【コミカライズ】屈辱的な婚約破棄をされたら大嫌いな幼馴染が求婚してきたけど思い通りにはさせません!
きらびやかな舞踏会場に、いやに芝居がかった声が響く。
「ああ、ごめんなさいキルフェア・レンディール侯爵令嬢!どうかそんな怖い顔をなさらないで。私、本当に貴方に悪いと思ってるのよ…ぐすっ。どうか婚約破棄されたからといって気落ちしないで下さいね!」
(いや、怖い顔って、これが地顔なんですが……?)
たった今婚約を解消されたばかりなのは私の方なのに、呆れたような視線や非難の眼差しはなぜかこちらに向けられていた。まるで私が追いつめて泣かせているような空気にヒヤリとする。
こちらこそ泣きたい気分なのに、私の顔はショックのあまり硬直したままだ。
「……大丈夫よ、プリム令嬢。貴方こそ私の分までお幸せに」
レンディール家の体面のため喉から絞りだすけれども、自分の婚約者を奪っていった相手にこんな言葉をいうのはかなりの屈辱だった。
しかも婚約破棄を認める王印付きの書状をつきつけたのは婚約を交わした王家でも第三王子本人でもなく、その新しい婚約者になるであろうプリム伯爵令嬢だった。一体どこまで馬鹿にされているのだろう。
先ほどまで私を無視してプリム令嬢をエスコートしていたはずの婚約者、いや元婚約者はいつの間にか会場から居なくなっている。
心配しなくても泣いて縋るつもりなどないのに。
無愛想で平凡な私は婚約の決まったこどもの時からフィンレー第三王子に疎まれていた。
しかも婚約した後のレンディール侯爵家は両親の事故死にはじまり、代行当主の浪費にスキャンダルと不幸が続いて今や名ばかりの落ち目貴族だ。
フィンレー王子が可愛らしいプリム令嬢と恋に落ちても仕方ないのかもしれない。
だけど流石にこんな公衆の面前で婚約破棄などという辱めを受けるとは思わなかったけれど。
「私は本当にそんなつもりじゃなかったの。でも殿下の強いご希望で、どうしてもと仰るから仕方なく。どうかそう睨まないで下さい」
「ですから私の目つきはこれが普通ですわ、令嬢」
「そうなのですか?でも、私本当に怖くて……」
うるうると瞳を潤ませれば、彼女の華奢な容姿と相まって、それは庇護欲を搔き立てる。
ああ彼女は本当に可愛らしいわね。
思わずため息をつくのと、プリム令嬢の明るい声が響くのは同時だった。
「ですから、新しいお相手にロント辺境伯をご紹介しますわ!彼は広い領地を治めている立派な方ですし、奥様を亡くされてずいぶん経過していますもの」
20歳以上年の離れた三人の子持ち、いや孫持ちの辺境貴族の名前を出され、ゾッとした。
なんてことを言い出すの!?
「い、いいえ、プリム令嬢。私しばらくは一人で今後の身の振り方を考えたいと思っておりますの」
「だって私にも少しは責任がありますもの。大丈夫、私からお願いすれば必ずフィンがお二人を婚約させてくれますわ!」
もう公衆の面前で愛称呼びなのかとそんな言葉一つにも引っかかりながら、そんなこともどうでもよくなるほど慌てた。
まずい。強引にでもそんな話が持ちあがれば、落ち目の我が家では断りきれなくなってしまう。思わず助けてくれと神に祈ったが、当然聖女でもなんでもない私に奇跡など訪れるはずもない。
しかし神ではなく別の救いの手は現れた。
「発言を失礼致します、ルルリア伯爵令嬢。彼女の婚約相手を決めるのはもう少しお待ち頂けないでしょうか」
それは幼い頃からよく知った声だった。
元は男爵家の養子にしかすぎなかったはずが魔術師としての能力を高くかわれ、伯爵位を叙爵された異例の天才魔術師。世界最高峰の研究機関であり魔術師全ての憧れである、あの『知識の塔』にもいずれ召し上げられるであろうと噂されている人物。
私の幼馴染であり、今はほぼ絶縁状態だったはずのアディス・グロウ伯爵がすぐ側に立っていた。
なんでこのタイミングで貴方が?
