15,アダナ:ホウガン
15,アダナ:ホウガン
何もかもが赤く染まっていた屋上だったが、今は見慣れた光景に戻っていた。
肌寒い空気の中、3人の男がそこに立っていた。うち二人はほぼ全裸だった。
朝日が山から顔を覗かせ、吐く息が光を反射して白い。
痣だらけの体をさすりながら、いつも感じていた祭りの終わり、寂しいという感情に浸っていた。
(終わりはいつか訪れるもの、だから大切しないといけなかった)
「……終わりですね。帰り……ましょうか」
どんなことも永遠には続かない。ハレがありケがある。
今晩のストームはよかったなあ、と思う。いつもだったら、やってる最中からずっと虚しくなっていたのだから。
首に巻いていた紅いフンドシに触れる。一晩中、共に居てくれた戦友の彼がヘタっているような気がした。
「ありがとう」と小さく呟く。
扉へと歩き出したとき、ふと、背後に気配を感じ振り向いた。一人の少年が立っていた。
誰だろう、と疑問に思う。こんな日に迷い込んできたのだろうか。まだ廃墟だとか肝試しとかそういうのには早すぎる気がしたが……。
そういえば私とオヅノさんは全裸だけど……まあ、そこは別にいいか、ストームがあったんだし。いや……よくないか。純粋そうな少年に見えたし。
「君……勝手に入ってきちゃ駄目だよ」半身になってそう呼びかけた。
声をかけると彼は優しく微笑んだ、少年なのは間違いないが少女にも見える髪の長さ、真っ白なワイシャツの裾を出している。下はサイズのあったジーンズ。寮生には居ないタイプだ。清潔感があり……なんというか、荒々しさがまるでないというか。
「いや君は……」
そうだ。ポスターの少年だ。部屋の扉に貼ってあった。電車の車窓から田園風景を眺めていたあの少年。
「そうか……君だったのか。助けてくれていたのは」
「うん、でもこの姿は……借りているだけだけど」
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「最後に皆とストームができて楽しかったよ。ありがとう、ホウガン」
優しい声だった。彼は儚げに微笑んで、私は寂しくなった。
「俺も、今日……今晩のはすごく楽しかったんだ。ギリギリの所で勝負ができてさ……よかったなあって」
「……本当はすぐに、君を屋上まで連れていくこともできたんだけど、わがままを言ったんだ」
「いいよ、そんなの……じゃなかったら、皆と勝負できなかったんだし。あ、そうだ。ポスター、やっぱり持っていこうかな。そしたらさ……君も一緒に……」
彼は横に小さく首を振った。サラサラとした髪が揺れる。
「記念に持って行ってもいいけど……僕は一緒に行けない」
九十九神、寮の魂、精神。そうだよな……。
「あ、そっか……そうか、うん。そうなんだ……そうだよね」
強がって笑って見せたけれど、何故か涙が出て来た。慌てて首に巻いていたフンドシで拭った。
それを見て彼は少し困ったような顔をしていたが、しばらくして何か思いついたようにパッと悪戯な表情を浮かべた。なんだろう、と思っていると、目の前に一升瓶がふよふよと浮かんで来た。反射的に受け取る。
「なーんで泣いてんの?」
彼の悪戯な瞳を見返す。言葉の意味は判っていた。
(判っている、けど……)
――どうして泣いてんの――
後ろから■■■■とオヅノさんが声を合わせた。これはどう考えてもコールだ。判り切っていることだ。だから、一升瓶をあおった。
――飲みたいから泣いてんの――
右手で瓶の口を持ち、左手で瓶の腹を支えて飲む。
それからコールが止んで、一瞬の静寂。
早く次を言わないと、割り込まれる。だから飲みながら考えた言葉を口にする。コールにしては大きすぎる声で、名乗りを上げるような声量で。
――今日まで、お酒が飲めたのは 寮先生のおかげです――
歩きながら、一升瓶のまるで似合わない爽やかな彼に手渡す。
――寮先生ありがとう。それ――
彼は照れながら一升瓶を飲んだ。
「……苦いね」
口を離し、彼は舌を出して赤くなった頬で笑った。
それを見て私も笑った。
私たちはもう少しの間だけ、コールをかけて酒を飲んだ。
待ち構える離別の悲しみを今だけは忘れられるように大声で。
■■
――10年後 1月1日――
唐突だが、寮を出てから10年が経った。
あれから色々あった。
会社の新人研修は……いや、これはやめておこう。楽しくないし。別に私が会社を首になったとしても、困るのは自分だけだし。これは孤独な人間の数少ない長所だ。
寮の取り壊し前、OB含めて(というかもう全員がOBだが)集合写真を撮ったり、取り壊された後もたまに同窓会で集まったりした。
ものすごく楽しみにしていた同窓会だったのだが、驚く程に何を話していいのか判らなかった。寮に居た頃はいくらでも話すことができたのに。みんなそれぞれの生活があってそれぞれ異なる場所に住んでいる。それはとても大きな、決定的な差異なのかもしれない。
他にもいろいろあったけれど、まあ、端的にって失ってばかりの10年だった。
幸せを手に入れようと努力しなかったわけではない、むしろ努力しかしてこなかったけれど、何も得られず、持っているものを数えれば10年前よりも確実に減っている。
それでも悪いことばかりではない。……ということはできる、できなくもない。
