開拓戦争<上>
地価が上昇し、次々と開拓が推し進められた。
新規開拓地については自分の土地としてよいという開拓特権状を高山で発行し始めたので、次々と開拓騎士団が結成された。
特に大きなものは石野騎士団と雪花騎士団の2つだった。
石野の騎士団は西域区よりも更に西、雪花の騎士団は雪原区よりも西を目指した。
この開拓競争は高山市街にも伝わるようになり、南北数百B離れた両騎士団の開拓の進捗が毎日発表された。
私は開拓をこう定義したのだった。
「道路を通し、農地または牧草地などを整備して、定住を可能にすること」
その結果か、西進道路が異常な長さとなった。
開拓といっても、既に構造物がある地帯のうち誰も住んでいない土地は皇帝領と定めたので、
かなり遠くへ進まざるを得なかった筈。
それでも一国一城の主になりたかったのだろうか、ゲーム内で半年進んだ頃には開拓競争が始まっていたのだ。
雪花騎士団は南海岸沿いを進み、雪花市から1000B西に港を造成した。
そしてそこから陸路で戻るように道路を建設した。
騎士団長の開拓申告書によると、道路は地表を削る形で造ったとか。
実際、馬で走ってみても長かった。
ちなみにこの馬は、騎士団が道中で見つけて家畜化したものである。
元世界ではコストが高すぎて養えない馬でも、
ここなら少量の小麦で養えるし、乗るのに特段の技能を必要としない。
鉄道には劣るが、最果てまで行くのには十分だ。
道中には凍った川が見えたが、やがて海岸側に移り、暫く行くと氷も無くなった。
雪花騎士団はこの港のある「終点」を第2雪花市と名付けたとか。
一方で石野騎士団による開拓も進んでいた。
私が「第2雪花村」に居る間、北から人がやってきた。
それが石野騎士団だった。
石野騎士団が第2雪花村に到着すると、互いの開拓進路を説明し合った。
石野騎士団は川沿いに進み、架かった橋を見つけてやってきたのだとか。
そしてその道路を造ったのが雪花騎士団だったのだ。
土地の境界については雪花騎士団と石野騎士団の間で仮条約が交わされ、第2雪花村を基点として、道路の南と北で分割する事となった。
しかし雪花側としては既開拓地域の北半を失うに等しい。
雪花市経由で帰ると、雪花での不満の様子が覗える。
雪花騎士団への出資者はかなり不満のようだ。
雪花-石野仮条約の後、雪花市では失地回復を唱えて雪花騎士団の募集が行われ、そして騎士団員数は10倍となった。
彼らは開拓道路を通り、北半失地へと侵攻した。
石野騎士団は勿論敗北し、西森まで逃れた。
西域区まで制圧した雪花騎士団は経過を帝国本国に報告し、既成事実化を図った。
更には西森侵攻まで考えていたらしい。
遂にはこの一連の植民地戦争の仲裁要請が西森の美子と雪花の萌香の双方から高山に届いた。
主張する新規開拓地については雪花側を優先し、侵攻を受けた領域については石野側を保護した。
今回の衝突については経緯を目の当たりにしていたからこそ仲裁できたものの、
次似たような事が起きれば仲裁はほぼ不可能だ。
そこで高山に戻った後、緊急勅令を発表した。
「植民地戦争について本国は関わらない」
この高山勅令のすぐ後、今度は南三壁の開拓艦隊と月都の南征艦隊が海戦を行ったらしい。
双方ともに南の大海の向こう側の陸地を発見したらしいが、そこでの衝突が海戦に発展したらしい。
幸い、帝国本国は不干渉主義を採用したため、これを放置できるのだ。
しかしこの戦争は仲裁が無かったために、長期化してしまった。
月都の連合艦隊200隻と三壁・開封艦隊300隻がこの南大洋の覇権を巡って衝突し、同時平行で南大海と三壁・開封を結ぶ海峡大橋を巡って陸上でも衝突が発生したのだ。
東安帝国開封市長は自ら軍を率いて海峡を渡り金台地区を占拠したが、月都のテオドシウス港から出た船々に海上封鎖を受けて退却などというように、双方の国境を越えた争いが始まったのだった。
高山商団や雪花商団は、南海県との交易に月都の海上輸送業者を頼みにしているため、全面的に支援した。
一方で石野の商業団は、西部開拓戦争で失ったものを取り戻すために三壁に協力し、『もう1つの帝都』である東安の商人らは開封を支援した。
こうして東安・開封・三壁・石野連合優位に事が進みつつあったが、石野と三壁の間で北三壁権益を巡り対立、更に三壁と開封のどちらが主導権を握るかの争いとなり、石野と東安・開封は戦線離脱した。
孤立無援となった三壁は帝国領南海県への遠征を強行し、こうして版図は次のようになった。
西森(美子): 南西森以北+北三壁
雪花(萌香): 西南方面
三壁(由美): 南三壁+中三壁+金台+南海県
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