せいぜいいつものように令嬢を侍らせて、軽薄な笑みを浮かべているのだろうと思ってた。
「まあアディス様、どうしてですの。私は彼女に与えられるはずだったものを与えたいだけですわ」
「先ほどから何か焦っているようですが、別にそれほど急いで決める必要はないでしょう?せめて、あと五分だけでも考える時間を差し上げては」
プリム令嬢が親切な令嬢らしく優しく微笑めば、アディスはそれ以上の美貌と色気ある微笑みで返す。途端に周囲にはアディスの言い分が正しいような錯覚が生まれた。
無駄です、プリム令嬢。周囲の印象を操作する術にかけてはこの男に勝てるわけがありません。
「い、いえ別に焦ったりは……でもたったの五分では何も変わらないのでは?」
「さぁ、彼女次第では劇的に変わるかもしれませんよ」
アディス、よくやってくれたわ!
いつもはにやけた横顔を引っぱたいてやりたいと思っていたけれど、今だけはキスしてあげたい気分よ。
その五分で体調不良になり、すぐさまこの夜会を逃げだそう。そう決めてスカートの下でこっそり走りだす構えをしていると、彼はツカツカと私に歩みより膝をついた。
「キルフェア・レンディール侯爵令嬢。どうぞ私を新しい婚約者としてお選びください」
「…………はあ?」
一瞬全く言葉が理解できず、ぽかんと口を開けてしまった。
驚きよりも呆れかえって言葉が出てこない。
今日までほぼ絶縁状態だったはずの幼馴染はにこやかに手を差し伸べていた。
「幼い頃より貴方だけを想ってます。将来を誓い合った相手がいるのだと諦めようとしてきましたが、今、許されるなら共にいる権利をお与えくださいませんか」
跪き、私の手に愛おしそうに口付ける彼に周囲がどよめいた。
大観衆の中で行われたプロポーズに期待と興奮をする婦人方と、金切り声をあげて卒倒する令嬢達。遠巻きに見ていた男性陣達も、予想外の展開に興味をひかれているようだ。
(今度は一体どういう魂胆なわけ!?)
大嫌いな相手にこうも熱烈な演技ができる彼の器用さに眩暈すら感じる。
なるほど。そこまでの厚顔でなければ男爵家の遠縁で養子になっただけの子供が、王太子殿下の側近候補にまで昇りつめられるはずがない。
悪い意味で自分に正直すぎる私には、到底真似できない芸当だ。
私の冷ややかな顔は、しかし周囲にはいつものことと流され、固唾をのんで見守られている。
「心配しなくても後で責任はとるよ、約束する。それよりすぐそこにロント辺境伯領に駆けつけるための馬車が用意されているみたいだけど、これがプリム令嬢の提案を断る最後のチャンスだとは思わないか?」
小声で囁く幼馴染に不信感しか無かったけれども、ゆっくり考えを巡らせている暇はなさそうだ。
最初の驚きから立ち直りつつあるプリム令嬢は今にも何か言い出しそうな顔をしている。
受けても地獄。断っても地獄。
私は瞬時に苦渋の決断を下すと彼の手を取った。
「……今度はどんな利用価値があって芝居をしているのか知らないけれど、この代償は高くつくわよ」
「本気にしてもらえず残念だ」
(こういうふざけた所が嫌いなのよ!どうせまたあの時みたいに……)
暗い感情が蘇りそうになり、頭を振った。
今は、目の前の事だけを考えよう。
「お申し出ありがとうございます。謹んでお受け致します」
わっと会場が沸き、なにかを言っていたプリム嬢の声がかき消された。
冷えきった気持ちで彼を見下ろす。
彼の顔はまるで長年の片想いが実ったかのように紅潮し、喜びに打ち震えているように見えた。
はぁ、まったくもって素晴らしい擬態だわね。
◇◇◇
出会いは10歳にもならない子どもの頃だった。
「はじめまして。お会いできて光栄です」
初めて対面する彼は、なるほどうわさ通り眩しさすら感じる愛想のよい少年だった。否応なしに劣等感を刺激され、いつも以上に顔が強張る。