良いものや大切なものを失った(あるいはそれが最初から存在しないということに気が付いた)のは本当のことだ。けれどずっと手放したいと思っていたものも、気が付かないうちに手のひらからこぼれ落ちていた。
だから、まあ、身軽にはなったし、むやみに人や物事に期待もしない用心深さも身についた。成長、成熟したとも……。
……書いていて悲しくなってきた。喜びや嬉しさ、その感情は鈍化しているのに、悲しみはいい年してしっかりと感じられるのは……正直、勘弁してほしいと思う。
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今でも連絡を取り合うのはドウシだけだ。彼は毎年、年賀状を送ってくれる。
最初の内は観光地だとか山の上とかで撮った写真だったが、その内反り上げていた頭もサラリーマンらしくなり、奥さんとのツーショットになり、今では子供の写真が貼り付けられている(ロウシは写っていない)。最初は子供の写真を送られても……どうなんだろうと思っていたが、今では1年ごとに成長する彼の子供の様子を見るのが数少ない楽しみとなっていた。
これをずっと続けてくれたなら、将来には1年毎の人間の成長をパラパラ漫画のように見られるのではないかと思っている。それは中々感慨深いものがありそうだ。
私の方は、さっき書いた通りだ。
ドウシはたまに会おうと言ってくれるが、断り続けている。会わなければ私は彼の中で、なんか変な先輩だけどなんかすごいことをするかもしれないという人間であり続けられるような気が……要するに、今の自分を見られて幻滅されたくないだけだ。
トキムネは三年の時、別の大学に編入していった。彼の名前で検索すると医院のHPが出てくる。大したものだと思う。
オヅノさんのことは心配していない。きっと元気でやっているだろう。元より嚢中の錐を地で行く人だから、そう信じている。
あ……言い忘れていたが、私は一度たりとも公然わいせつとか、その類の犯罪を犯したことはないし、これからもしない。人を笑顔にしたり、呆れさせるぐらいならともかく、人を悲しませることはしたくない。そこだけは信用してほしい。
テンジン殿とも約束をしたことだし。
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卒寮記念品のフンドシはなんだかんだで一度も本来の使い方をしていない。
寮を出て最初の冬に、服屋に頼んで薄いマフラーのようにしてもらってからは、毎年冬にはこれをマフラーのように首に巻くことにしている。
今年もポストに同氏の年賀状が来ていることを確認して、すぐ部屋に戻ろうかと思ったのだが、少し散歩をすることにした。
公園で子供たちが寒空の下、駆け回っていた。それを見て、子供は風の子だな、と月並みな感想を抱いた。
そして全裸で全力で駆け抜けたあの夜のことを思い出す。
――寮生とは風……集まったなら嵐、これ即ちストームなり――
最近は色々あって(色々ばかりで申し訳ない)、少し時間ができていた。これを機にあの日のことを書いてみようかと思った。
私はミュンヒハウゼン殿に憧れていたのだし、折角偶然とはいえ伝説級の寮生たちにも会えた。ポスターの少年、寮の思い出にも会えた。
だから書いて残しておこうと思った。
中々、書くの骨が折れた。ミュンヒハウゼン殿のようにもいかなくて、途中で止めようかとも思ったのだが、どうにか最後まで書くことができた。
それはやはり、辛いだけではなかったからだろう。
この文章が誰かにとっての風になってくれたならこれ以上の喜びはない。
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ここまで読んでくださった超デ級(超デカンショ級の略、今考えました)に優しい皆様と寮と寮生たちに感謝します。あと、飲みすぎには注意してください。
皆様の今後ますますのご活躍を祈って筆を置きます。
――20XX年 元日――
文責 :極東OB ホウガン
忌み名:久島良実
15,アダナ:ホウガン【終わり】
ファイアーストーム――寮と酔っ払い――【終わり】
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
寮、アダナにとらせて頂いた偉人の方々、作中取り上げさせていただいた小説家の皆様、寮生、フンドシ、日本酒、何より読んでくださったあなたに感謝いたします。
書けなくなる前に、寮のことは書いておきたいと思っていたのでよかったです。
作中でホウガンたちは無茶な酒の飲み方や、危険極まりない行為をしていますが絶対に真似しないでください。命にかかわりますので。(真似される方はいないとは思うのですが)
あと、寮に入る際はどんな感じなのか事前に調べておくことをお勧めします。私は何も調べずに入りました。
読んでくださった方には感謝しかありません。ありがとうございます。
※ この作品はフィクションで、寮の文化を基にしてはいますが、実在する寮とは一切関係ありません。
もしもこの小説が悪くなかったと思っていただけたら、E/methという小説も読んで頂けたらとても嬉しいです。寮に居た頃に書いていたシナリオを基にしたものです。
ありがとうございました。どうかお元気で。