信頼の気持ちが心を強くする
学園に入学してから2ヶ月程が経ち、セリナにも友人が出来た。
ブラッドリー伯爵令嬢エレノア様、リース子爵令嬢のマーガレット様。
それからファーガス伯爵子息のウィリアム様と、キャンベル侯爵子息のレイモンド様。
この4人と仲良くなったのは入学してすぐのグループ課題がきっかけだった。
放課後にグループで集まって図書室で調べ物をしたり議論したりして、1ヶ月後の発表結果は『優』を貰った。
席順で割り振られたグループだったが、おそらくは入学早々の親睦を図る為の課題だったのだろう。以来この4人とは何かとよく話すようになり、エレノアとマーガレットとはランチを一緒に取るようになった。
その日も、セリナとエレノアとマーガレットの三人は、学園のカフェテリアのテラス席でランチをしていた。
グループ課題をやっていた時からセリナは思っていたのだが、セリナと一緒のグループになった4人は目立つ。
何故なら4人が4人共、それぞれに美形だから。
エレノアは真紅の薔薇を思わせる艷やかな深い紅の髪に、ツリ目気味の大きな瞳は黒曜石のように美しいし
マーガレットはユラユラと波打つハチミツ色の髪に、明るいペリドットの瞳が愛らしい。
ウィリアムは柔らかな癖毛のキャラメルブラウンの髪に、琥珀の瞳は愛嬌のある可愛らしい顔立ちだ。
そして長身のレイモンドは白皙の美貌に漆黒の髪、神秘的な菫色の瞳は理知的な光を湛え、その身分とも相まって入学早々令嬢達に騒がれている。
席順とはいえ、こんな美形グループに平凡な自分が放り込まれてしまうとは、と最初こそ気後れして腰が引けていたセリナだったが
そんな事にはまるで頓着していない4人と、課題について真剣に取り組んでいるうちに気にならなくなった。
人目を引く、という事は良くも悪くも他人の関心を集める事で、それは当然良いものばかりではない。
嫉妬や羨望、過度の執着は黒っぽい靄となってオーラを漂うのだが、この4人を見ていて、人によってかなり違うのだなと興味深く思う。
「─なるほど、ではセリナと蒼石の君は、噂で取り沙汰されているようなご関係ではない、という事なのね?」
カフェテリアの一角の、陽光が降り注ぐテラス席の丸テーブルで、セリナの右斜め向かいに座るエレノアが食後のお茶を飲みながら言う。
エレノアはその緋色のオーラに淀みがほとんど無く、靄が漂っているのも見た事が無い。
貴族特有の持って回ったような言い回しをせず、聞きたい事は直球で聞いてくるし、思った事もはっきりと口にする清々しいお方だ。
食後の話題はセリナとギルバート─スタンレイ公爵家の双子はギルバートが蒼石の君、ジェームスが翠玉の君、と呼ばれている─2人の噂について、だ。
ギルバートがセリナを呼び捨てにしているのを聞いた生徒達が、あらぬ噂をしている…らしい。
「畏れ多いお話過ぎて、笑い飛ばす事すら出来ませんよ」
セリナは苦笑した。
呼び捨てにしているのは使用人扱いだからだ。見ていればわかるだろうに。
やれやれ、とため息を吐きそうになったセリナの左向かいのマーガレットが愛らしく小首を傾げる。ユラユラとしたハチミツ色の髪に陽光がキラキラと輝いて、今度こそ「ほぅ…」とため息が漏れる。
「でも、今のお話を聞くとそれなりに長いお付き合いなのよね?」
マーガレットは優しい気性だからなのか他人の想いも取り込みやすく、ギルバート程ではないが大小の靄をその柔らかな白のオーラに頻繁に漂わせているので、時折さり気なく取り除いている。
「そう、ですね。かれこれ4年ほどになります。」
そう答えるとにっこりと花のように顔を綻ばせて「ふふ」と笑う
「セリナの話しぶりからして、蒼石の君を信頼なさっているのではなくて?」
セリナも釣られてにこりと笑った。ここで“お慕いしているのでは?”などと言い出さない彼女の事を、セリナは好ましく思っている。
人は自分の見たいように物事を捉えがちだ。噂を聞いて「そうなのでは?」という疑いを持つと全てがそう見えてくる、という人は多い。
