10,アダナ:ヤゴコロ
※ 今回の話には 星新一先生の『午後の恐竜』のネタバレを含みますのでご注意ください。
10,アダナ:ヤゴコロ
黒い壁が立ちはだかっているように見えた。その壁の隙間から裸電球の明かりが漏れている。
ゆっくりと近づき、目を凝らす。出迎えてくれたのは、一面の本の背表紙だった。
廊下一杯に本棚が立てられており、当然棚一杯に本が並べられている。
一般受けはしなさそうな、なんとなく専門的な感じのするハードカバーの本たち、これはおそらく大学教授が講義のために書いた本だろう。他にも教科書と思われるもの。小説。
文庫本を取り、裏表紙を確認する。
(税込み、などの記述がない。消費税ができる前なのか)
漫画雑誌。歯抜けのある漫画本たち。本の上の微妙に空いたスペースにはゴムボールやカセットテープ、こまごましたものが詰め込まれている。
(ここは書庫の再現だろうか)
漫画の順番が所々ずれていたので、なんとなく直した。
他には分厚い紙の束(寮の委員会や集会の議事録、資料だった)、どれも時代が古いが、特段くたびれた様子も色あせてもいない。『貸出簿』と書かれた大学ノートを手に取る。
(……やはり今晩のストームはタイムトラベルじみた行為なのか……)
本棚は行く手を阻むように並べられていた。その間を縫って進むと、キャスターのついた事務椅子に誰かが胡坐をかいて座っていた。
彼は読んでいた文庫本を閉じてから、こちらを向いた。モジャモジャとした癖毛でお洒落な丸眼鏡をかけていた。値踏みをするように私をジロジロと見た。
彼はしばらく仏頂面で堪えていたが、我慢できず失笑した。
(つかみは悪くないか。いいぞ)
「お疲れ様です! 私はアダナをホーガンと申します。寮は極東です」
「こちらは中央のヤゴコロだ。お疲れさん」
(ヤゴコロ? ヤゴコロとは聞いたことがないな。人名か? ……まごころ?)
「ま……まごころ殿、でありますか。よろしくお願いいたします」とりあえず判っている感を出したつもりだが、無理があったかもしれない。
「『ヤ』ゴコロと言ったのだが。しかしなんだってお前は服を着ていない、え? ホーガンよ」
彼は頭をかいて笑った。
/
「な、なるほど。ヤゴコロとはオモイカネ神のことでしたか。浅学でして……申し訳ありません」
壁に立てかけてあった折り畳み式の会議テーブルを持って来て、廊下の向きに沿うように置いた。
そして自分も事務椅子を寮生の部屋(誰も居なかった)から拝借して、ヤゴコロさんに向かい合って座った。
「神の名をもらったが、俺自身大したものではないよ」彼は背もたれに腰を預けて、天井を向いて大きくあくびをした。
「神武、いざなぎ……景気の名前になっているのは知っているだろう。要するにその辺の世代だというだけの話だ」
(とすれば……1970年代頃か)
「なるほど……そういえば先ほど、ウケモチ殿と言う方にもお会いできました」
「おお、あいつは俺の同期だよ。あいつは料理に凝っていてな……」
共通の話題を見つけて談笑をした。おかしな話だ。共通の知り合いなんて本来いるはずもないのに。
それから現状について情報交換をした。ヤゴコロ殿は私が現れるまでいろいろと調べていたらしい。
「さて……この状況をどう考える? 聞けば、お前は上下移動が可能で色々な時代の寮生とストームやらなにやらできるようだが。俺はこの階から移動できない」
「降りた先にも本棚が続いていた。たくさん本が読めると、最初は喜んだが、よく見ればどれも同じ本ばかり……ようするに俺は、階段を降りても上がっても同じ階に出ている。ここに閉じ込められているのだ」
彼は質問をしておきながら、こちらに口を挟む余地を与えなかった。
「お前にできて、俺にはできない。おそらくはお前が出会った他の寮生も移動できなかったはずだ。癪だが、今宵のストーム……どうもお前が主役のようだな。……端的に言ってしまえばズルいな、お前ばっかり」
そう言われましても、と首に巻いたフンドシを触りながら考える。
「主役……かもしれませんが、理由が分かりません。何のためにこんなことが起きているのか」
「オヅノといったな、そいつの仕業ではないか」
それは違う、と思う。……オヅノさんは危機にあるということだったはず。
「気を悪くされるかもしれないのですが、一つ思い至ることがあります」
さっき手に取った文庫本の著者名を見て思いついたことだった。
「言ってみろ」
「星新一先生の『午後の恐竜』という小説をご存知ですか」
「……ああ、俺も読んだことがある。最近出た本だろう」
やはり時代が違うのは間違いない。タイトルだけで私が何を言わんとしているか察したようだった。流石だ。
「……ハハ、なるほどなるほど。俺たちは寮のみている走馬燈、そう言いたいわけだな」