「キルフェア・レンディールと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
私は表情を取りつくろえないまま、所作だけは完璧に挨拶した。
(ああまた不愛想だとか機嫌が悪いとか、睨みつけられたなんて言いふらされるのだろうな)
最初にそれを指摘してきたのは婚約者のフィンレー王子だった。
愛想笑い一つできない私は酷く詰られ、周囲を見下しているからそんな態度なのだろうと決めつけられた。元々表情が乏しかった私はそれ以来余計に笑顔が苦手になってしまい、気がつけばあっという間に差別的で高慢な令嬢だと噂されるようになっていた。
そんな過去があったのでアディスが来ることは二度目は無いだろうと全く期待していなかったのだが、予想は外れてちょくちょく遊びに来るようになった。
(彼の養父であるグロウ男爵とお父様は旧知の仲だから、仕方なく来ているのね)
何度か顔を合わせているとだんだん私の警戒心も薄れ、ぽつぽつと会話らしいものをしたり一緒にお茶を飲んだりするようになった。
そうやって彼が我が家に出入りするようになる頃不思議な出来事が起こるようになった。それまで屋敷中の使用人達に嫌われていたはずなのに、長年の誤解がとけて関係が改善した。無くしたはずの宝物が出てきたり、気のせいか苦手なフィンレー王子の訪問も減った気がする。
やがて私はすっかり彼に気を許して緊張しないで済むようになり、彼も他の人の前の猫かぶりのねこは脱ぎ捨てていた。
それが一変したのは、彼がいよいよ15歳になり、社交界に出るパーティーでパートナー役を断った時からだ。
「え、まだ第三王子と婚約してるってどういう事?とっくの昔に解消されてるって噂だったけど」
「しょっちゅう別の女性をエスコートしてるし、彼が私を疎ましく思ってるのは有名な話だけど、一応まだ婚約解消はされてないの。だから他の人と一緒には出席できないんだよ。ごめんね?」
説明している間アディスは世界の終わりのような顔をしていた。
だけど私が断っても、アディスのパートナーになりたい子は沢山いる事を知っている。この年頃の子が自分からパートナーを誘うのは恥ずかしいから、手近な私なんかで済ませたかった気持ちはよく分かるけど、これを機に頑張ってほしい。
そのような事を考えたし、実際彼にもそんなニュアンスで伝えたのだが彼の顔色は戻らなかった。
それ以来彼はピタリと遊びに来なくなってしまった。
(せっかくの誘いを断ったのは悪かったけれど、いくらなんでも怒りすぎじゃないかしら)
それでもそのうち許してくれるだろうと呑気に構えていたのだが、あまりに無視をされていくうちにこちらも意地になった。私達の間には友情があると信じていたのに、彼にとっては一度の誘いを断っただけで終わるような軽いモノだったのだろうか。それにたまに夜会で出くわす度に色々な女の子達に囲まれているのを見ると、自分でも信じられないくらい腹が立った。
そしてついに、はちあわせた夜会で言ってしまった。
「貴方なんか大嫌い、二度と気安く話しかけないで!」
そんな出来事のすぐ後、彼は魔法学の盛んな国に留学してしまった。手紙の一枚すらなく人の噂でそれを聞いた時、本当に縁が切れたのだと実感した。
多分、ダンスのパートナーを断った件はきっかけに過ぎない。その前から、平凡で、上手く笑う事も出来ない私に嫌気がさしていたんだ。そう思ったら胸の奥がずんと重くなって、以来もっと笑えなくなってしまった。
最初からわかっていた。
別に彼は好き好んで私といたわけじゃない。養父になったばかりのグロウ男爵を喜ばせるために、仕方なく相手をしてくれていただけ。その養父とも、男爵家には負担になるであろうほどの学費を支払うほどに、強固な信頼関係を築けたようでなによりだ。そのために私一人で勝手に傷ついて、馬鹿みたい。