けれどマーガレットはフラットな視線で物事を見ている。そういう人は“真実を見る目”を持っているのだと、セリナは思う。
「ええ、ギルバート様はお優しい方ですし、明晰な頭脳と公正な目線をお持ちなので、尊敬もしておりますし、信頼もしております。」
だからセリナもこの二人には正直でありたいと思う。
「お二人が信頼関係にある、というのはわかりましたわ。でも噂というのは案外恐ろしいもの。気にし過ぎるのはよろしくないけれど、少々気を付けた方がよろしいかも知れなくてよ。」
「そうね。彼の方も来年には最終学年ですもの。ギラギラとした方々からセリナが狙われないようにしなくてはね。」
最終学年の18歳から婚約者を持てるようになる。優秀で見目よい高位貴族である彼等の婚約者の立場を狙っている令嬢は多いのだろう。
心配げに眉を顰めるマーガレットに、拳を握りしめるエレノアを見て、セリナは擽ったいような温かな気持ちになった。
入学して最初に友人になったのがこの方達で良かったと心から思う。
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セリナの母が姉のジョアンナばかり可愛がるのは昔からだ。
その理由も何度も母の口から聞いているので知っている。
「ジョアンナはねぇ、私の理想が詰まった子なのよ。私が昔から“こうなりたい”って“こうだったらいいのに”って思っていた通りに生まれてきてくれたの。」
その話をする時の母は頬を染めてウットリとしている。
母の瞳は薔薇色だ。そして髪は金茶色。母は自分の薔薇色の瞳が大好きで自慢だった。
父も母のその美しい瞳に一目惚れをしたのだと。
けれど母は自分の髪は気に入らなかった。
「この髪が白金だったならどんなにいいかしらと、ずっと思っていたのよ。」
そうしたら子爵なんかじゃなく、伯爵家、ううん、もしかしたら侯爵家にだって嫁げたかも知れないのにと、父の居ない所で譫言のように繰り返す。
それは父に対してあまりにも失礼ではないかとセリナは思うが、セリナが口を挟めば母の機嫌が悪くなるのはわかっているので何も言えない。
「ずっと悔しい思いをしてきたのだけど、ジョアンナが私の夢を叶えてくれたの!」
母がずっとなりたかった白金の髪を持ち、母と同じ薔薇色の瞳で、顔立ちも母とそっくりに生まれてきたジョアンナ。
「この子はきっと、お姉様よりも高位の!素敵な方に見初められるに違いないわ!」
それが、母の口癖。
母と伯母の実家はミュラー家と同じ子爵。同じ家で育ったのに伯爵家に嫁いだ自分の姉の事がずっと羨ましかった、姉の夫になったシスレー伯爵だって学生時代は姉より自分を可愛がってくれていたのに
それが家同士の話し合いで長女である姉が嫁ぐ事になってすごく悔しかったのだと、もう何度も聞かされている。
セリナは伯母に可愛がってもらっているので幼い頃から何度もシスレー伯爵家には遊びに行っているが、伯母と伯爵の夫婦仲は大変よろしく、母の言っている事と食い違いがあったが
セリナが母にそれを言う事はない。セリナの話を母が聞いてくれる事はないのだ。
母は盲目的に信じている
「私が白金の髪だったなら、きっと私を選んで下さったに違いないのに!」
セリナの、ミルクティー色の髪とターコイズブルーの瞳は母が大嫌いだった姑、セリナの祖母の色と同じで
セリナが何かを言うと、義母に言われているようで腹が立つ、のだそうだ。
祖母はセリナが生まれる前に亡くなっているので、どんな人だったのか実際のところは知らないが
セリナが生まれる前からミュラー家で働いていたマリサは言う
「セリナお嬢様のお祖母様は厳しくも優しい、とてもご立派な方でした。お若い頃は大変美しい方だったそうで、肖像画が残っているのですけれど…」
母が祖母を嫌って、仕舞い込んでしまったのだという。
思えば、そんな思い込みの激しい母に期待を掛けられて育った姉は、可哀想なのかも知れない…と近頃ようやく思えるようになったセリナだったが、子供の頃は髪と瞳の色でどうしてここまで母に嫌われなければならないのかと悲しかった。姉ばかりが可愛がられるのを見て泣いた事もあった。
