0,ファイアーストーム
『ファイアーストーム』
0,ファイアーストーム
火の粉が夜空に昇り消えるのを、ただ見つめていた。
雲がなく、綺麗に星の見える晩秋の夜。
祭りが催されていた。
大きな炎を中心に、その周りを裸の(正確には赤いフンドシ一丁の)男たちが何やら騒ぎながら回り続け、時折男たちは酒をあおっていた。
自分も全裸(正確には首に赤いフンドシを巻いているが股間には巻いていない)となり、少し離れた所からその様子を眺めている。
別に、旅行中に事故に遭い現地の部族に捕えられて、儀式の生贄にされそうになっているとか、そういうわけではない。
ここは日本で、大学のグラウンドだ。炎というのはキャンプファイアーでその周りでバカ騒ぎをしているのは、私の暮らしている寮の学生、つまりは寮生たちだ。
流石にフンドシ一丁だと寒いので、体を動かして温まろうと、余計に騒いでいた。炎に近づけば暖かいのは間違いないが、危険だし、温度の調整も難しい。
年に一度のハレの日に、ストーブの前で縮こまるようなことをしていてはつまらない。
ストームが何かというのを説明するのは難しい。
昔は真夜中に、下級生を叩き起こしてシゴいたり、寮内で騒ぎまわったりすることだったそうだ。しかし私が寮に入るころには大分マイルドになっていて、酒を飲んでフンドシ一丁で騒ぎまわることを指すようになっていた。
ファイヤーストームはそれにキャンプファイヤーが追加されたものだと思ってもらえばいい。年に一度寮の記念祭の最終日、大学のグラウンドを貸し切って行うのが伝統となっていた。
私は火から離れていて、全裸なのでもちろん寒いは寒いのだが、なんだかどうでもよくなっていた。
(自分が向こうに行っても、白けさせるだけだ)
皆、騒いだり、寮歌を歌ったり、一発芸をしたり、たまにコールをかけてやはり酒を回し飲みしたりしている。今年は寮の係が日本酒を多めに用意しているのだろうか。それともOBの方が沢山、寄贈していってくれたのだろうか。中々なくなる気配がなかった。
よいことだ、と他人事のように思う。
酒が尽きない限り、この祭りは終わらない。
(今年で最後だから、後悔のないように、楽しんでくれればよい)そんな風に傍観者を気取って、グラウンドの隅で階段状になったコンクリートの段差に腰かけていた。
と、狂騒を逃れフンドシ一丁の男がこちらに歩いてきた。炎を背にしてスキンヘッドの男が私に声をかけた。
「ホウガンさん、こんな所に居ていいんですか」
ホウガンというのは私の寮でのあだ名だ。寮に入れば、あだ名がつけられるのが通例となっていた。
「ドウシこそ。ほらほら、ストームに混ざってきなさい」
ドウシというのが彼のあだ名だ。一つ下の後輩で、ナントカ拳法をやっているらしく、彼の裸体は細いけれど鍛え上げられ、全身筋張っていた。
「あなたに言われたくはないですよ」そう言うと彼はコンクリートにゴロンと横になって、星空を見上げた。
「俺はもういいよ。それに冷静な奴が何人か残っていた方がいいから」
「そんなのは運営係の仕事じゃないですか……。ゴホッオホッ……」突然、咳きこんだ。
「おい大丈夫か?」
彼は下戸だった。酔いが回って避難して来たのかもしれない。
「ほら、水」そう言ってペットボトルを渡すと彼は「どうも」といって一口飲み、それからまた夜空を見上げた。夜の大学のグラウンドは、標高が高いというのと、近くに光源がないというのもあって、星が綺麗に見えていた。
「いつまでこんな滅茶苦茶なことができるんでしょうね」
「……今日で最後だよ。少なくともファイアーストームは」
これを行うのは年に一度、寮祭の最終日と決まっていた。それに加えて……
「寂しいことを言いますね」
「事実だから」
寮は今年度を最後に閉寮となり来年に取り壊されることが決まっていた。入寮者の数は徐々に減ってきていたし、建物は老朽化していた。反対運動をしようという寮生もいたが、それで寮が若返ることはない。
