14,スツルムウント……
14,スツルムウント……
掛け声に合わせて、手刀を切る。4度だ。
正面、左、右、さらに右。
「アイン、ツヴァイ、ドライ……ファイアァアー……」
その言葉にフンドシたちを含めた皆が戸惑った。
一瞬の隙を突き、拘束を引きちぎり、オヅノさんのいるであろう赤い毬へと駆け出す。
月明かりの下、肌寒い空気と酒気の中を走る。
再度、私を捕縛しようとするフンドシたちにも迷いが見えた。
(動きが鈍い今のうちに……)
「寮生とは寮に吹く一瞬の風、であるならばけして寮に留まることあらじ……」
「我らただの風、けれどそれが集まったのであれば嵐となり……これ即ち、ストーム」
フンドシを払いのけて、赤い毬へと肉薄する。
毬の足元にはフンドシが待ち構えているのが分かった。
目的地が判っているのなら、やみくもに追わずともその前で待ちかまえていればよいと、そういうことだろう。
私はボロボロになった肉体で可能な限り、高く跳びあがった。大して高くも飛べていないだろう。
空中で足首にフンドシが巻き付いたが、構わず落下の力を手刀に乗せて毬へと振り落とした。紅い毬に割れ目が入る。
「デ……デカンショォオ」
アイン、ツヴァイ、ドライ、と叫びながら毬に手刀を入れた。
「アインス……ツヴぁ……」
そこまで言ったところで差し入れた手刀がそれ以上進まなくなった。振り下ろせない。
(内部で白刃取りされたか)
気づいたときには手首を決められ、放り投げられていた。ゴロゴロとフンドシの敷かれた屋上を転がる。その度に体に痛みが走った。
(合気の類……)
体中の痛みに耐えて立ち上がる、眼前にはオヅノさんが立っていた。やっと出てきてくれたか。
「ホウガン、邪魔をしないでくれるか」
オヅノさんは全身をミイラのように紅いフンドシで巻かれていた。あるいは巻いたのか。
「邪魔……ですか」
胸を張り、オヅノさんの眼鏡の先の瞳を見据える。
「邪魔をする気などありません。私には正直、オヅノさんが何をしているのかも理解が及びません。邪魔をする気も、ただ、かといって黙って見ている気もありません」
「それが邪魔だと言っているんだが」
「今晩は最後のストームの夜。そんなハレの日に、閉じこもっている人を放っては置けません。私も寮生の端くれですから」
「余計な世話を……」
「そう、ストームというのは迷惑極まりないもの。放っておいて欲しい者さえ巻き込んで、お前も一緒に楽しめと、そういうもの……」
これはあなたから教わったことだ。
「私はただ、最後にストームがやりたいだけなんです。本当にそれだけです」
「……お前は酔うとよく喋る」
彼は眼鏡を外して、かろうじて球形を保っているフンドシの上にそっと置いた。それからこちらに向かい、フンドシが巻かれ過ぎてグローブのようになっている右の拳をこちらに向けた。
私も首のフンドシを解き、右の拳に巻き付ける。
彼は一升瓶を取り出し、一口飲み、名乗った。
「寮は西。アダナをオヅノ」
こちらも酒を飲んで応じる。
「寮は極東。アダナをホウガン」
そして拳を打ち合わせる。周囲のフンドシが浮き上がり丸いリングロープを形作った。
これが多分、今晩最後のストームだ。
/
殴り、殴られる。
オヅノさんの鍛え抜かれた拳、ドウシより読みづらい。そうでなくとも、足は既に思ったようには動かない。
殴られる、殴られる。
■■
ストームとは何なのか。
巻く、巻かれるとは何なのか。私にはよく判らない。
■■
気持ちでさえも負けてどうする……。痛む体に鞭を売って動かす。
左でボディ、右で顔面。
よろけたところをさらに詰め寄る。初めてうまく決まった。喜んでそれを繰り返してしまった。当然読まれている。2度目以降はすべて捌かれているのに、気づかずに打ち続けた。
前のめりになりすぎた所に顎に鋭い拳を食らって、ふらふらと倒れそうになるのを、フンドシのリングロープに腕をかけて踏み留まる。
(地面が揺れている。自分が立っているのかもよく判らない。それでも、フンドシに腕をかけているのなら立っている……はずだ)
虚空から一升瓶を取り出し、一口飲んだ。いや、飲ませてもらった。
「コホッ…コホッ……」
フラフラと倒れそうになるのを堪える。
(酔拳が使えるようになったり、なんてことはないか)
オヅノさんが格闘技をしているという話を聞いたことはないが、精神、肉体共に鍛え上げていることは明白だ。勝ち目は……ないか。勝つ? 負ける?
