初の対外戦争と快進撃
高山市は誰にも見つかっていない秘境であった。
しかし突如として、そんな高山に近づく者が現れた。
北門に現れた鉄騎兵が、いきなり攻め上ってきたのだ。
キャメロット風にしたのが幸いしたか、攻城兵器を持ち合わせていない彼等は撤退していった。
とはいってもいずれは攻略部隊がやってくる。インカ帝国がコルテスに滅ぼされたのはこんな感じだったのだろうか。
ならば先に叩くまで、という事で追撃を行わせた。
すると敵騎兵隊の生き残りは外街1区に逃げ帰ったとの事。
どうやら三壁市が植民地を置こうとしているらしく、その調査部隊のようだ。
地図データを売った時に、世界創生時から"既に開拓されている"この高山市の存在を知ったのだろう。
数日後、外街1区に動きがあった。
外街1区と高山を隔てる約100Bの森を彼等が伐採しようとしているらしい。
アッピア街道や「タヤサルへの道」のように、軍事道路でも造る気なのだろうか。
これはこちらにとっても好都合だ。
その間、門が開きっぱなしになるため、かなり奇襲を仕掛け易い。
翌日、高山に武器庫を解放して装備させた「完全武装」の守備隊1000を残して、同じく「完全武装」の兵2000を分散させつつ、建設中の道路を囲んだ。
外街1区はシガンシナ区のような構造なので、外門と内門がある。
別に外街を落とそうという訳ではないので、まずは外街1区の外門を占拠する。
そして建設員を人質に取り、不可侵を約束させる。
この作戦は概ね上手くいった。いや、いきすぎたといっても過言ではない。
外街1区の画像。※画像左が外壁。
外街2区の画像。見ての通り全て木造である。
私が率いる外街大門攻略隊が外街の門を占拠した際、外街1区の総督は早々に逃げ出し、守備隊を含め市民は歓迎する有様であった。
しまいには何もしていないのに、外街1区自体が降伏してきたのだ。
そして外街1区の内門までもが自ずと開き、市民には侵攻を促されたのだ。
住民から聞く話には、どうやら今回の高山市への侵攻は、三壁政府の目玉政策だったらしい。
そして最前線の外街1区にはかなりの負担が押し付けられたのだとか。
また不可侵条約には中央政府との交渉が必要らしい。
外街1区の住民は、既に離反すると総意を固めている。
これを聞いた私は、三壁遠征を決定した。
まずは1区と繋がり「第2の壁」に隣接する外街2区に交渉のための使者を送った。
しかし、結果は拒絶どころか、軍隊が送られてきたのだ。
敵騎兵隊は「完全兵装」の我が軍にボコボコにされた。
外街1区・2区間の戦いで勝利した私は、外街2区に火を放った。
外街シリーズ全12区のうち唯一の完全木造市街区の2区は、不可侵交渉拒絶の対応を見せるのに丁度であった。
市民は既に逃げ出していたが、急いでいたからか殆どの財産が置き去りであった。
そのため、略奪を許してからの放火であった。
外街2区を焼き尽くした私は、2枚目の壁の内側にある外街3区を訪れた。
そこでは歓迎を受けた。
焼き討ちの報は進軍と同時であったが、それ以前に外街3区でも政府不信が募っていたらしい。
そこで私は中央政府の位置を知った。
てっきり私は中央政府が3重の壁の中心に位置する上街区や下街区にあるものだと思っていたが、実際は最北の地に位置する外街10区なのだという。
そして更に不満の要因を知って、私は驚いた。
三壁共和国は始め、外街10区率いる「北三壁」と上街区が率いる「南三壁」の連合政府だったらしい。
しかしいつしか権力闘争に敗れた南に対し、北が搾取を続けていたのだという。
では何故外街2区は反発しなかったのか。
それは「北三壁」の直轄地扱いだったからだとか。
それに対して他の上街区や下街区、外街1区や3~5区はずっと虐げられてきたのだとか。
そして我々は、かつての連合政府の拠点であった、上街区を無血占領した。
上街に置いた占領地統治局には南三壁の旧統治者を入れ、協力を要請した。
こうして月都帝国の北伐作戦は「南三壁」の独立戦争にまで発展してしまった。
三壁共和国は東安帝国の存在もまだ知らず、「異世界唯一の国家」を自負していた。
しかし植民地戦争を仕掛けた「小集落」に反撃され、本土侵攻まで許してしまっている。
三壁政府は威信を回復すべく、決戦での勝利に賭けた。小戦闘での敗北を全て葬り去れるからだ。
そしてトロッコ鉄道の整備されている外街5区以降に軍備を整えたらしく、外街4区を放棄したらしいと報が入った。
外街5区とこちら側を結ぶ湾岸大橋の西詰には、数え切れない程の敵兵が立っている。
一方こちら側にも、壁の門の一部を一時撤去したために兵員輸送が簡便となり、東詰やその背後にも西詰同様に1000人を下らない完全武装の味方兵が居る。
兵装では圧倒的有利にあるが、殆ど戦っていない向こう側にそれが伝わる訳もなく、向こう側は数で圧倒すれば良いと思っているのだろう。次々に数が増えていく。
このままでは埒が明かない。
そこで私達は陽動作戦を実施する事とした。
TNTトロッコを東西を結ぶ湾岸大橋に仕掛け、西詰で爆破するのだ。
そしてその混乱に付け込む形で外街5区に攻め込むのだ。
実際攻め込むのは湾岸大橋からではなく隣接する壁の上から。
壁を背にして戦う5区にとっては、背後からの攻撃となる。
この作戦ならば、武器の圧倒優位を悟られずに勝てる。
何故悟られたくないかって?
