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幽幻荘

幽幻荘について説明しなければならない。

それは荘というにはあまりにも大きく、長屋やマンションなどどの言葉にも当てはまらない。

その傾斜がなぜ保たれているのか分からず、外観と内観の広さが一致しているのかさえ疑問である。

ただ木造ということだけが確定した事実であり、それは目であれ肌であれ、触れることで認識できる。

そもそも何処までの敷地を有しているのかが定かではない。

それはひとつの街であり、その乱立する古風な建築物全てが幽幻荘とも言われるし、その中のひとつの棟のみが幽幻荘であるとも言われる。

後者を正式なものと定義するならば僕のいるこの塔が幽幻荘である。

この傾いた塔は他の塔や木造建築に支えられる形で接続されており、他の施設との境が曖昧だったりするのだが、とにかくここが幽幻荘である。

迷路かジャングルか、屋内らしからぬ異名を付けられた空間を歩き、登り、歩きを繰り返すと僕の居着く1613号室に辿り着く。

戸を開くと半畳の玄関に段差をつけて六畳ほどの畳が広がっている。

中央には掘りごたつがあるので、学ランを脱ぐことも忘れ布団に脚を滑り込ませた。

大きな長方形のヒーターの上に置いた薬缶が暖かく湿度を高めているのでなんとも心地よい。

うとうとと天板に頬をつけているとこもり様が帰ってきた。

「こんなにむんむんにして、虫が出ますよ。」

こもり様はヒーターの目盛りを少し下げると窓を少し開けて冬の風を取り込んだ。

せっかく微睡んでいたのに目が覚めてしまったので、掘り炬燵に全身を入れて頭だけを外に出した。

「こら、火傷しますよ。出てきなさい。」

こもり様に上半身を引っ張り出されると「身体の内から温まりなさい」と薬缶から継いだお湯で沸かした珈琲を僕に差し出した。

砂糖と牛乳を多めに入れてやっと冷えた珈琲を啜ると、確かに身体の芯から温まった。

身体が温まるとやはり眠気が襲ってきた為、こもり様の九本もある尾っぽに頭を突っ込んだ。

「あら、もう重いのよ。」

ふっくらとした尾が僕の頭をぽんぽんと叩いた。

厚揚げ色の膨らんだ毛並みの先は白く、手触りは滑るようでふかふかだ。

こうして手や頭を入れると暖かく優しく包み込まれ、心の底から落ち着いてしまうのでこれが癖になっている。

暫くして目を覚ますと僕は布団に横になっており、こもり様は台所で葱を切っていた。

トントントンという刃がまな板に落ちる音で目を覚ましたらしい。

部屋は味噌汁の良い香りが漂っている。

開けた窓から入る冷気と相まって心地よく鼻腔と肺を満たす。

薄い水色の空がすっかり濃い紺に変わっていたので一、二時間は寝ていたのだろうか。

「もう、夜に寝れなくなっても知りませんからね。」

こもり様はこちらも見ずに僕の起床に気づいたらしい。

肉じゃがと焼いた秋刀魚、味噌汁と白飯が天板に並べられた。お新香も秋刀魚の横に添えられている。

いつもの様に食べる速さを窘められながら次々と箸を運んでいく。

白米を中心に肉じゃがや秋刀魚を交互に摘んでいくと米の粒立ちや甘みをとてつもなく強く感じる。

それを味噌汁で流すと喉に旨みと塩分が染みわたる。

全身が隈無く暖まって力が湧いてきた。

先程の珈琲も回ってきたのか、いてもたってもいられない気分だ。

食器を泡立てて洗い落とすと、脱いだ学ランをまた身に纏って外に出た。

「早く帰ってくるのよ〜。」


長い廊下は窓から差し込む光が没してる為に先が見えない程真っ暗だ。

これはこの廊下が長すぎる事が要因でもあるが。

その長い廊下の突き当たりから右に折れた廊下を見るとその少し先に階段が見えた。

その階段を幾段か下ってまた廊下に出ると、奥に不気味な店舗が密集しているのが見えた。

ドアを無理やり剥がした長方形の穴の先にまた雰囲気の異なった施設群が存在しているのだ。

これは傾いた幽幻荘を支える他の建造物、酩酊会館だ。

酩酊会館は飲み屋やタバコ屋や賭場があったりと大人向けの施設だ。

外観を遠目から見ると立派な装飾の入口のドアがあるのでひとつの大きな施設に見えるが、近くで見ると違法建築の小さなブロックが密集していることが視認でき、実は歪でゴツゴツとしたビスマスの様な見た目であることが分かる。