オーラに現れる色を視て、その意味する所をだんだんに理解していって、諦めに似た気持ちで割り切れるようになったが
それでも母がセリナを叱りつける時、カッとなった母の、桃色のオーラが怒りの朱に染まるのを見るのは恐ろしかった。
ギルバートが半月に一度、ミュラー家を訪れるようになって半年程経った頃、
いつものように散歩の後の東屋でお茶を飲んでいた。
季節は秋。庭の木々も赤や黄色に色付いて、その鮮やかな色彩を眺めながら、セリナはぼんやりとしていた。
その日、ギルバートが来る前にまたひと悶着あって、セリナは気持ちが疲れていた。
「今日はなんだか…君の方が僕より元気が無いな。」
そう言われてセリナはハッと我に返った。
「あ、申し訳」
「謝らなくていい。何かあったのか?」
不敬に当たると畏まったセリナだったが、いつになく心配そうな蒼の瞳に心が揺れ
「母が…」
つい、ポロリと漏らしてしまった。
慌てて「あ、いえ、なんでも…」と言いかけたセリナだったが
「気にするな、と言ってもなかなかそうはいかないかも知れないが」
ギルバートが言いさして、「ううん…」と言葉を探すように視線を彷徨わせるのを見て、戸惑った。いつもはっきりと意思や考えを告げる彼らしくない態度だと思った。
「…僕達は双子の兄弟だが、どちらかが家を継がなければならない」
語りだしたギルバートを、セリナはじっと見つめた。
他の家のこと、というのに興味が湧いた。
「嫡男はどちらか、それは学園を卒業する18歳までは決めないと、僕らが生まれた時に祖父が言ったそうだ。
嫡男となるべく互いに切磋琢磨し、学園を卒業する際に当主が裁定すると。
だが、父は…」
ギルバートは一瞬躊躇うように俯いた。
「双子と言えど、長男である僕が家を継ぐべきだと…お祖父様の言うことは絶対だから18歳までは決定は出来ないがお前が継ぐのだと…幼い頃から言われてきた。
事あるごとに父は僕を嫡男として扱う。だから母は…」
にこりと、ギルバートはセリナを見て笑った。寂しげな笑顔だった。
「母は、寂しかったんだと思う。一緒に産んだのに、どちらも父の子なのに、僕にばかりかまける父に対して、寂しくて、腹を立てて…」
そう言うと、どこか感情が抜けてしまったように口を噤んだが、一瞬後にハッとしたようにパチパチと瞬きをすると
鮮やかに笑った。
「父が何でも僕を一番にするから、母はジェームスを何でも一番にするんだ。父が僕を優遇すると負けじと母はジェームスを優遇する。もはやこれは子供を介した夫婦喧嘩だ。」
ハハハ、と可笑しそうに笑うギルバートを見て、セリナは胸が痛かった。
「僕は父の事が好きだから、父の期待には応えたいと思う。だけどジェームスの事も好きなんだ。あいつは優しくて、俺なんかより優秀な人間だ。母が悔しがる気持ちもわかる。
だから…」
また、言葉を探すようにして視線を揺らし
「家族といっても、それぞれに違う立場で違う気持ちがある。君は君のままでいいし、他の家族の事はそれぞれが自分で考える事だ。君が気にしなくて、いいんだ。」
そう言うと、ギルバートはなんだか気まずそうな顔をしてお茶を飲み干し「…今日は、これで」と帰っていった。
ギルバートが気鬱を晴らす為にセリナを話し相手にしているだけだと知って、母も姉も取り繕う事をしなくなった。
半年間で、セリナの家のことも察していたのだろう。
ギルバートの気づかいがありがたかった。セリナが辛そうにしているのを見て、ご自分の、プライベートな事を話して下さったのだ。
(なんて、お優しい方だろう)
この時のギルバートの言葉がセリナの支えになった。
だからセリナは何があっても、ギルバートが要らないと言うまでは、ギルバートの役に立ちたいと思っている。
姉の言うようにセリナの卒業後にギルバートが侍女として雇ってくれるのであれば、喜んで仕える。
そう、思っている。