元剣聖は美少女になる。
なろうがTS流行中と聞いてきました。
町から少し外れた森の中。
そこには小さなみすぼらしい家がぽつんと一つだけ建っていた。
家の周りにはこの家を建てるために伐採されたのだろうと窺えるような切り株があり、ぽかりと家とその周りだけは木がないような場所。
黒いナニカは、そんな家に足音一つ立てずに近づいていく。
ナニカは静かに、しかし素早く移動しついに家の中に入った。
全く気が付けないであろうその侵入に、しかし家主の男は気づいていた。
老いて引退した元剣聖、ロン。今や真っ白になってしまった髪を長く伸ばし、現役時代と勝るとも劣らないほどの筋骨隆々な男。
彼はナニカが家の周りの切り株しかないような場所に入った瞬間に察知し、家の中で堂々と迎え撃つ準備をしていた。
暗い家の中、対峙する二人。先に口を開いたのはロンのほうだった。
「あー、そのだな。急に俺の家に入ってきて、何か用か?俺はお前に見覚えがないんだが……」
軽快な口調ながらも油断はしない。一言一言に重い圧の様なものが感じられる。
しかし、ナニカは一言も発さない。その圧を、まるですり抜けているかのように無視している。
動かず、話さず。呼吸をしているかすら怪しいと感じてしまうほど、ナニカからは生気を感じ取れなかった。
「何も話さねえってことは、敵だと思って、良いってことだよなぁ?」
ロンは腰のあたりに持っていた剣を鞘から抜いて、ナニカに向かって構えた。
ナニカは、動かない。
「っ!」
ロンは剣を振り下ろした。何の飾り気もない、ただの振り下ろし。しかし、通常のものとは速度が段違いであった。
結果的に瞬きのうちに上から斬り裂き――しかし、ナニカはまるで斬られてなどいないかのように動き始めた。
ロンは剣がナニカに触れた瞬間に奇妙さを感じていた。手ごたえを感じなかったのだ。
人を斬る、慣れたくないが慣れてしまったあの感触、それが今回の振り下ろしでは全く感じなかった。
更に剣を止めたタイミングでナニカが動き始めたのだ。
即座に剣を体に寄せて、油断を作らないようにするが――ナニカにとっては全くの無駄であった。
静かに、圧も気配も風すらも起こすことなく、ロンの首に何かを打ち込んだ。
首を刺すチクリとした感覚。短く小さな針、何かを注射針で体内に入れた。
そして、その何かが体内に入った瞬間、体が今まで感じたこともないような痛みを発した。
「う、ぐぅ……?」
ロンは思わず剣を落とし、地面に伏せる。感じたことがない次元の痛み。体を内側から剥いで新しい何かを強引にぐりぐりと押し付けるような、そんな感覚を伴った痛みだ。
様々な怪我を体験してきたが、体内まではさすがに鍛えることができなかった。
ロンがもだえる中、ナニカは一言も発することなく家を出た。
そして、ロンはあまりの痛みに意識を手放した。
↓↓↓↓↓
「う、うう」
窓からは光がさしていた。ゆっくりと意識が覚醒していく。堅い床の感覚で昨夜のことを思い出す。
昨夜の謎の体の痛みは消えていたが、しかし妙に体が軽くなったような気がしていた。
目を開けて、違和感を感じつつもむくりと体を起こすと、自分の体が見えた。
筋骨隆々なロンの鍛え上げた体ではない。
小枝のように細い手足に、胸元の薄い凹凸そして、今まで使っていた寝巻がぶかぶかな状態。
「は……?」
まるで少女の様な体、しかもふと出た声も高くてかわいらしいものだった。
「おいおいおいおい。え、えええ?」
一抹の不安と確信めいた嫌な予想が頭によぎるが、そんなことがあり得るわけがないと首を振る。
「鏡、鏡で見りゃいいんだ」
そういってロンは立ち上がり――いつもよりも見える景色がまったく違う――鏡の前に立って、絶句した。
「え、はぁ?」
絹の様な細くて美しい白髪が腰のあたりまでカーテンのように広がっている。顔立ちは可憐でありながらも、きりっとした力のある白色の目。
先ほども見た細い手足に、少しだけ膨らんだ胸。
そんな、いわゆる美少女が鏡の前で間抜けな顔を晒していた。
「はぁ?」
鏡に映った少女はさらに大きく口を開けて驚愕をかわいらしく表していた。
何で三人称で始めてんのこいつ?慣れてないのばればれじゃん。