自分たちは感謝を込めて、日々思い残すことがないように暮らしていくことしかできなかった。
(自分は……卒業まで居られてよかった)
「だったら尚更、皆ホウガンさんを待ってますよ」苦笑いで答える。少し前まで彼らと一緒に騒いでいたのだが、なんというか乗り切れなかった。
最近、いや、ここ数年、ずっとそうだ。
幾ら酒を飲んでも、体は酔っても、精神が酩酊しない。ずっと冷めたままというのが続いていた。人生に対する不安のようなものがずっと拭えないまま、いや酒を飲んでも拭いさることはできない。ただ一時、その不安を忘れることはできる……はずなのだが。
(なんだかどんどん人生の味がしなくなっていくような気がする)
何をやってもつまらない。皆で騒いでもつまらない。必死で楽しもうとして、それができず、ただ空気を悪くしないように楽しい振りをしていた。
自分のことが白けた花火のように感じられる。それに無理やり火をつけようとしているような。
そもそも人生は……、短絡的な答えを出しそうになって慌てて止めた。それはまだ早い、と自分に言い聞かせる。
(なんでだろうなぁ)
こんなこと考えたって仕方ないと思いながらも、頭が勝手に考えるのをやめない。
(俺はなんで、こんなにつまらないんだろう。俺自身がつまらない人間だからか? 精神的なものだろうか)
「こらぁ! なにやっとんじゃ、お前ら!」急に怒号がグラウンドに響いて思考が途切れた。
毎年やって来る、近所のお爺さんだ。
こっちはちゃんと許可も取っているし、火の始末、片付けもしっかりやっている。文句を言われる筋合いはない。……ていうか、そのことを毎年説明しているような気がするが。
ただ……この光景は、少し子供の教育にはよくないかもしれないが。わざわざ見たがる子供はいないと思うけれど。
炎の方を見てみる。
(皆気づかずに、騒いでいる。すげえな。あるいは気づいてないふりをしているのか。……自分が説得に行ったほうがいいかな。ちょうどいい)
立ち上がるとマフラーのように首に巻いていた褌が風でなびいた。冷たい風を受けて唐突に我に帰った。
(こんな格好で行けば、逆上させるだけかもしれない)
いや……だが、俺は信念をもってこの格好をしているのだから。気合いを入れなおし、お爺さんの元へと走ろうとしたが……手で制された。
「オヅノさん……」
いつのまにか、オヅノさんが前に立っていた。オヅノさんは一つ上の先輩だが、卒論で留年して、自分と同じく今年度で卒業することになっていた。
「ホウガン、俺に任せておけ」
彼は理知的に黒縁眼鏡のズレを直してから、お爺さんの方へ向かっていった。右手に一升瓶を持ち、胸を張り背筋をピンと伸ばして歩く背中はとても頼もしく見えた。
最初のうち下手に出てなだめている様子だったが、しばらくするとすっかり仲良くなったようだった。階段状のコンクリートに腰かけて、談笑しながら、酒を一緒に飲んでいた。
(なんか……去年もこんなの見たような気がする。いや一昨年もその前も……か)
「流石、オヅノさんですね」
「ああ、自分では神経を逆なでするだけだったかもな」
しかし……俺は自分の姿を気にしていたが、オヅノさんは本当に全裸だった。
「裸の付き合い、ということだろうか」感心して呟くと、ドウシはところでさっきから気になっていたんですが、と前置きしてから俺に尋ねた。
「ホウガンさんはなぜフンドシを首に巻いているんですか?」
私は頭をかきながら答える。
「うけるかな、と思ったんだ……まあ、うけなかったけど」
素直に白状した。ドウシは狙いすぎかもしれません、真面目に答えてくれた。
「そうか……」
私は虚しくなりながら、炎を取り囲むふんどし姿の男たちを見つめていた。
0,ファイアーストーム【終わり】