そんなつまらない事をもう何年も前の事をいつまでも気にしているのは私だけ。彼にとっては思い出しもしない過去なのだろうけれど。
それで終わりの話だった、はずなのに。
◇◇◇
「ほら、このケーキとっても美味しいよハニー。あーん」
もはや抵抗する気力さえない私は力なく口を開いた。
甘いあまい、通常の倍は砂糖が入ってそうなケーキが口の中に押しこまれる。
アディスに招かれた私室のソファーは驚くほど座り心地がよく、そこに向かい合わせではなく隣同士座っている。
一体、この状況はなんなの……。
信じられないことにあの婚約破棄からのプロポーズの後、花嫁修業の為とかなんとかでアディスの所有する屋敷でお世話になってしまっている。
私はケーキを飲み下すとジロリとアディスをみた。
「ハニーだかシロップだかしらないけど、馴れ馴れしくしないでちょうだい。なんの企みでこんな演技を続けるのよ」
「企みなんて心外だな。言ったでしょ、昔から好きだったって」
小首をかしげ、何故伝わらないのかと不思議がる。視線が重なれば愛おし気に微笑む様子は真に迫っていて、過去の出来事がなければうっかり信じてしまいそうなほどだ。
いや、騙されるな私!
「キルフェアは自己評価が低いよね。ずっと可愛いし魅力的だって何度も言ってるのに」
「そう言えば喜ぶとでも? 私を貴方のお友達たちと一緒にしないで頂戴」
「もしかして夜会で挨拶している子達の事なら、向こうだって本気じゃないよ。俺はちゃんとした貴族じゃないからね」
そういって自分の口にもケーキを入れ、いつもの軽薄な笑顔を浮かべている。
あの子達が本気で好意を持ってないですって?びっくりするほど何も分かってないのね。しかも全く疑うことなくそう思ってそうな所が空恐ろしいわ。
一体何があったらこんな人間不信になれるというのだろう。
私は咳払いを一つし、本題に入る事にした。
「それで?王太子殿下とどんな陰謀を巡らせているのかしら」
「陰謀だなんてとんでもない。殿下の望みは王室の安定と繁栄だけだよ」
「……その安定に、フィンレー王子が邪魔なのね」
アディスは肯定も否定もしなかった。
ある程度の予想はついていたけれど、やっぱりそうなのか。
長年虐げられていたとはいえ、こういう結末になるのを止められなかった自分に不甲斐なさを感じる。
長年の婚約者を放りだして別の女性に声をかけるような人間が、他では途端に礼儀正しくなって正常な判断をしてるわけがない。
フィンレー王子の周囲ではいつもトラブルが多発していた。
いつだったかこうしてみてはどうかと私から提案をした事もあったが、女のお前に何がわかる、余計な口を出すなとものすごい剣幕だった。
それでもお前がしっかり支えてさしあげろと周囲に圧力をかけられ続けたが、私なんかに何かを出来るはずもない。
そんな彼は、王家の弱みに付け込もうとする貴族派の連中にとっては恰好の餌食だろう。あの婚約破棄された日、会場にいたのは彼等とごく親しい下級貴族だけだったが、高位の貴族達は顛末を聞いてどう感じただろうか。
プリム令嬢は王子と親しくなり伯爵家の養女になる前は、とある大商人の娘だった。
「いくら私が不出来でも侯爵家令嬢に違いはないもの。高位貴族である私を下ろして平民出身の令嬢を正妃にしようだなんてすれば彼らは黙っていないでしょうね」
王族の勝手な振る舞いを見逃せば、貴族の権威が損なわれると危険視する者は多いだろう。
「王太子殿下はあんな調子の弟君が、いつか政治的に致命的なミスを犯すんじゃないかと憂慮されている。実際その兆候はいくらでもあるし極めつきが今回の婚約破棄だ」
「彼はこれからどうなるのかしら」
「どうだろうね?だけど王家は弱みになるような付け込まれる隙は徹底的に排除するんじゃないかな。たとえ一片のシミだって残しはしないと思うよ」
シ……シミ?
