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ファイアーストーム --寮と酔っ払い--  作者: 音十日(おととい)
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3,アダナ:カリョウ

3,アダナ:カリョウ



 階段を駆け上がる。


 声が聴こえて、とっさに身を低くし階段の手すりに隠れた。


(話し声……違う、これは……歌だ)


 寮歌が聴こえてくる。誰かが、おそらくは大先輩が歌っておられるのだろう。


(ただ単に大きい声を出しているというわけではない。丁寧に音程を取っている。強弱、メリハリもしっかりしている。声自体も……そういえば寮歌を歌う際に音程を意識したことはない。楽譜を見たことは一度もない。口承と歌詞カードだけで習っていたな。元々は存在していたのだろうか)


 歌の邪魔をしないように、静かに歩き姿を見せる。


 階段の先に寮生の姿を確認する。


 先のテンジン殿と同じく白いシャツに黒いスラックスだが、その出で立ちは楽団員のように見えた。足には下駄。制服というより正装だろうか。線の細い色男、額が隠れるほどの前髪。


 彼はこちらに気づいても歌うのをやめなかった。迷ったが、けれど先を急がねばならない。

 虚空から取り出した一升瓶をあおり、一礼をし名乗りを上げる。


「寮は極東、アダナをホウガンと申しま……」


 言い切らぬうちに、階段横の窓ガラスが振動を始めた。


(地震……?)とっさに身を引く。ガラスは次々に割れていった。破片が飛び散る。


 首に巻いていた紅いフンドシが自律的に動き、ガラスの破片から裸体を守ってくれた。


 周囲を確認する。天井からつり下がる電球は揺れていない。


 揺れも感じなかった。上階に佇む彼は、下駄履きだというのに微動だにしていない。歌を歌うのをやめて、こちらが狼狽える様子を愉快そうに見ていた。これは……まさか。


「りょ……寮歌で寮を破壊するとは何事ですか!」


(? なぜ俺は、今ガラスが割れた原因が歌にあると考えた?)


「やれやれ……先輩が歌っているのに、邪魔をする奴があるか。無粋だと思わないか。え、ホウガンとやら?」


「あ……その件は申し訳ありませんでした」頭を下げる。


「ハハハ、冗談だ。ま、だがな。こうした方が理解が早いと思ったものでね」

「ですが……寮の設備を徒に破壊することは退寮と規約にはあります。たとえ理解が……」(何の理解だ?)


「寮の規約はソラで全て言うことができるが……そのような規約はなかったはず。であれば後に追加されたのか……」


 悪かったよ、と彼は謝った。初期のころのストームでは、激しさのあまり寮のガラスを破壊することも珍しくはなかったと聞く。であれば、彼を責めるのは違う……だろうか。いや。


「……先ほど、理解が早いとおっしゃっておられましたが、一体どういうことでしょうか」


 彼は両手をスラックスのポケットに突っ込んで器用にバランスを取りながら言った。


「全裸のわんぱく男……お前は上へ進みたいのだろう。俺の声には力がある、ガラスが割れる様、見ていただろう。恐れぬというなら登って来い。ホウガン、お前の男ぶり、見せてもらおうか」


 そういうストーム、ということか。


「お名前をなんと……」予想はついていた。


 なぜ、さっき歌の力だと気付いたか。なんのことはない。そんな寮生が居たことを既に知っていた。私は時間の空いたとき、壁の落書きを解読したり、過去の寮の日誌を読み漁ったりしていた。その時に見たことがある。


 日誌に記されていた寮生だ。この歌声……この力、間違いない。


 彼は虚空から一升瓶を取り出し、一口飲んでから、綺麗な声で高らかに名乗った。


「寮は中央、アダナをカリョウ。迦陵頻伽カリョウビンガのカリョウだ」


 その言葉に、ぶら下がった電球が僅かに揺れた。



/


 迦陵頻伽、極楽浄土に暮らすという半人半鳥。その歌声は無類と聞く。



カリョウ、日誌によれば彼の歌声は何もかもを震わせることができたという。合唱団などの組織には属さず、ただ一人優美に歌う男であったと。そして女性に非常に人気があったことから、他の寮生からは妬みを買っていたとか。


 聴くものを魅了し、そして振るわせるだけにとどまらず、物体の破壊も可能としたという。


(誇張ではなかったというのか)


 寮生の中には彼の能力が本当に歌声に起因するものなのか疑念を抱いていた者もいたというが……。



/



【カリョウ】


 ホウガンという全裸の男、さて、如何ほどの者か。


 こちらが名乗りを上げたあと、下の階に隠れてしまったが、それもよい。無策で向かって来るならば粉微塵となるだけだ。


 キィ、と何か扉を開く音がする。ガチャガチャと工具か何かを使う音。その後、電気が落ちた。なにか仕掛けてくるかと、警戒する。が、何もなかった。そして暫くしてまた点いた。


(おそらくは配電盤をいじっている。何が狙いだ)