傾いた幽幻荘と酩酊会館の接合点であった1103号室をぶち壊してそのままフロアを繋げている為、僕は幽幻荘から地上に降りることなくこの施設に入ることが出来るのだ。

これは酩酊会館だけの話では無く、他の幽幻荘を囲む施設も同じ様に部屋をぶち抜いてフロアを繋げている。

もっと言えばここいらの一帯は所狭しと施設が並んでいる為に、施設同士が繋がりを持つのは幽幻荘に限った話では無いので、地上に何年も降りずに生活している住民まで存在する。

薄暗い紫のコンクリートは正に洞窟の様で、その暗闇に店先のネオンや提灯が怪しく輝いている。

大人向けの店が多いのでこもり様には近づかないように言われているが、僕はここが好きだ。

大人ばかりという訳でもなく、飲み屋のブロックの対岸の駄菓子屋に子供が数人集っていた。

屋内だと言うのに天井まで付いた施設で、さながら小さな家をデパートに押し込んだような雰囲気だ。

その赤いトタンの屋根は茶色のサビが垂れており、子供がアイスを舐めながら座る水色のベンチも、地の木の色が剥げて見えていた。

マネキンの様な笑顔をした、妙にリアルな画風の栄養ドリンクのポスターを横目に僕は入店した。

白髪の老婆は「いらっしゃい。」と言ってブラウン管テレビに顔を向き直した。

僕は狭い店内にびっしりと詰められた駄菓子を見渡して小さなヨーグルトを四つ取った。

お会計の前に横の冷蔵庫から炭酸飲料を二本取った。

「ちびっこヨーグルトが四つとミニ・シャンパンが二つで240円だよ。」

ポケットから出した財布から丁度の額で支払った。

「シャンパン飲んだらちゃんと瓶をカゴに入れるんだよ。」

外に置いてあった瓶開けで炭酸を零さないように慎重に瓶を持って栓を抜いた。

僕はさっきの子供が居なくなっていたので水色のベンチに腰掛けてシャンパンを飲んだ。

シュワシュワと独特の甘みが弾けて美味しい。

行き交う人やラーメンの屋台で賑わう背中を見ながらボーッと炭酸を片手に過ごした。

中身が空になったので赤色の瓶籠に瓶を入れて去ろうとしたが、駄菓子屋の老婆に呼び止められた。

「あんたまたお手伝いしとくれよ。

シャンパンの瓶は回収しなきゃならんのに返さん奴が多いから困るんじゃ。そいつらからまた回収してきておくれよ。小遣いもやるから」

小遣いが貰えるのならば仕方が無いと了承した。

「ちゃんと500円取ってくるんだよ!」

老婆から貰ったリストによるともぐらが瓶を二つも滞納しているらしい。

つまり1000円を回収しなければ。


酩酊会館を玄関から抜けて地を踏むと、湿気った土の感触がした。

数年この大地を踏まない者がいると言ったが、僕もなんだか久しぶりな気がする。

メモを頼りに暫く右往左往しているとボロボロの立て看板が地面に突き刺さっているのが見えた。

[もぐらの家 ここの↓]

メモによるとこの地で地団駄を踏むと何事かとひょっこり頭を出すらしい。

それに倣って僕も足を踏ん張って地を鳴らした。

すると中からずごごごと大きな音を鳴らしながら大地を割って土色の龍が現れた。

細長い体の節々に一対の腕を有し、首周りに枯葉の様なカラーを巻いている。

尖った口先はバクのような丸みと鋭さがあり、龍というにはいまいち威厳に欠けた。

「何の用だいうるさいな。」

僕は駄菓子屋の店主から預かっていた請求書を突き出した。


《請求書》

もぐらに一〇〇〇円を要求す。

あばら屋 店主


「ええ、千円も!?何かの間違いじゃないの?」

ん!と再度請求書を突き出した。

僕の小遣いが掛かっているのだ。

もぐらは「わかったよ...」と言って土の被った500円玉2枚とミニシャンパンの空き瓶を僕に渡して土の中に帰って行った。

僕は来た道を迷いながら戻っていき、駄菓子屋の赤い瓶籠に二本の空き瓶を突き刺してから老婆に1000円を渡した。

「すまないねぇ。ほれお駄賃じゃ。」

しわくちゃの手から500円玉1枚が渡された。

僕は冷蔵庫に入れてもらっていたちびっこヨーグルトとミニ・シャンパン一瓶を片手に1615室に帰って行った。

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