これは、かなり重い罰が科せられるのかもしれない。
哀れに思いながらもどこか自業自得だと冷めた気持ちがある私は、かつて王子に言われたとおり心の冷たい酷い人間なのだろう。
◇◇◇
それから数日後。
フィンレー王子は遠方の国境警備を任命されることになった。
警備といっても深い森に阻まれ何年も何も起きない、ごく平和で、しかしとてつもなく王都から離れた地域だった。なぜか急遽決まってしまったので出陣式や式典を催されることも無く、その次期婚約者であると噂されていたプリム令嬢もいつの間にか姿を消した。
もっと大きな厳罰を下されるかと思っていたのでかなり拍子抜けな結末だった。
嫌な思い出が多い二人だけれど、もし何か残酷な目にあっていたらとても寝覚めが悪かっただろうから、これでよかったのだろう。
だけど何故だろう。
なんだか私は、二度とフィンレー王子を見る事は無い気がした。
「はい、あーん」
「だから目論見は全部バレてるのに、どうして茶番に終わりがないのかしら?」
今日も口の中に甘すぎる幸せが詰め込まれている。
アディスは甘いものは苦手なはずなのに、出されるケーキはなんでこんなに砂糖飽和状態なのだろう。
何をさせられるのかと警戒していたにも関わらず、結局私の出る幕は無いまま処分は終わってしまった。なのになんだかんだと引き留められてまだ伯爵家に厄介になっている体たらくだ。
「まあいいじゃない。キミ一人の面倒くらいみる甲斐性はあるよ。気が済むまで俺の恋人として自由に暮らしてくれればいいんだ」
アディスの低い声が耳元で囁かれ、いつの間にか手を握られる。
ちょ……近い、近すぎる!!
私はその整った顔面を両手で押し返した。
「いい加減にして!恋人って一体なによ、代償は高くつくって言った言葉を忘れたようね!!」
「……ごめん、ふざけすぎた。時期が来ればちゃんと婚約は解消するよ。責任をとって出来るだけ条件のいい新しい婚約者も用意するし、希望する相手がいるならそいつの名前を教えてくれればいい」
聞こえはいいけど、またしても私を都合よく切り捨てようとする言葉を聞いて私はカッとなった。
今更私にどんなまともな貰い手がいるというのだ。
例え伝手があったとしても、私のような不良物件を強引に押し付けられる方の身にもなってみなさい!
