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ファイアーストーム --寮と酔っ払い--  作者: 音十日(おととい)
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7,アダナ:センゴク、   、ベンケイ

7,アダナ:センゴク、   、ベンケイ



 階段の踊り場。


 暗がりの中、汗で黄ばんだ道着を着た小柄な男が立っていた。目があった瞬間に、スッと目の前に彼の両手が伸びて来た。大きく背後へ距離を取ると、壁に背が付いた。全裸 (ほとんど)であるが故に背中が冷たかった。


(組み手争い……? 柔道家か)


「あ、アダナをホウガン……」


(確か……自分の入る少し前に、柔道の全国大会出場者が在籍していたはず、その方だろうか)


 グイグイと圧を掛けられ、イメージが浮かぶ。昔シゴかれたことがあった。際まで追いつめてから、小内刈りで崩してからの背負い投げ、それが来る予感。そして判っていたところで、かわせないそれくらいの実力差があることは、一目見て判った。体の芯がしっかりしていてブレがない、一つ一つの動きにバネの良さを感じる。俺とは違う。


(簡単に負けるわけにもいかない)


 負けじと威嚇じみた叫び声を出し、逆にこちらから近づく。全裸の男が大声をあげて詰め寄ったことに一瞬相怯んだが即座に、それが心の弱さから発せられた大声であることに感づいたのだろう。すぐに落ち着きを取り戻した。


 バシバシと伸ばした両手が叩き落とされ、手首を容易く取られた。


(一本背負いが来る)


 気づけば彼の背が、潜り込むように自分の胸の前にあった。


 判ったところでどうにもできない。精一杯後ろに体重をかけたが、彼の背から引力でも発せられているのように、体が引き寄せられる。肋骨が彼の背に当たり、潰され痛んだ。


「ウッ……」


 持ち上がる。足が浮く。完全に背に乗せられた。自由な片手で相手の首を絞めようとするが、それが間に合うとも思えない。そもそも片腕で絞めなどやったこともない。どうにもならないかと諦めかけた時、意識が飛んだ。


 気が付けば、投げられる寸前の状態で止まっていた。自分の体は彼の背の上でほぼ地面と水平になっている。


(時間が止まった? いや、違う。今一瞬首が締まった。フンドシが何かしてくれたのか?)


 チラリと後ろを見ると、階段の手すりにフンドシの先が巻き付いていた。どうやら自律的に動き、投げられるのを阻止してくれていたようだ。意識が落ちてまずいと判断してくれたのか、今フンドシは首元を離れ両足首に巻き付いていた。


 足首、フンドシ、階段の手すり。順番に繋がっている。体は伸び切り、木製の手すりはミシミシと音を立て、今にも壊れてしまいそうだ。


(今は耐えるしかない)


 しかし、相手もおそらくは引けないだろう。これで決められなければそれは、それは精神的な敗北を意味するからだ(特に根拠はない)。


 大岡裁きを思い出す。いや全然違うか。足が千切れそうだ。だが、辛いのは相手も同じはず、無理やりにでも投げようと、力を込めている。


(ここが勝負どころだ)そうは思ったが、ほとんど自分は何もしていないことに気づく。だからもう一度、彼の耳元で大声をあげた。彼がギクッと体を震わせた。


 その時、バキバキッと背後で音がして手すりの根元が折れた。変なタイミングで大声を出したせいか、綺麗に投げられることはなく、彼と私は前転するようにバランスを崩して転がった。


 私の方が体に疲れが残っていなかったため、先に立ち上がることができた。その時、壊れて飛んで来た手すりに体が当たってまた倒れた。


「……俺を守ったのか?」道着を着た彼が手すりをどかして、こちらに手を差し伸べてくれた。


「偶然です。たまたまそうなっただけです」手を取って立たせてもらう。正直もう少し休んでいたかったのだが。


 彼は目を瞑り、潔く言った。


「……負けだ。本来、俺が守らなければならなかった」


 階段を降りる彼の背に礼を言い、別れた。


(確か、アダナをセンゴクといっただろうか)



/



 振り返り前を向いた瞬間、また道着を着た男が目に入った。認識したその時にはもう、片足があがりバランスが崩れていた。そのまま引きずり倒すように、廊下に叩きつけられた。


 フンドシがクッションになり衝撃を少し殺してくれた。


「グッ……ウッ……」


 肺が痛んだ。不意打ちとは卑怯な……。


 悔しいが見事な内股だった。一瞬でやられた。体が上から下まで、しっかりと連動して動いている。体幹が尋常ではない。センゴクさんとは違い、上背があった。


「アダナをホウガン……」


 強いのは間違いないが、尊敬はできない。


 不意打ちをして、こちらの名乗りにも応じようとしない。彼はこちらに背を向けたまま、虚空から一升瓶を取り出していた。


(勝利の美酒か? 舐めやがって……俺はまだ負けてねえぞ)


 これが柔道なら、一本負けだ。でも審判はいなかった。始めの合図もなかった。終わりの挨拶もしていない。あんたは……名乗りもしない。


 ああ……でもそうか、と納得する。これは柔道じゃなくてストームだものな。


 彼は一升瓶を一口飲んだ。機会をうかがう。


(飲んでいるとき、いや……今は危ないか)中途半端に理性が残っていた。そもそもなんだって踊り場で柔道をすること自体危険だ。


 飲み終えて彼は虚空に一升瓶を戻した。


(今だ)


 忍び寄ろうと思ったがそれも卑怯に思えて結局、また叫び声をあげた。彼の背に飛び掛かる。体より先に、両腕を伸ばし蛇のように彼の首周りにはわせた。そして、彼の背におぶさるように、足を巻き付けた。


