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フェオ

見切り発車です。内容は変わるかもしれません。

※多少の手直しをしました。

 

 ここは万物が凍える氷の国。


 生命を育むことは無い死の国。


 …それでも、しぶとく生にしがみつき死に抗う者たちがいた。


ーーーーー


 ツルハシが打ち鳴らす鋭い音は小気味よく、一定の間隔で裂け目(ガップ)に響き渡る。それと共に飛び散る焔石(えんせき)の破片は赤熱し、まるで火花の様に辺りを一瞬照らしてから空気に溶けて消えていく。

 疲労が溜まった足を休ませながら、その様子を僕はぼうっとしながら眺めていた。焔石(えんせき)とは僕たち()()()()にとって生活に欠かせないもので、照明・調理・鍛冶どれを取っても火種がなければ始まらない。


 それほど重要な資源なのだが、採掘には大きな問題がある。


「フェオ!ぼさっとしてないで早く背負子に乗せるぞ!」

「は、はい!」

 

 肩まで伸びた金髪を背で一房に結わえた男、エリックから叱責が飛んできた。僕は慌てて、岩壁から削り出された焔石の塊を、練習した通りに全身の力とてこの力を上手く使って持ち上げた。四苦八苦しながら背負子に載せる僕を傍目に、エリックはもう一つの焔石を軽々と片手で持ち上げて、油断なく辺りを警戒している。


「ラース!採掘は終わった!今から渡るが、そっちはどうなってる!」


 裂け目(ガップ)を挟んだ向こう岸へエリックは問いかけた。ただ、いくら大声で叫ぼうが仲間たちの待つ対岸は遠く、吹き荒れる谷間風に音はかき消され、()()()()()には到底会話が出来る環境にない。


「どうもこうもねぇよ!魔物の数が多すぎる!終わったなら、お前だけ戻って来て手伝え!」


 人影は見えないが、確かに若い男の声が返ってきた。それを聞くや否やエリックは僕に待ってろとだけ言い残し、裂け目(ガップ)に横断してかかる梯子をあっという間に駆け抜けていった。

 取り残された僕といえば、背負子に載せられた二つの焔石の塊を革ひもでしっかりと固定して、鬱々と底の見えない裂け目(ガップ)を覗き込んでいた。なぜ自分はこんなところに居るのかと、ため息を吐きながら今回の遠征隊へ選ばれた理由を思い出す。


ーーーーー


 もともと遠征隊は少数精鋭かつ安全を第一とした、活用可能資源の発見及び未知区域の探索のために組まれたもので、焔石の発掘・運搬はかなり特殊な仕事と言えた。

 しかし、神と巨人の戦争(ラグナロク)から国を捨てて這々の体で逃げ出し、果ての地である氷の国(ニヴルヘイム)の穴蔵へと身を隠して生き延びた人々にとって、植物はもう二度と手に入らない貴重な資源だ。加えて、集落からさらに深くへと降りて横穴を抜け、現れた裂け目(ガップ)を渡った先の炎の国(ムスペルヘイム)にしか採掘場所がないことが重なり、遠征隊は定期的な焔石の確保を担ってきた。

 

 こんな重要な任務に、魔物と戦える腕もない子供の僕が選ばれることはまずあり得なかった。それでもなお必要とされたのは、焔石を背負っても梯子を渡れる体重の軽さと、素早い行軍を行うための強靭な足腰を他ならぬ僕が持っていたからだ。…穴のまとめ役であるエリックの推薦が一番の要因ではあったが。

 臨時起用とはいえ遠征隊に選ばれるのは名誉なことで、最初は僕だって喜んだ。今までは集落の近くでの荷物運びしか任されたことがなかったのだから、これほどの大役が回ってくるとは想像もしなかった。だから、荷物運びに変わりはなくても遠征隊の響きが僕をやる気にさせた。

 