「貴方のいう責任って、そんな事だったの?ガッカリだわ、アディス・グロウ!」
「ガッカリって……何がそんなに不満なの。まさかまだフィンレー王子に未練があるっていうのか?」
「そんな訳ないでしょ!!っていうかね、全部わかってるのよ私。今日まで貴方との婚約がだらだらと長引いた本当の理由を!」
ふんぞり返る私を、アディスはとても胡乱げな目でみた。
なんなのかしら、そのとっても失礼な事を考えていそうな顔は。
「うーん……本当に分かってるかなぁ?」
「ずばり貴方、約束したものの婚約者が決まらなくて困っているんでしょう?それを直接私に言えなくてはぐらかしてたのね。当たり前よ。私なんかに次の縁談なんてあるわけないじゃない」
「うん、やっぱり清々しいほど分かってないね」
「あの時プリム令嬢にロント辺境伯の話を持ち出された時だって焦ったわ。引き取り手のない私を権力でごり押しして押し付けるだなんて空恐ろしい……そんな罪深い事しなくて済んで本当に良かった」
「そっちの方向で嫌だったんだ?!」
アディスは何故か強いショックを受けているようだった。
何を当たり前の事を言っているの?辛うじて侯爵令嬢という身分くらいしか取り柄の無い、平凡でつまらない女だもの。どんなに婚約者に疎まれても長年耐え続けていたのは、他に私に選べる道が無かったからだ。
「はあ……。本当にアンタっていつでも俺の予想を裏切るよね。こんな事、他の人じゃ無いんだけどな。っていうかさぁ、20歳も年上の子持ちでもいいなら俺でいいじゃん」
何やら両手の中に顔を埋め何か呟いている。
悩み多き年頃なのだろう。
しかしそんな事は関係ない。人生なんでも人を思い通りに動かせると思ったら大間違いだって事、私が教えてあげるわ!
「いいこと、誰かに押し付けず貴方自身が責任をとって私と結婚するべきよ!」
「……………………。は?」
普段はどこかすかしたようなアディスがぽかんと口を開けた顔はなかなか見物だった。
「そんな事言われるとは思わなかったって顔ね?甘いわよ、あれだけ大々的にプロポーズしちゃったんだし、貴方側から断れると思わないことね!」
前から思っていたのだが、都合よく利用したり用が無くなったら捨てようとしたり、ちょっとこの幼馴染は倫理観がなさすぎる。
いくら彼でも好きでもない上に何の得にもならない妻を持つというペナルティを受ければ少しは後悔して己の行いを反省するだろう。いわばこれはお仕置きだ。ほほほ。昔言葉一つかけずに留学された事、未だに根に持っているのよ。
……まあ私も鬼ではないから、ゆくゆくは彼が心から愛する女性が現れればそっと退散してあげてもいいけれど。
(そうなれば貴族令嬢としての価値の無い私は平民として生きるしかなくなるのかしら。何か仕事を持てるように手に職をつける?必要なのはまず家と仕事と…投資もやってみようかしら)
堅実な将来の計画を考えていると、ゆらりと立ち上がる気配を感じた。
アディスは信じられないものを見るような目つきで私をみている。
「俺は平民の血が流れてるんだよ?信じられない、アンタ本気で言ってるの」
「そんな事10年前から知ってるけど?」
私の言葉が予想外だったのか、アディスは穴が開きそうなほど私の顔を見た。
かと思うと今度は声をあげて笑い出した。
……うん?なんか反応がおかしい。
私はただアディスの鼻っ柱を折って悔しがる様を見たかっただけなのに。
生意気な幼馴染の計画を阻止してやった……のよね?