 それから何か、炊飯器やら電熱器、電気ストーブでも動かすような音が聞こえ出す。


(……読めた。過負荷をかけ、電気を落とし夜陰に乗じるつもりだな。ガチャガチャとやっていたのは板ヒューズでも切って許容値を……いやそこまではしないか。……しかしバレバレだな。さっきだって一回落としてしまっているし……)


「……寮歌の中には神話の神が登場するものがありますよね。私はそれが好きなのです」


 急に話しかけてきた。時間稼ぎ? まあ……付き合ってやるか。


「ゼウスか? それともバッカスか」


「皆、好きなのです。けれど最初はその単語が何を意味しているのか、恥ずかしながら分かりませんでした。寮歌指導の際、この単語が何かと聞いても、指導する先輩は答えられなかったのです。ギリシャやローマの神をドイツ語読みしていたということもあるのでしょうが、私はなんだかモヤモヤして……後日、辞書を引いてやっとそれが神の名だと知ったのです」


 そんなことも判らん奴が寮歌の指導とは呆れたものだ。


「少しずつの怠慢や過失が、後世へ行けば行くほど、取り返しが効かなくなる。酷い伝言遊びのように。だがこの程度のことが判らないというのは……空恐ろしいな。意味も分からずに歌っているとは……歌っていると言えるのか。心情を込めようがないじゃないか」


 虚しさと僅かな怒りがくすぶる。


「同感です。ところで寮歌を歌う前の掛け声、アイン、ツヴァイ、ドライ、というのがありますよね。実は未だに判らないところが……」


 バツン、と音がして、電灯が落ちた。確かに暗くはなったが、窓からは月光が差し込んでいる。目を凝らし、階下の動きに集中する。


「ようやくだな」グッと背筋を伸ばし、息を大きく吸い込む。


(さて、何を歌おうか……)


「デカンショブシィィィーーー」


 ホウガンが嬌声をあげた。歌えということか……いいだろう。


「アイン、ツヴァイ、ドライ!」


 歌ってやるよ、お前のための歌をな。



/



「「♪デカンショォォ~」」


 あいつ、一緒に歌っていやがる。歌声を相殺できると考えたか。


 ……甘いな。階段を上ってくる。奴の姿は見えないが、鮮烈な紅色が目に入った。


(フンドシ……見えているぞ、ホウガン。鳥目と侮ったな)


 鮮血のように赤いものが四散した。


 容易い、蛮勇であったが、逃げなかったことは褒めて……、いや……そんな派手にやっちゃいないが。そもそも殺す気なんてない。


(チッ、変わり身か)


 四散した赤いものは全て、フンドシだった。ホウガンはその後ろに隠れていたのか。宙を舞うフンドシの中を駆け抜け、あっという間に目前に迫る。


(速い……流石は、ホウガンと名乗るだけはあるか。一撃で仕留めなければならなかった)


 息を吸い込むが、間に合わない。


 フンドシをバンテージのように巻いた、奴の拳が俺の左胸を捉えた。下駄のバランスが崩れ、咳きこみながら背中から廊下に倒れる。また息を吸い込もうとするが、素早く背後に回ったホウガンに口をフンドシで巻かれた。


(この野郎……)


 後ろを振り向く、ホウガンと目が合う。これで……。



/



【ホウガン】


 カリョウ殿と目が合う。虹彩が赤く輝いたように見えた。


 一瞬でイメージが脳に流れ込んで来る。


 スイカ割のように、自分の頭部が破裂する鮮烈な赤色。


 日誌に記された、カリョウ殿に関する記述、その最後の部分を思い出す。寮生の中には彼の力を歌ではなく……神通力の類でないかと推測するものも居たという。


「あ……」


 目の前に赤いものが割って入ってきた。


 バンッ、と音がしてフンドシが四散していた。


(俺を守ってくれたのか……。この好機、無駄にはしない)


 隠すべきはその瞳だ。いやこのまま裸締めをした方が確実か……。


「ホウガン! もういい、俺の負けだ」


「あ……し、失礼しました」我に帰り、細い首に回しかけた手を緩める。


「謝ることはない。真剣勝負だったのだ」


 彼は咳き込みながら喉をさすった。


「迦陵頻伽は歌声で人の心を震わせるもの、瞳で他人を殺すもののことではない……。熱くなり過ぎた」


「死を……間近に感じました……」フンドシを首に巻きなおす。


「馬鹿を言え。可愛い後輩を殺す先輩がどこにいるものか」


 彼は清々しそうに笑った。


「電光石火の早業、見事だった。ホウガンの名を与えられるだけのことはある」


 ホウガンは判官贔屓から来ていることを伝えようか迷ったが、止めておくことにした。頭を深く下げる。


「ありがとうございます。カリョウ殿のお力と美声、感服いたしました。お手合わせできたこと、誇りに思います。……それでは」座り込んだ彼の手を取り、立たせてから走り出す。


 その後、美しい寮歌が廊下に響いていた。それは祭りの終わりや別れの際に歌われる、古い漢詩を基にした歌だった。



                       3,アダナ:カリョウ 【終わり】


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