 それからは、今日のために様々な訓練を積んで備えてきた。経路の確認から焔石の取り扱い方、魔物に遭遇したときの動き方、そして裂け目(ガップ)の渡り方だ。鉄製の梯子といえども、大人の歩幅で二十歩はあるだろう距離を跨いでいるために、上を歩けばきしみ、たわむ。さらに、本番は谷間風が無規則に吹き荒れる中を進むため、恐怖に心を呑まれれば待っているのは底無しの闇だ。念には念を入れて、人を背負いながら目隠しをしてでも渡れるように訓練をしてきた。


 だが遠征隊として目的地に到着し、いままでしてきたことは所詮は訓練なのだと、裂け目(ガップ)を目にしたときに、本能が理解した。

 体は竦み上がり、頭は轟音と化した風で埋め尽くされ、心は先に進もうとする足を拒絶する。命あるものが決して近付いては行けないと、有無を言わさずわからされてしまった。

 

「恐ろしいと感じるのはお前だけじゃない。それは、正常な感覚で失ってはいけないものだ。特に、戦えないお前にとっては生き抜くための道標となる」

「で、でもそれじゃ。わ、渡れないよ」

「必要なのは恐怖から目をそらさぬことだ。戦うにせよ、逃げるにせよ、相手が正しく見えねば敵わない」


 言葉を切ったエリックは、僕の肩に手を回して自分の体に引き寄せた。


「フェオ。お前が訓練してきたことを思い出せ。生半可なものではなかったはずだ。…それを胸に、もう一度見てみなさい」


 僕はエリックに言われた通りに、目を閉ざして思い返す。時間があれば訓練して、分からないことがあればすぐにエリックに聞いた。道程だって頭にすっかりいれて、戦闘能力さえあれば斥候だってできるだろう。

 エリックの腕から伝わる熱が冷え固まった僕の体に沁みていくのを感じた。

 目を開いて、割れ目(ガップ)を正眼にとらえる。轟音も底のない闇も確かにある。だけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()


「進める。僕は行けるよ」


 一度強く肩を握った手はゆっくりと離れ、今度は背中を優しく押す。


 その瞬間、僕の体はただ正直にこの恐怖との戦い方を見つけ出した。背にある手をつかみ、エリックに相対するように身を翻して、涙が溢れないように顔を見上げた。


「…一緒がいい」


 数秒、狼狽えたようなそぶりを見せてから、エリックは珍しく破顔して梯子に向けて歩み始めた。


ーーーーー


 あまりにも情けない顛末ではあるが、無事に火の国(ムスペルヘイム)側の岸壁に辿り着いて今に至る。

 一度は渡れたと言え、焔石を背負う次はエリックに先導して貰うことはできないし、荷物がある分難易度は上がる。


「あっちは一段落着いた。今のうちに渡るぞ」


 いつの間にか戻ってきたエリックが、四つん這いで裂け目(ガップ)を覗き込んでいた僕を持ち上げて立たせた。背負子を担ぐのも手伝って貰いながら、心ここに非ずな僕にエリックは声をかける。


「私は先に行って向こうで待つ。渡ってしまえば、あとは私たちがついている。ここで全てを出しきれ」


 伏し目がちに俯く僕を、たこだらけの大きな手で撫でてからエリックは氷の国(ニヴルヘイム)へと戻っていった。


 独りだ。

 そう自覚した途端に、また心が恐怖に呑まれていく。


「違う!違う違う違う!」


 無理矢理に恐怖を声に変えて吐き出し、来るときに渡った心を取り戻そうと目を閉じる。もう、エリックの手はない。体が凍えるように震えている。どうにか自信を取り戻そうとしても、頭に浮かぶのは不安ばかり。

 どうにか目を開けば、しっかりと梯子はあちらへとかかっている。大丈夫、大丈夫と心の中で繰り返しながら、梯子のもとに向かい屈みこんで、梯子を固定している杭に触れた。これだけ丈夫な杭が打たれてるんだ、来た通りに歩けばきっと渡れる。


