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ファイアーストーム --寮と酔っ払い--  作者: 音十日(おととい)
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13,アダナ:オヅノ

13,アダナ:オヅノ


 屋上へと一歩、踏み出す。


 3月末の冷たい空気。それに混ざって届く日本酒の匂いに出迎えられる。


 深夜の屋上、満月が遠くの山の上に浮かんでいる。


 月光に照らされた真っ赤な屋上、全て紅いフンドシだ。


(……フンドシを踏むのはよくないが、避けて歩くことは不可能だ)


 屋上の中心、運動会の大玉のような、巨大なフンドシで編まれた毬が鎮座していた。また周囲のフンドシは固定するように毬へと延びている。大樹、虫の繭にも見える。おそらくはあの中にオヅノさんがいるのだろう。


 酒気が月光に照らされ、濃霧のように光を反射していた。


 中心へと歩みを進める。


(あの中にオヅノさんが囚われているのか? あるいはなにか門番が居るのか)


「オヅノさん、ご無事ですか。ホウガンです」


 近づいてみれば赤い毬はゆうに人一人入れる大きさだった。周りには人影は……ないか。


「……ホウガン。何をしに来た」赤い毬の内部からこもった声が発せられる。


(別段焦っている様子もない。会話ができるほどには余裕があるということか)


「あなたを助けるように言われたのです。おそらくは……寮の魂のようなものに。九十九神のような存在ではないかと……」


 首に巻いたフンドシに触れながらそう言った。


「寮の魂? ……現実にも影響が出ていたか」


「影響とはなんです? この有様、フンドシや日本酒、一体誰の仕業なのです」


 答えは、なぜだろうか、予想がついていた。


「私がやっていることだ」


(どういう……ことだ)


 直径2メートルは悠に超える赤い球に手を触れ、見上げる。


「オヅノさん一体、何をしているんです? なにか儀式でもしようとして、逆に取り込まれたのですか。であれば……」


 フンドシをかき分けようと手を伸ばしたとき、足首を取られ、屋上の隅へと引きずられた。


「ぐっ……ぅ」引きずられる際、全身が痛んだ。


(フンドシか……自律的に動いているのか。あるいは……オヅノさんが操作しているのか)


「邪魔をするな、ホウガン。私は寮に宿った記憶を読み取る。これは……誰かが覚えておくべきことだ。もはや……守れないというのなら」



/



 両手、両足首にフンドシが巻き付き、地にへばりつくように拘束された。


(動けない……やはり、オヅノさんが操作しているのか)


 フンドシと接触している部分から思念が流れ込んでくる。


【『なんと……義経ギケイとな』『もったいない名だ』『……なぜこの男は全裸なのだ』『……いくらストームでもやりすぎではないか』『何をしたかは知らんが、ここまで折檻することもなかったのではないか』『こいつをここに封じておくのか』『それではつまらんよ』】


(……勝手なことを……)


「……これが寮の記憶? いや、思念か」


「そうだ。寮の記憶を読み取り保存する」


 今まで寮で暮らし、巣立っていった人々、いったいどれ程の数になるのだろうか。だが……それは非難されるべきことなのだろうか?


「私は声を聴いたのです。寮の声を、あなたを助けろと。そのためにここまで来たんです。寮がそういうのなら、危険なんですよ」


「覚悟の上だ。寮を一人で逝かせられない。俺には寮しかなかった、お前も……」


「だから……いや、それでも危険だと言っているんです」


「覚悟の上だと言っているんだよ、ホウガン。誰に迷惑をかけるつもりもない。ただ俺一人のことだ。天涯孤独の身であるからな。お前も……」


(誰にも迷惑をかけないって、俺が見えてないのかよ。こんなボロボロになって、死にかけて。あ……そういえば……俺、明日会社の……いや、今はそれどころじゃない)


