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産業革命の前と後

 南方3都市やその周辺では5大研究所による近現代化が進む一方で、その他地域との格差はかなり広がっていった。南方3都市では幾つかの技術分野では20世紀末の様相を呈しているのに対し、他地域ではせいぜい17から18世紀といった様子で、植民地人と本国人のような格差にまで発展していた。南方3都市と西森、開封は近現代化の波に乗っていたが、出遅れた東安市やバビロン市では旧体制(アンシャン・レジーム)と称される、貴族化した旧諸侯やその一角が市民を管理する有様であった。三壁市に至っては殆ど無人の遺跡と化しており、荒れ放題で工業資源として鉄道などは奪われ尽くされていた。その歪みが解消される時、旧体制下で実権を握っていた人々は暮らしていけなくなった。代表例が東安貴族たちである。彼等の一部は先進地域へ移住したが、残る人々は自らの財産を守るので精一杯であった。そんな中の鉄道不況はとどめの一撃で、多くの貴族的大地主が没落していった。というのも、急速に進みつつある資本主義化に、現代人でありながらも旧体制に慣れてしまえば、従う事など難しかったからである。そして東安帝国が主導の鉄道事業に言われるがまま投資し、財産を潰していったのだった。土地・建物を抵当(たんぽ)にした借入の殆どは月都の民間銀行が担い、不況の初期には追加保証として屋敷やその他諸々の財産も抵当に入れさせ、財産の殆どを奪いつくした。旧貴族の一部はホームレスにまで陥った。鉄道不況の後に残った大地主は、抵当として奪い尽くされた土地を買い占め、更なる大地主へと成長した。東安帝国の土地は8割が北方辺境伯、開封公爵、湿地大総督のどれかの資産となった。これらの称号はいずれも3家が力を強めて東安皇帝に爵位を求めたものであったので、最早彼等は旧貴族ですらなかった。この者共は新貴族と呼ばれ、土地を奪われた恰好となった旧貴族からはひどく嫌われた。新貴族は私兵を雇い、それぞれ東安市内に駐屯するようになった。東安帝国はやがてこの3家の寡頭制となり、皇帝や議会は無視した政治が執られるようになった。それに対して三壁市では、遺跡化した市街には誰も寄り付かず、輸送研主導の鉄路構想によって交易路の中継地からも外れてしまったため、知る人ぞ知る秘境とさえ呼ばれるようになった。

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