 気持ちを決め両足に力を漲らせて立ち上がり、右足を梯子に乗せた。焔石の分、足にかかる重みは確実に増えて体を緊張させる。

 それでも、一歩また一歩と着実に歩を進めることが出来た。一度渡れたことで得た自信は、小さくはあるがしっかりと僕の心を支えていた。

 吹き荒れる風もたわむ梯子も、僕をふるい落とすことは出来ないのだ。



 油断。


 どんなに訓練しようと、どれほど真剣に立ち向かおうと、そいつは微かな隙間を見つけて入り込む。

 

 新たに右足を踏み出そうとしたとき、釣られて軸足も少しだけ前へと傾く。いつもより重く、緊張した体。条件は十分だった。


 ずるっ。


 足場と足場の隙間に左足が落ち、踏み出した右足は目標を失い同じように隙間へと吸い込まれる。支えを失った上半身は勢いを殺せずに、咄嗟に着いた腕も焔石の重みに耐えられず、思い切り梯子に頭を打ち付けた。


ーーーーー


 僕、フェオは穴で生まれた。穴とは、戦争から逃げ延びた人々が穴蔵で共同生活を送っていることから、この集落全体をただ「穴」と呼ぶようになったらしい。

 物心ついた時にはすでに両親は亡くなっていたが、悲しいとか寂しいとかそういう感情はなかった。顔を知らないというのもあるけど、ここにいる人たちはみんな支えあって生きていく家族で、父親も母親も兄弟も姉妹も沢山いるから僕は幸せだった。

 

「フェオ。ペンダントは離さず着けているか?」

「着けてるってば!もう、百回は言われたよ…」


 昔からことあるごとにエリックはこの話をする。曰く、これは母親の形見だから大切にしろと。そして、僕の名前を意味する文字でもあるのだと。

 ペンダントは、雫型の木材に文字が一つだけ刻まれた簡素なもの。この文字が僕の名前であるフェオと呼ぶそうだ。

 フェオ、それが意味するものはー


ーーーーー


「ーーー!?ーーーーー!!」

「ーーーー!!」


 遠くからなにか聞こえる。でも、はっきりとは聞こえず意味が頭に入ってこない。いたい。体が自分の物じゃなくなったみたいに動かない。いたい。

 そうだ、僕は頭を打って…。

 

 不意に目が開いた。ぼやけた視界に映るのは裂け目(ガップ)の闇。吹き付ける風が今にも僕を吸い込もうとしていた。

 梯子の幅はそれほど広くない。現に倒れこんだ体を支えきるのには不十分で、少しバランスが崩れただけで落ちてしまいそうだが、焦る気持ちに体は応えることなく、焔石に押し潰されるだけ。

 

 僕は、このまま…。


 諦めが心を覆い尽くそうとしたとき、胸元から滑り落ち視界に躍り出たのは、母の形見だった。

 僅かに動いた右手で、ペンダントを掴む。肌身離さず身に付けてきたそれは引っ掛かりなどなく、滑らかな手触りが心を落ち着かせてくれる。

 もしかしたら、これが母の温もりなのかもしれないと、場にそぐわない想いを抱きながら手繰り寄せる。

 そこに刻まれたのはフェオという文字。

 僕の名前。

 母が与えてくれた()()という意味。




 ペンダントを握った指の隙間から、眩いほどの金色の光が溢れ出していた。


 指先からまるで血が巡り出したように、感覚が戻っていく。体は興奮したかのように熱く、今まで感じたことがないほど神経が研ぎ澄まされ、知覚の根が一帯に広がり情報が絶え間なく頭に届けられる。


 僕は立ち上がった。頼りない足場も、邪魔な風も、重い荷物も無くなったように自然体で歩き出す。もはや、頭に残っているのは恐怖などではなく感謝。お母さんが死の淵にいた僕を助けてくれたのだから。

 

 気がつけば、もうエリックの目の前まで来ていた。僕はなにか言葉をかけようとしたが、厚い胸板に抱きしめられて口にすることは出来なかった。


「良くやった」


 親しみのある感触に安心した僕は、気を失った。

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