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東安の乱<後>

 一連の東安の乱の後、植民地に逃れていた人々が本国に戻るようになると、植民地人の発言力が著しく向上した。

 その結果として、南北2つの湿地植民地は独立し、湿地自治国を建国した。

 更に東安本国は月都に開封港以南を割譲したため、大幅に領土を失った。

 バビロン市は自由都市となり、山脈の東西を結ぶ交易路として発展した。

 一方で西方では、雪花と西森の植民地戦争の結果、自然国境である河川の南北で勢力が分かれた。

 元々現実世界で作っていた時はその川をも越える巨大都市を建てようとしていたのだが、植民地戦争により分割されてしまった。

 この地域は南から、かつて雪原の民を征伐した時からの領土である雪原県、そして雪花市の開拓道路の沿線を主とする西域南、そして西森の勢力圏である西域北の3つに分かれた。

 これらは後に更に拡大した西野地域に編入され、西域南は西野、西域北は西野北と分類された。

 海運の栄えた月都にはこの世界初の取引所が設置され、証券や土地などが売買された。

 ここに月都中心の経済体制が完成したのであった。

 海上交通の拠点である月都港と陸上交通の拠点である高山市を結ぶ道路は質素なものであったが、これを機に改築が行われる事となった。

 拡張工事の結果、城壁間の道路幅は10B(ブロック)に及び、街道沿いにも店が立ち並ぶようになった。

 というのも、高山や月都周辺まで敵軍が迫った事が殆ど無く、城壁の内側である必要性が無かったからである。

 三壁や東安では成立しなかった特殊な形態である。更に雪花との連絡も強化され、街道が整備された。

 このように繁栄を遂げる南洋都市圏に対し、三壁諸都市は衰退の一途を辿り、国庫は殆ど(カラ)になっていた。

 また廃墟や空家での農業が行われるようになり、旧市街には土と水が入れられた。

 そうして作り上げた農地で小麦を生産するようになり、特に北三壁は農業地帯となった。

 南にはかろうじて商業が残り、北の農産物を南が売るという形態が定着したのであった。

 この経済体制により、三壁・東安は穀倉地帯、南洋3都市を中心とする経済圏、月都-開封航路と金台大橋を主軸とする東西交易が世界を牽引した。

 また鉄道網が敷かれる事となり、高山から各地への鉄路が結ばれ始めた。

 東安宮殿を雪花商人の手から東安帝国が買い戻し、東安は帝都として返り咲いた。

 というのも、宮殿等の資産を全て接収されて以降、東安東にある城壁の塔を首府としてきた。

 防衛設備は接収対象ではなかったため、残る家臣も城壁に住み着いた。

 しかし商人3人に分割所有されていた宮殿群を全て買い取るにはかなりの時間が経った。

 現実時間で2週間程度であった。

 しかし宮殿を得た代わりに、東安の穀物の半分を無償で提供するという条件を付した。そして東安から流入した大量の安価な小麦により、月都の小麦市場は大暴落を迎えた。

 そこから種々の品々の価格が下がり始め、ちょっとした恐慌気味な気配が漂った。

 その結果として、三壁経済は一気に大打撃を受ける事となり、三壁公国が打ち倒された。

 月都帝国政府はこれを黙認どころか、反乱諸派の統一にも助力した。

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