命は大事にしましょう
11月も半ば。子爵家の庭の鮮やかな紅葉も散りはじめ、そろそろ冬枯れの景色となりつつある。
寒くなる季節にはギルバートとのお散歩も薔薇園の奥にある温室でのお茶会になる。
「そういえば誕生日は今月末だろう。誕生パーティーはどうするんだ?」
もう慣れたもので、温室に辿り着くまでの間にオーラのお掃除もすっかり済ませ
暖かい温室で早咲きの蘭に囲まれながら、ジンジャーミルクティーを飲みつつ、今日も公爵家の美味しいお菓子を堪能する。
今日は丸ごとアップルパイ。小ぶりのルビーアップルの芯をくり抜いた所にシナモンスティックを刺して焼きリンゴにしたものをパイ生地で包み焼きにしている。
シナモンの効いたジュワッと甘酸っぱい濃厚なりんごとサクサクのパイ生地のバターの風味よ。
たまらん。
セリナは幸せそうにナイフとフォークを忙しなく動かしつつギルバートの質問に答えた。
「え、そんなのしませんよ?」
セリナは毎年、誕生日にパーティーなどというものはしていない。
姉のジョアンナ(と母)はパーティーが大好きなので毎年やっているが、それは跡継ぎのジョアンナの婿候補を見つける為でもある。大切な家の行事だ。それとセリナでは意味が違う。
そんな訳でセリナの誕生日には父からプレゼントが贈られ、セリナの食事がいつもより豪華になる、という程度で
(ちなみに伯母一家からは後日お土産ケーキ付きの食事に誘って頂くというのが定番化している)
いつもパーティーなどしていないというのは、毎年律儀に花とお菓子を届けてくれるギルバートも知っているではないか。
そう思ってモグモグしながら不思議そうな目を向けると、ギルバートの蒼石の双眸は驚きに目を瞠っている。
「だが……15歳だぞ?」
「ええ、15歳ですね。」
「15歳なのに、しないのか?」
誕生日後のデビュタントは年明けに王城で開かれる新年の大舞踏会だ。
それにはちゃんと出席する手配は取られているのだから、何の問題も無いと思うのだが何故そんなに驚くのだろう。
更に首を傾げるセリナを見て、ギルバートは少し慌てたように
「ミュラー子爵は、セリナが今度の誕生日で15歳になると、わかっていないのか?」
そんな訳あるか。
約4年の間、半月に一度ミュラー子爵家を訪問しているギルバートだ。セリナの家の事情などは疾うにお見通しの筈だが
ここまでは予測出来なかったようだ。
なんだか可笑しくなってしまい、笑いたくなるのを堪えたがバレたらしい
「笑い事ではない。忘れているのであれば俺から」
「いえいえいえ、父は忘れてなぞおりませぬ故、ご心配頂かずとも大丈夫でございます。」
信じられない、といった表情のギルバートに「ウチはこうなのです」と重々しく言うと口を噤むが、怒ったように眉間に深く皺を刻む。
(全く、この方はどうにもお優しくてらっしゃる)
そんなギルバートだから、侍女として一生お仕えしてもいいかも、と思ってしまうのだ。
当の本人であるセリナがにこにこと笑っているのでギルバートも仕方がないと短く息を吐くと
「デビュタントの準備は、しているのだろうな?」
おそるおそる聞いてくるので、またもや笑いを堪える。
「はい。父が用意しているとの事です。」
「そうか。ミュラー子爵の見立てなら大丈夫だろう。」
鷹揚に頷くギルバートを見ながら、セリナはふと感慨深くなった。
この4年ほどでギルバートは随分変わった。成長期を間近で見てきたのだ。セリナにはその変化は不思議に面白く感じた。
背も随分高くなったし、ひょろりと細長かった身体つきもガッシリと大人の男性になった。
ともすると女の子のようにも見えた美しい少年は、すっかり美丈夫と言える大人の男になってしまった。
「ダンスの方は大丈夫なのか?」
セリナに問うその声も変声期を過ぎて、今では低く甘く響く大人の男性のものだ。
(ギルバート様も、すっかり大人におなりなのね…)
自分も社交デビューを迎えるという年齢になり、こうして皆大人になってゆくのかとしみじみ噛み締めていると
「聞いているのか?」
声が間近で聞こえてハッと顔を上げると、思っていたより近くにギルバートの顔があったので思わずのけ反ってしまい、それから慌ててペコリと頭を下げた。
「申し訳ございません。ええと、ダンスは…まぁ、それなりで…」
正直、ダンスの練習はそんなにしていない。
社交で、お付き合い程度に出来ればいいと思っている。
だが、公爵家の、いいとこのお坊ちゃんであるギルバートにとってはダンスは重要なものらしく
「…デビュタントなのだから、それなりでは困るだろう」
としかめっ面をして言う。
(私は、というかウチは特に困らないのだけれど…)と思いつつ「はぁ…」と曖昧に返事をすると溜め息を吐かれた。
「よし、暇を見て練習しよう。そうだな週に一度、家かセリナの家で都合を合わせよう」
「…は?」
何をとんでもないことを言い出すのかこのお方は。
スタンレイ公爵邸など最初のお茶会以来行ったこともないし、そもそもギルバート様にそこまでして頂く理由がない。
たかだか子爵令嬢如きが公爵家の子息をデビュタントのダンスの練習に付き合わせるなぞ、とんでもないにも程がある。
長年のオーラのお掃除のお礼にしても破格過ぎて畏れ多い。
「い、いやいや、あの、大丈夫ですから。」
「何が大丈夫なんだ?」
途端に不機嫌そうな顔をするギルバート。
このお坊ちゃんは自分の思い通りに事が運ばないと不機嫌になるという高位貴族にあるまじき癖がある。
いや、単に使用人と変わらないセリナに対して貴族としての社交の仮面を被る必要性を感じていないだけなのかも知れないが
ともかく。
「えーと、その…練習はですね…」
とにかくこの破格の申し出を、ご機嫌を損ねないようにお断り申し上げなければ
「練習、するのであれば…」
父? 父と…っていうのは現実的ではないな。この時期はほとんど領地に行っていて家には居ない。
「練習は…ええと…」
あ、そうだ。
「ジェラルド、に…頼みますので」
ああ、よかった。ジェラルドなら、頼んでも変じゃない。うんうん、我ながら良い言い逃れだ。
晴れやかな笑顔をギルバートに向けて、セリナはそのまま固まった。
この顔はアレだ。ものすごくご機嫌がお悪い時の─これ以上は無いという程に不機嫌に歪められた眉に、ひんやり冷気を発する絶対零度の蒼の瞳。そして地を這うが如き低い声で─
「……は?」
は? と言いたいのはセリナの方だが、今そんな事を言ったら絶対にいけないというのはきっと馬鹿でもわかる。
というか、どうしてこんなに怒っているのか。
(怖い、怖い、怖い)
何だかわからないが不敬罪で斬られるのではないかという程怒っている。
公爵家の子息からの善意を子爵令嬢如きが断るのが、そんなにも許せないのだろうか。
(それともこれは、もしかしたら断ったらいけないやつだった?)