 彼に聞こえないように、小声で虚空に(寮に)語り掛ける。


「……フンドシのコントロールを奪えませんか?」


 答えは首に巻いたフンドシから返ってきた。


『……それは難しいよ。今この場では、オヅノの方が強い』


 少年の声、放送で聴いたのと同じ。寮の……。


「お前に……邪魔をする気がないというのなら、拘束を解いてもいい。お前は明日から、忙しいだろうからな」


(あ……、…………いや、それは今はいい)


 助けないと、と力を込めるがビクともしない。色々な思念が流れ込んでくる。


 ふと思った。私は何故、彼を助けようとしているのだろうか。


『……ホウガン?』


 だってオヅノさんは危険を承知の上でやろうとしているのだ。


『ホウガン、さっきだって寮の記憶を見て、■■■■が変になってたでしょう。オヅノに耐えきれるわけがない。精神が壊れてしまう』そうか、ボウクンはそういうアダナだったのか。


 それは……確かに。でも、それをオヅノさんは承知しているわけであって。大の男が覚悟を決めたことを、邪魔をするのは無粋では、ないだろうか? 誰にも迷惑をかけないと言っているんだし……自分は、まあいいとして。


『ホウガン、ここまで来て何を言って……?』


 いや、でも……。


(あれ……俺、なんでここまで来たんだっけ。助けようと思って……でもそれだけじゃなかったような)


 バンと音を立て、愚かな迷いを叱責するように屋上の扉が開かれた。


「……ボウクン、なぜ」


 先ほどサスマタと鉄パイプで戦ったスーツ姿の男。どうやって抜け出した? 報復に来たのかと動かぬ体で身構えたが、彼の首に赤くはためくものが見えた。


(首にフンドシ……)


 今は味方だと……そういうことか。


 

/



 突然の闖入者に無数のフンドシたちが鎌首をもたげた。


「絶景だな……久しぶりに混ぜてもらおうと思ったが……邪魔だったか」


 フンドシたちがボウクン、いや■■■■を捕縛せんと巻きかかった。彼はさきほどガラスを突き破って外に出ていったはずの、サスマタのU字の部分でフォークを使うかのように巻き取った。


(拾ってきたのか? どうやって抜け出した?)


 力が拮抗している。技量もある。(やはり……ただ者ではないか)


「趣味が悪くて申し訳ないが、少し聞き耳を立てていた。ホウガン、何を迷っている? 寮生が馬鹿をやろうとしているのならば止めてやればよかろう。さっき君がそうしてくれたように」


「……私とて、赤子が井戸に落ちようとしているのならば迷わずに助けましょう。けれど大の男が悩んで決めたことを、それを簡単に否定することはできません」


 性善説のたとえ話のように、何もわからぬ子が命を落そうというのなら……だが、今の状況はそうではない。


「……デカンショの意味はデカルト、カント、ショウペンハウエルを繋げたものだと思っているか?」


 ……なんだ、急に。


「デカンショ節、元は民謡だったという……そこになぜ、ドイツの哲学者が出てくる。それで歌詞の意味が通るか?」


「それは……そう、ですが」


 考えたこともなかった。言葉の意味には執着するが、私はそれだけだった。であれば意味を知らないものを糾弾する資格などない。


「君は、物事をややこしくしてそれをありがたがり、理由もなく有り難がろうとする。違うか?」


「……そうかもしれませんが、それが何か?」その通りかもしれなかったが、今関係あるのか。


(なにか……隙を狙っているのか)


「難しく考えすぎている。オヅノとやらが危ういのならば、余計なことを考えずに助けてやればよかろう」


(その行為に確信が持てないと言っているのに)


 結局のところ、私の行為はただ卑怯なだけかもしれない。重大な事には関与したくない。勝手にどちらかに決着がつくのを待っているだけだろうか。 


 彼は赤い毬に向かって駆けだした。


「ま、待ってくださいよ」言おうとして、言わなかった。判らない、何が正しいのか。


「ストームだというなら、巻くか巻かれるか。それだけだ」


 男はフンドシをたなびかせて走り出す。



/



 フンドシの暴風の中をボウクンはサスマタで器用に叩き落とし、毬へと肉薄する。そしてサスマタを振り落そうとしたところで、体中をフンドシに巻かれ弾き飛ばされた。


 彼は屋上に叩きつけられ、転がった。いくら彼が手練れであろうと、無数のフンドシを捌き切れるはずもない。


「■■■■、無事ですか?」


 彼はうつぶせに倒れ、両手両足を拘束された状態で、手をひらひらとこちらに振って見せた。


(大丈夫そうか……)