「私はホーガン、あなたは誰です? 寮生の端くれであるなら、名乗ったらどうですか」


 答えは期待していない。だから、あとは絞め上げるだけだ。綺麗に入っていた。


(卑怯とは言わないだろう。あなただとて不意打ちをしたのだ)


 口や内心では悪人を気取っておきながら、甘さは消せていなかった。落としはしたいが、怪我はさせたくはない。相手のことを想う振りをした保身が先だっていた。


 折る気のない跳び関節のような温さがあった。が、それでももう入っていた。


 彼は精一杯の抵抗をした。私ごと背中を壁にぶつけ、跳びあがって、背中から落ちようともしたが、それはフンドシが防いでくれた。


 こんなことは……やりたくなかったけれど。


 寮生が皆が皆、善良な者ばかりというわけではない。他者を虐める者、立場を利用して弱者をいびる者、智や力、優れているが故の驕り。完全な平等などありえない。いくら寮生は仲間だ、家族だと口で言ったところで、人は競争心や醜い感情を捨てられない。


 結局のところ、寮とは小さな社会に他ならない。そして社会は結局……。


「……こういう人も……いる。俺だって、人のことを言えたものじゃない」


 彼の意識が戻ったのを確認して、先に進む。

 


/

 


 体のあちこちが傷んだ。フンドシが時折アブソーバー的な働きをしてくれてはいるが、全裸 (ほとんど)というのは想像以上に危険だと思い知った。


 処置を済ませ、先へ進もうとしたとき、ドシン、と板張りの床が揺れた。


(まだだれか来るのか?)


 続けて、また揺れた。


「これは……四股?」


 明滅する裸電球――いつも頼りなく揺れているが今回は四股のせいで余計に激しく揺れている、相撲取りが如き巨漢が居た。紅い褌を正しい位置に巻いている。(当たり前だ)その様子を見て、私も首に紅いフンドシを巻きなおし、そして名乗った。


「寮は極東、アダナをホウガンと申します」


 彼は両手を両ひざに乗せた体勢で、ほう、と笑った。


「寮は東、アダナをベンケイ。ハハ、であればこれは五条大橋の再現となるか」


 元気の良い声が狭い空間に反響する。廊下を塞ぐような大男。


「ベンケイ殿でありますか……ヨコヅナかと、思いました」


「……それほどではない。内弁慶のベンケイだからな」


「私は判官贔屓のホーガンです」


 私の言葉にハハハとまた豪快に笑い、ではちょうどいいな、と頷いた。私も少しだけ笑った。


 彼は静かに両手を床につけて、こちらを無言でじっと見た。


 これから何をするか、もはや明確だった。語るまでもない。


(始まりはこちらに任せるということか……。タイミングを決められたくらいでどうなるとも思えないが)


 私も大きく股を開き、右と左、1度ずつ四股を踏んだ。これであっているかは判らないが。それからスッと、右手で手刀を作り、正面で一度、そのあと左、右とパッパッと空を切った。この所作もこれでよいのかは判らない。


 相手がこちらを見ていることを確認する。そっと床に両手をつき、全速力で彼に向かって走り出す。通常の土俵とは違い、相手との距離があった(廊下だから)。短距離走のように加速する。

(重さがない分は速度でカバーするしかない、すべては初撃で決まる)


「うッ……」


 速度はこちらの方が速い、だから何だと言うのか。


 おそらくは100キロを超える大男がこちらへと向かってきていた。逃げたい、危ない素直に思った。電車か何かのようだ。俺は何故、こんな……いや考えてはならない。恐怖を切り、足を走らせる。そして衝突。


 その瞬間が勝負だと思っていた。そこにしか勝機はないと。なのに彼はビクともしなかった。一瞬の均衡、それからは一方的だった。


 こちらは手打ちにしかなっていない張り手を延々と繰り返したが、彼の重い張り手のただの一度分も、衝撃を与えられなかっただろう。左右の張り手が肋骨に触れるたび、全身が揺れ動く。気が付けば私は廊下の壁を背にしていた。端まで追いやられてしまった。これ以上続ければ、圧死するだけだろう。


(だが……認めていいのか、認めればオヅノさんは、でもこれはもう……)


「……ベンケイ殿、私の負けです」


「なぜ、まともにやりあった? 勝機はお前には見えていたのか。ホウガンの名を持っておきながら……いや、判官贔屓だったな」


 彼は体を後ろに引き、解放された私の体は前に崩れ落ちた。咳きこみながら答える。


「あなたは正々堂々、向かってくれました。私はそれを無下にしたくはありませんでした」


 あるいは先の戦いが、私の精神になにか影響していたのかもしれない。


「変化して、絞め技に入れば勝負は判らなかったかもしれんが……」


「……御冗談を」相撲に絞め技ってあるのだろうか。いや、これはストームだから関係ないのかもしれないが。


 あの太い首を絞められるイメージは全く湧いてこなかった。


「ホーガン、進め。俺は満足した……それなりにはな」


「え……よいのですか。私は負けてしまいましたが……」


「構わん。そういう取り決めもしていなかったろう。それに俺はベンケイであるからな。ホウガンの邪魔をするはずもない」


 手を取られて立ち上がる。深く頭を下げて礼を言い私は廊下を走りだした。肋骨が酷く痛んでいた。



                   7,アダナ:センゴク、    、ベンケイ 【終わり】


投稿時、五条大橋の部分を間違えて四条大橋と書いておりました。私のミスです。大変申し訳ありません。

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