◆◆◆
初めて見た時のキルフェアは本当に生きてるのかと思うほど表情がない子供だった。
特に盛り上がることも無く終わった初対面だったが、時折遊び相手として連れ出されるようになった。どうやら俺以外の子供はニコリともしない彼女に音をあげたらしい。
何度も顔を合わせるようになって驚いたのは社交界デビュー前にして歴史や言語、算学や魔法学まであらゆることに精通している才女だということだった。無愛想であるけど顔立ちは整っているし、所作の美しさはあらゆる他の令嬢達の中で群を抜いていた。
なにより出会った貴族の中で唯一、俺を平民だと馬鹿にせず、また可哀想な子供だと同情したりもしなかった。
「私みたいな平凡で取り柄のないつまらない人間、家が決めた通りの婚約者と結婚して、邪魔にならないように生きるしかないわよね」
どうしてそんな勘違いをしているのか、その時は不思議でしょうがなかった。
頭は悪くないはずなのに、自己評価がおかしい。
全てが終わり、窓の外を見ながら王太子が呟いた。
「密かに処刑してあげようと思っていたのに。本当に生かしておいていいのかい」
「ええ。彼の犯した罪は重いですが、王族の血はなによりも尊重されなければなりません」
口にした言葉が上辺だけのものであることは王太子もお見通しだろう。
婚約者である第三王子は事あるごとに人目のあるところで彼女を貶めて軽んじた。王族である王子に気に入られてないと感じた貴族連中は追従するように彼女を馬鹿にした。
底辺貴族であるオレの周辺ではわからなかったが、第三王子の婚約者を見下しておけば機嫌がとれるというのは長い間暗黙の了解だったらしい。その風潮に真っ先に乗ったのは当主代理の立場を返上したくなかったキルフェアの生家、レンディール侯爵家だ。
「私としては弟の純愛を貫かせてあげても良かったんだけどね。まあキミが相手じゃ分が悪かったかな」
「純愛?あんなものは歪んだ自己愛の延長です」
「手厳しいね。本当に愛してるなら相手の全てが欲しいものではないのか?他の誰かと仲良くするなんて耐えられないし、羽ばたいて遠くに行かないように翼を切り落とさなくては」
「全く理解できませんし、そのためにかえって彼女を失う原因になったのだから笑えませんね」
今回の婚約破棄騒動は全てプリム嬢の独断と暴走だった。
彼女は今まで愛情表現だと思っていた行動の全てが他の女の気をひくための茶番だと知ってどんな気持ちだったのだろうか。
第三王子はキルフェアと婚約破棄する気なんて最初から無かった。
支配するためだけに幼い頃から洗脳し、他の道を選ばないように依存させる。実際、女性一人では生きていけない貴族社会の中でそう思い込ませるのは難しい事ではなかっただろう。
両陛下が視察のため王都を離れたすきに偽造した婚約破棄の書状だって、キルフェアにだけ見せつけてさらに追い込むつもりだったのだろう。そんな犯罪証拠をずさんに扱い、あげくプリム令嬢に盗まれたのだからお粗末すぎるとしかいいようがない。
「キミが僕に出した条件は二つ。一つは王家の懸念である弟を断罪する事。もう一つは彼女に望む通りの縁談を用意する事。……でも、それはもう必要ないのかな?」
「どうでしょうね。今は他に選択肢が無いと思い込んでますが、自身の可能性に気がついてしまえばあっさり捨てられるかもしれません。昔から予想がつかない人なので」
「まぁなんにせよ、僕は出来る限りのことはしてあげたつもりだよ。そして今度は君が僕のために働く番だね」
「ええ、わかっています」
王太子の弟は今、とある場所に幽閉されている。
安易な死など与えてやるものか。
これから彼女が自分のいない場所で幸せになっていくのを絶望しながら見ているがいい。
退室する直前に、王太子の低い笑い声が聞こえた。
「けなげだね。彼女のために最年少で『知識の塔』に呼ばれた栄誉を蹴って、僕の手駒になる道を選ぶだなんて」
屋敷に戻ると、執事が今日の彼女の様子を事細かに報告してくれる。
「そういえば、料理長から確認がありましたよ。いくらなんでもケーキに使う砂糖の量が多過ぎるのでは無いかと。ご主人様は甘いものが苦手なので気をもんでいるようです」
「いや、良いんだ。隠しているようだけど彼女はとんでもない甘党だからね。病気にさせるわけにはいかないけど、ケーキの一つや二つくらい問題ないだろう」
「そうなのですね。かしこまりました」
あの甘すぎるケーキは彼女専用だ。
他人の目が無い時、彼女がこっそり紅茶に7つも砂糖を入れている事を他に誰が知っているだろうか。いつもの仏頂面がケーキを頬張る瞬間だけはほんの少し緩むのがたまらなく愛おしい。
俺は幼馴染の小さな秘密に思わず忍び笑いをした。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
「面白かった!」
と思っていただけたら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークもいただけると本当にうれしいです。
何卒よろしくお願いいたします。