだからここは僕の頑張りどころだろう。
この辺りまで穴から近い場所であれば、粘体狩りの荷物運びで来るのでよく知っているから自信もある。
そこまで考えて気になることが出てきた。
粘体は大した戦闘能力を持ってはいないが数が厄介な魔物で、狩りをする際は単独行動をとらないように心掛けていた。戦えない僕にとって厄介な特徴をもつこの魔物が、今のところ一匹も姿を見せていないのだ。
注意深く周囲に目を向けてもその姿を見つけることは出来ず、どうにかこの事態の尻尾を掴もうと地面や壁に這った跡がないか調べていく。
壁に空いた小さな穴を覗き込もうとしたところで、ラースの手が肩を掴んで僕を振り返らせると、口元に人差し指を当てていつになく鋭い目をしていた。
「…物音は拾えねぇが、血の匂いが漂ってきやがる」
口元から離れた指は、すうっと目前にある分かれ道の左を指していた。そちらは穴へと続く道だ。
僕には血の匂いなんて感じられないが、ラースが言うのであれば間違いないのだろう。しかし、食料として魔物を解体するのは日常的なことだからそれほど不思議では無いはずだ。にもかかわらず、ラースが警告じみた行動をとったのはなぜ?
先ほどから表れ始めた疑問たちがいったい何を示しているのか。頭はただ混乱するだけではっきりとした答えを導き出せてはいない。けれども、鼓動は早まり額からは脂汗が伝ってくる。
指示を仰ぐようにエリックに目をやれば、分かれ道の先を睨みつけながら言葉をかけることを躊躇うほどの圧力を放っていた。それは僕には見せたことのない、戦士としての姿。
抜剣したエリックが音もなく進み出すとともに、腰に携えていた短弓を手にしたラースがついていく。慌てて僕も隊列を成すために殿へと加わった。戦闘を警戒するこの隊列での役割は足手まといにならないこと、そして退避時の先導だ。
ざわつく胸を抑えながらも、もしもの時に備えて頭を働かせようとするが上手くいかない。見慣れたはずの坑道の暗がり、松明の明かりが届く瀬戸際から今にもなにか得体のしれないものが現れるような気がして恐ろしい。
最後の分かれ道から穴までは実際には大した距離ではないのだが、途方もない時間を彷徨い歩いている感覚をおぼえた。それでも限界まで張り詰めた緊張をなんとか切らさずに辿り着いたのは、関所だ。このすぐ先にある僕らの生活空間を魔物の脅威から守るための関門で、常に数人の戦士たちが見張りについている。
それほど重要な役目に例外などあるはずもないのに、そこには人の姿は影も形も在りはしなかった。だからといって破壊された跡は見当たらず、まるで人だけが消えて無くなったかのような有り様だ。
警戒を最大限に高めながら無人の関所を越えてすぐ先に広がる空間、僕たちの住処である穴へと足を踏み入れた。
煌々と燃え上がる大きな炎が広場の中央に鎮座して、そこから伸びる光が建物だったはずの瓦礫を浮かび上がらせる。石材やレンガで出来たそれらは、尋常ではない力に為すすべもなく破壊しつくされたことを物語っていた。
隊列のことなど頭から抜け落ちた僕は、目に入ってくる光景がどうにも飲み込むことができなくて、一歩、また一歩と前に足を踏み出す。近づけば、崩れ去った日常が焦点を合わせるように形を取り戻すと思った。きっとこれは悪い夢か、幻だ。
だが、明かりに誘われて歩みわかったのは、大きな炎の正体だった。
積み重ねられた人の山。それを二回りは大きな炎が包み込んで、燃え上がっている。
「…ぁ。ぁあ」
自分の口からこぼれ出た音なのか、炎の中の理不尽に喘ぐ怨嗟の声なのか判断が出来ない。
どさっと重みのある鈍い音がした後、炎が大きく波を打った。
いつの間にか炎の傍には真っ黒な狼がいた。
身体は炎よりも大きくて、歯茎をむき出しにしている口は腹を横切ってずっと後ろまで続いている。
目が合った。
真直ぐこっちに向かってくる。
僕の体よりも太くて長い脚はすぐに目の前までやってきた。
そして、視界に収まらないほど口を大きく開いた狼が、僕を飲み込んだ。