彼は両手でモジャモジャの髪をかき混ぜて、天井を向いて、なるほどともう一度呟いた。
そうか、寮も寿命を迎えるということか、小さくそんな言葉が聞こえた。
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「しかしなあ、午後に現れた恐竜は人間を襲ったりはしなかったはずだ。であれば俺たちが会話できているというのはおかしくはないか」
(それもそうか)
「さっきまでの話を聞けば柔道をやったり、相撲を取っていたというじゃないか。視覚情報だけではできないことだな。他には何かないのか」
ミュンヒハウゼン殿との話を思い出す。
「タイムトラベル……とか、ですがタイムマシンに乗った覚えはないのですが」
「だろうな……しかし、走馬燈というのは当たらずとも遠からず……かもな」
「と、おっしゃいますと」
「死の間際にすること、しておきたいことと言えば……遺言かもな」
「遺言? それは……ヤゴコロさんや過去の寮生の、ですか?」
過去と言うな、彼はシャツの胸ポケットからくしゃくしゃのタバコを取り出した。
(火……いや、灰皿)
ダッシュで本棚をかき分け、調理場の棚から銀色のUFOのような灰皿を取って来る。
「フフ……ホーガン。可愛い奴だな」
いえ、当然のことですから、と息を切らせて会議机に灰皿を置いた。
紫煙を吐き出し、トントン、と灰を落としてから彼は言った。
「過去の寮生ではない。寮自身の、だな。色んな奴がいたということを、誰かに覚えておいて欲しいのだろう。そこで最後の寮生であるお前に白羽の矢が立ったというわけだ」
こ、光栄です。言ったものの、実感がわかなかった。
(寮の遺言……だが)
「これはすごいな。俺はお前と話すことができるし、この状況自体に疑問を持つこともできる、ときたか。再現か記録でしかないのだろうが……生きているのと変わらない。煙草の味も判る」満足気に彼はまた紫煙を吐き出した。……煙草はなくなったら補充されるのだろうか。
「オヅノさんがなにやら危機にあるというのは、どう考えられますか?」
彼は灰皿でタバコの火を消してから、また髪をガシガシと掻いた。
「簡単なことだ。そいつはエサだ。言い方が悪いなら、人質と言おうか。要はお前にこの摩天楼と化した寮を屋上まで上げるだけの動機付け、目的が必要だったのだろう」
「なるほど」辻褄はあう、か? オヅノさんも捕まったのか、あるいは寮と一緒になって私を騙しているのか。
「ですが……俄かには信じられない話ですね」
「他にこの現象の説明がつけられるか? 理由が欲しいと言うならそうだな……。寮の竣工、何年か覚えているか?」
「1920年です」
「よし、であればお前の居る未来では、じき100周年ということだ。九十九神となってもおかしくない頃合いであろう」
「な、なるほど……。この智の冴え、まさしくヤゴコロオモイカネのカミ、このホーガン感服いたしました」膝に手を載せ頭を下げた。
芝居がかったことを言う奴だ、と彼はまた笑った。
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次の階へと旅立つ前、声を掛けられた。
「ホーガン、お前の暮らす時代はどうか」
あまりに漠然とした質問だった。寮の法被をどてら代わりに羽織ったヤゴコロさんが眼鏡の奥でこちらを見ている。
良い時代……だろうか。いざなぎ……。満ちていた活気や、将来への希望、変えようとする意志。今はどうだろう。落ち着いてきた、と言えるだろうか。
それと比べて……今はどうだろうか。
■■
寮の役員をやっていた頃、OBの方と話していて、酷く叱られたことがあった。最近の寮生、大学生はまるで駄目だと。なにもしない、と。何もしないわけではないが……と言いたかったが、では何をしているのかと聞かれれば、これと言った答えは浮かばなかった。
そうやって説教に捕まっていると、大抵誰かがストームを起こしてくれた。ストームが始まれば役員はジッとしているわけにもいかなくなる。
その誰かに感謝をして、私は走り出す。
■■
「時代は……浮き沈みが激しく……一言では言えませんが、寮は変わりません」
これは明確に嘘だった。変わらないわけがない。
この階に乱雑に並んだ本棚、これは書庫の再現だ。これでさえ今はもう……ない。
「皆、寮に育てられ、そして巣立っていきます。私もそうです」
これは本当のことだ。これは嘘であるはずがない。嘘にしてはならないことだ。
「安心したよ」
と彼は眼鏡を外してニコリと笑った。私はもぺこりと頭を下げて、いつかと同じように走り出す。
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遺言……寮は何を考えている。
屋上に辿り着けば、答えは得られるのだろうか。
10,アダナ:ヤゴコロ 【終わり】