「でも……これはストームでしょう」
足を擦って近づき、待っているオヅノさんと再び拳を合わせる。一気に詰め寄り、呼吸を止めて子供の駄々のように、腹を殴った。
オヅノさんはガードを固め、私が息をつくのをただ待っていた。疲れて、打ち込むのを休んだ時、たて続けに殴られた。
(こういうのをクレバーだと……言うのだろうか)
背後のリングロープと化したフンドシがクッションになってくれてはいたが……このままでは……どうにもならない。
痛い、苦しい。負けを認めれば楽になるだろうか。
負け?
もうやめたと投げだすことができればきっと楽なんだろう。
(痛くて苦しい……でもやっぱ、どっかで楽しんでる)
「ハァハァ……ァ、ゥ……」
オヅノさんが無抵抗になった私を見て離れた。
「ホウガン……もう止めろ。お前の負けだ」
……負け、巻け。
「待って下さいよ……まだ……」
前に一歩踏み出したとき、体が崩れ落ちるように倒れた。
「まだ……」頬にフンドシの感触を感じた。
「……もうよせ」
「嫌です……よ」
まだやれるか?
ストームの根底、喜びをわかちあう事。幸せの嵐に皆を巻き込むこと。
やれるに決まっている。
やるに決まってる。
(だって今俺……楽しいと感じている。最近ずっと、白けてたんだ。止められるものか)
あなたはどうなんだ、オヅノさん。
フンドシを介して過去のストームの思い出が流れ込んでくる。
体が振動する。誰かが地面を叩いている。
(あ……■■■■、なんで……そうかテンカウントか)
「……ナイン……テン」耳に水が入ってるみたいに聞こえる。
(待てよ……俺はまだできる)
■■■■が私の体を仰向けにしようとしたが、それを振り払ってヨタヨタと立ち上がる。
「テンカウントがなんだって……言うんだ。これはストームでしょう」
心配そうな眼でオヅノさんがこちらを見ていた。
足が動かない。下を見ると、フンドシが巻き付いていた。全身に巻き付いている。これ以上はやめろって?
「離して……下さいよ。ストームはまだ終わってない」
嵐に巻き込まれる。
巻く、巻かれる。
フンドシ……。唐突に何かが見えた。
(俺は……フンドシに巻かれているのか?)
「……違う。俺がフンドシを巻いているんだ」
それに気づいたとき、フンドシはもう味方になっていた。オヅノさんと同じように、フンドシのミイラのような姿。フンドシの焔をまとったような姿になって今度はこちらから拳を差し出した。
力が満ちてくる。
(そうだ皆で……ストームをしよう)
鏡写しのような彼も、鏡写しのように拳を合わせてくれた。
/
殴る。
まだ終わってほしくない。
殴られる。
もっと続いてほしい。ずっと終わらなければいい。
殴られる、殴る。
殴る、殴られる。
倒れる、立ち上がる。
殴られる、殴る。
殴る、殴られる。
倒れる、立ち上がる……。
/
どのくらい打ち合ったのだろうか。気づけば月が沈み、空が白んでいた。
吐く息が白い。
オヅノさんがフンドシの上に仰向けに倒れていた。
「オヅノさん……まだ……」
彼は倒れたままで首を横に振った。
「……ホウガン、お前の粘り勝ちだ」
(……終わり? これでもう終わり?)
「勝ちも負けもありません。これはストームだから……嘘だ。オヅノさんはまだ……やれるはずだ」
駄々をこねるように言った。
(終わりなのか……折角楽しかったのに……)
――寮生とは風、けして留まることなし――
――嵐はいつかやむもの――
――けれど吹いた風が誰かの心を動かし、背を押したのならば――
――我ら寮を出ても命果てる時まで、この星を駆ける一筋の風――
――さらば、オヅノ、ホウガン。達者でな――
体に巻いたフンドシがはらはらと解けていく。
(またいつか、どこかで……)
倒れたオヅノさんに手を伸ばす。
屋上にあふれていたフンドシたちが、雨が大地に染み込むように、寮に消えていく。
「オヅノさん……俺、楽しかったですよ」
彼は上体を起こし手を取った。
「ありがとう……ございました」
と晴れやかな気持ちで笑うと、顔中が傷んだ。
14,スツルムウント……【終わり】