『ホーガン!』首に巻いたフンドシが私を責める。


(俺はどうすればいい?)手足は拘束されたまま、動くことはできない。それでも喋ることぐらいはできるが。


「私は……極東寮の……アダナをホウガン」


 自分が何者かを確かめるように、今宵何度となく繰り返した名乗りを口にした。


 フンドシからは思念が思い出が流れ込むが、誰も名乗り返すものはいない。


(……彼らは自我が混ざってしまっているのか)


「私は……極東寮のホーガンである!」


 誰も名乗り上げることない。この屋上の思念、アダナがない……違う。これは個人ではない。混ざり混ざって固有の名前を失くした。


(そうか……これはストームの記憶)


 下階(異界)で戦った寮生たちとは違う。


「我が名はホーガン、由来を判官贔屓。名乗れるのなら名乗って下さい」


 思念の濁流、旋風、けれど誰も名を名乗ることはない。


『ホーガン、この記録にオヅノは耐えられない』


 何が正しいか、その判断をする気はもう、やめにしよう。


(これはストーム……だというのなら)


「……すみません。酒を一口飲ませて頂けますか?」


 虚空から一升瓶が現れ、一口飲ませてくれた。


 ハァ、と息を吐き、一瞬目を瞑る。瞼の裏に、皆の思い出を垣間見る。



■■

 寮の集会では発言する際は、名乗らねばならない。

 文章を書いたのならば、文責を明記せねば、いくら正しいことを書こうが何の効力も持たない。

 名乗らない卑怯者の言葉、寮においては力を持たない。

■■


 ……であるのならば、このフンドシたちも名乗れないのであれば……そこに彼らの罪はない。だが今は、卑怯だが、その規則を利用させてもらう。

 

 拘束に抗い、なんとか右手を前方へと差し出す。


「私はホーガン、今宵はストーム……」


 右の掌で手刀を形作る。


「……ここまで来た理由を考えていたんです。オヅノさんを助けるため、それももちろんあったんですけど……でもそれ以上に、なんか楽しそうだなって……そう思ったんです。何年か前に、色々あって結構大変で……で、なんかそれで……なにやってもつまんねぇなあって……ずっと」


 火の付かなくなった花火でも、あるいは大火の中に投げ込んだなら……薪くらいにはなるだろうか。


「……ホウガン、無理をするな」


「苦しいだけなら……逃げていたでしょうね。ドウシのようにストイックに自分をいじめることはできないし……弱い人間ですから。ですがまあ、ホウガンの名を与えられたなら……」


 手刀の先には赤い毬。そして手刀を切る。


「アイン、ス……」正面で一度。


「ツヴァイ」左で一度。


「ドライ」右で一度。


 一拍置いた。屋上がシンと静まり返る。


 ……続ける。


 さらに右で、もう一度。


「ファイアァァアーー……」


【『……なぜフィアー』『4?』『……いや、こいつは今ファイアと言わなかったか』『……言い間違いか、あるいは単にドイツ語に明るくないのか』『違う、混乱させることが狙いだ』『隙を突かれたか』『チッ……』『まあ、いいんじゃないか、これはこれで】


 叫びをあげて、フンドシの拘束を引きちぎり、立ち上がり、赤い毬へと走り出す。


(今日は久しぶりに……すげえ久しぶりに、楽しかったなあ)


 まだ終わりじゃない。まだ……。


 これが今宵、最後のストームになるだろうか。


(寮の全てを記憶するというのなら)


「今この時のことも見ていて下さいよ。オヅノさん……」


                             13,アダナ:オヅノ【終わり】


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