セリナも一応は学園に入学する前から家庭教師を付けて貴族令嬢としてのマナーやしきたりは学んできてはいるが、そこはやはり子爵家。高位の貴族家のような厳しいものではない。
もしかしたら、こういう時の申し出を断るというのは、とんでもない不敬に当たるのだろうか
恐ろしさに冷や汗をかきながら必死に考え
「も、申し訳、ございま…せん。ぎ、ギルバート様からのお申し出、あ、有難く、お受け致しま、す」
恐ろしさで引き攣る顔にどうにかして笑顔を貼り付け、つっかえつっかえ申し上げると
ようやくギルバートの表情が緩んだ。
「ならばいい。…あまり、変な事を言うな。」
「も、申し訳、ございませんでした。」
やはり、マナー違反だったようだ。危なかった。危うく不敬罪でデビュタント前に命を失くすところだった。
ギルバートも先程の自分の凄まじい怒りに少々バツが悪くなったのか、珍しく眉尻を下げて俯きながらお茶を飲んでいる。
その姿がなんだか拗ねているようにも見えて、またもや不敬ながら可愛いと思ってしまった。不敬ではあるが言葉にも態度にも出さなければ問題なかろう。
いや、しかし恐ろしき哉、高位貴族。
でも将来その高位貴族の家で働こうと思うのならば、マナーやしきたりはやはり学んでおいた方がいいだろう。
無事公爵家の侍女になれたとして、お勤め中に思わぬ不敬罪でバッサリとヤられたくはない。命は大事にしなければ。
✼••┈┈┈┈┈┈┈••✼
「ええと………何処からツッコめばいいのかな…」
「え? すみませんが、もう一度仰って頂けます?」
セリナは目の前の人物がさっき─セリナの話を聞いている途中─から抱え始めた頭の、その艷やかな黒髪の旋毛の辺りを見ながら言った。
その人物─キャンベル侯爵子息レイモンドはそこで漸く顔を上げたが、その菫色の瞳は疲れたような色を見せながらも思案げに視線を彷徨わせ
「…そうだな、まずは、どうしてセリナ嬢は卒業後にスタンレイ公爵家の侍女になる、と思っているのだろうか。」
高位貴族のマナーやしきたりを覚えなければならない。と思っても、子爵家の我が家の伝手ではそうそう簡単にそれを学ばせてくれる家庭教師を調達する事は出来ず
そうだレイモンド様なら侯爵家の方なのだから、頼めば紹介して頂けるかも!
という訳で、善は急げと登校してすぐに「お願いがある」と頼み込んで、その日の放課後に時間を作って頂いたのだ。
試験は月が変わったらすぐにある。
その為、先日よりもたくさんの生徒達が図書室には居て、いつもは静かな図書室もどこか浮足立ったようなざわめきに包まれている。
勉強を教えて貰いつつ、頼みごとというお話をするにはもってこいだ。
そこでレイモンド様にさっそくお願いをしたところ、当然理由を訊ねられ、説明をしているうちにレイモンド様の頭が段々と垂れてゆき…今に至る。
「どうして…と言いましても…」
オーラのお掃除をしている事はギルバート様ご本人にも説明していないし、したくない。
とりあえず4年ほど前からギルバート様の気鬱を晴らす為のお話相手になっている事は先程説明したのだが…
「私は特に家の為の婚姻をするよう父からは言われてはおりませんし、家は姉が継ぐので私は出てゆかなければなりません。婚姻しないのであれば何処かで働かねばならず」
「いや、待て、ちょっと待て。」
手のひらをセリナに向けて話を止めると、レイモンドは「うう…ん…」と呻いた。
「そうだとしてもだ、とりあえずまだ卒業までは4年弱、ある。その間に、婚姻の話が来るかも知れないではないか」
セリナは顎に指をかけて少し考え、それから首を横に振った
「おそらくそういうお話は無いと思います。この4年ほど、私はギルバート様のお話相手として実績を積んでおりますし、家族も皆、私が公爵家で働く事を望んでいるのだと思います。」
「……いや、しかしギルバート様が何と仰るか」
「ああ、それなら」
セリナはにこりと笑んだ
「そもそもが以前、ギルバート様からそのようなお話を頂いたのですよ。」
レイモンドの美しい顔が怪訝そうに歪められた。