それは、今明かしてしまえば対応策を採られるからだ。
どちらにせよ、外街5区を奪取すれば交渉も楽だろう。そう考えていた。
結果は上々のもので、少しの抵抗はあったものの殆どが鉄道で北へ撤退し、外街5区もこうして圧政から解放された。
解放された外街5区。
しかしそろそろ戦線の延びすぎが気になる所だ。
現状の兵力なら兵站を分断されようと押し戻せるのだが、油断は禁物である。
ナポレオン=ポナパルトの格言にはこんな言葉がある。
「最大の危機は勝利の際に訪れる」
ここで私は侵攻を一旦取りやめ、高山市から道のりにして1000B先にある東安に使者を送った。
三壁に攻め入って欲しいという旨の使者だ。
条件として外街11区と12区の領有容認があったが、我が国の利権には関係ないので承認し、こうして共同侵攻が始まった。
また東安にも完全兵装を100個譲渡したため、東安軍も半ば無敵状態である。
三壁共和国は2正面作戦を強いられ、過疎地域である外街11区・12区を放棄した。
そのため、東安軍の外街11区・12区接収は予想より早く進んだ。
それに対して外街6区から8区には全兵力が集まった模様である。
氷柱が針のように立つこの地で、唯一の交通機関である高架鉄道の路線上に、所狭しと敵兵が並んでいるのだ。
これに対して我々は無人トロッコをぶつけて対応した。
こうして彼等の多くは呆気なく転落していった。
残った者を掃討しつつ外街6区に侵攻すると、6区では建造物の上から射掛けるなどのゲリラ戦を展開された。
しかし6区の殆どの建造物の屋根が木造であったため、発火剤を投げ込まれた家々の屋根は焼け落ちた。
市街戦の結果、外街6区は住民の人的被害こそ無かったものの、殆どの家屋が屋根なしとなった。
外街6区を制圧した結果、東安軍と連絡を取れるようになった。
東安軍は既に外街12区を占拠し、敵軍が放棄した11区で現地住民と戦闘中との事だった。
6区から北に向かうと外街7区。
ここは三壁共和国にとって首都圏防衛の最後の砦であるはずだ。更に北の8区まで戦線が近付けば、首都の10区に影響が及ぶ。
一方でこちらも8区まで攻め上れば、補給線が延びきってしまう。
既に6区を制圧しているが、三壁共和国は交渉に応じない。
そんな事を考えると、敵味方ともにこの7区が限界点なはずだ。
そして私達は更に耳寄りな情報を入手した。
三壁の植民地だった壁外の石野属州でも、独立戦争が起こっているらしいのだ。
そしてその反乱軍が同盟を要請してきたのだ。
既に月都・東安連合軍は、三壁本土の南半と東半を占領している。
そこで壁外属州の反乱軍も糾合したとなれば、流石に交渉に応じるだろう。
そして反乱軍に同盟承認の使者を送った。
但し条件に、西石野の割譲を加えて。
西石野が手に入れば、壁外から直接首都攻撃が可能となるのだ。
更に未開発地帯が広がっており、森林地区であるため戦後の発展が期待できるのだ。
同盟を結べば、外街7区に攻め入らずとも交渉できるかもしれない。
更に西石野という未開発の飛び地を手にして、戦後三壁との通商も望めるかもしれない。
とはいってもまずは同盟締結まで待機。
雪原気候にあって屋根のない6区は非常に寒いものだったため、急いで資材を持ってこさせた。
焦土作戦としては敵の成功なのかもしれないとも思ったが、そういえば火を放ったのは我々であった。
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