おはよう
朝起きたら、何を目にする?
携帯のアラームで目が覚めたら、自分の携帯を見る?
じゃあ、携帯のアラームを解除して起き上がったら、次にどうする?
「もー、マジ最悪。今日起きたら母さんがさー、私の嫌いな納豆だしてくるの!!めっちゃ朝から喧嘩したわ」
同級生が友人にそう言って、面白おかしく納豆がいかに食べ物として受けつけないか語っている。
何気ない日常の不満を零しているのをたまたま耳で拾って、私は「あぁ・・・、いいな」とそう思ったの。
朝起きて、家族に「おはよう」と挨拶して、テーブルには朝食が用意されているの。
同級生が言うように、たまに自分の嫌いな物が「賞味期間が近いから」っていう理由で出てくるのね。
それに怒って、たわいもない口喧嘩してみたりして・・・、それってとっても贅沢なことだなって印象に強く残ったわ。
ねぇ、あなたは朝起きたら何を目にする?
「~~~~~~~」
私が眠りの海でたゆたっていると、微かに人の声が波間から聞こえてきた。
なんだかとっても眠たくて、どれだけ寝ても寝足りない。
目を開けるのも億劫で、私は無視を決め込んだ。
目を閉じたまま、そう言えば最後に見た世界は雨が降っていた、とぼんやり思い返す。
雨の一粒一粒が私の衣服に染み込んで、私の一歩一歩が重くなる。風が吹けば芯から体が冷えて、張り付いた制服の気持ち悪さは眉根を寄せる程だった。
でも雨に濡れることを望んだのは私自身で、そう確か「明日学校には何を着ていけば良いんだろう」って冷静に考えている自分がいた。
でも結局、疲れて外に座り込んでしまったんだっけか・・・。
じゃあ、今私が寝ている場所は外なのかしら。
それにしては冷えきっていた体が、ぽかぽかとぬるま湯に浸っているような心地良さを感じて内心首を捻った。その上、勘違いでなければ柔らかな布に包まれている。
さらによくよく耳を澄ますと、近くで男女が話しているというのに、その内容が聞き取れない。日本語とも英語とも異なる別言語のようだった。
益々もって強い違和感が差し迫って、私は重たい瞼を開けた。
その瞬間、視界に飛び込んできたのは赤い花。視界を埋めるように突如として現れたそれに、私は驚きの声を上げた。
「あぁう」
弱々しい声は、私の口から転がり出した。驚きのあまり、言葉にも出来なかったらしいと羞恥が高まる。
咄嗟に口元に伸ばした手がやけに小さく思えて、私は顔の前で自分の手を観察した。
むにむにと膨らんだ掌、小さな指の先には、これまた小さな爪がささやかについている。
頭の回転がいやに遅く、理解するのに時間が必要だった。
確かめるように自らの頬へ、身体へと手を這わす。何処も彼処も柔らかく、ぱんぱんに膨れている。
ーー私の身体じゃない!!ーー
「うぅぶぅー、あぁ~」
喃語と言われる言葉ですらない音。何度も何度も言葉を発しようと努力しても、舌が上手く回らず思うように音の空気を出すことが出来なかった。
ショックと悲しみがどっと押し寄せて、涙がたまる。
「うぅ・・・うぇっ、うわぁぁあああん」
涙がぼろぼろと落ちて布を濡らす。癇癪のようにつんざく声を上げていたが、体温が高まったせいで鼻水が垂れ始め、まともに息が吸えない。鼻が詰まって泣きながらはくはくと口で何とか空気を取り込んで忙しなくしていると、目前の赤い花が消えてプラチナブロンドの女性が慌てた様子で私を抱き上げた。
「~~~~~~~」
女性は何か言いながら、困り顔を浮かべハンカチで私の涙と鼻水を拭った。ようやく鼻で息が出来た私は、新鮮な空気を肺いっぱいに取り込んだ。女性の腕に抱かれ、人心地が着くと私は改めてこの謎の女性へと目を向けた。
背中まであるプラチナブロンドをハーフアップにして、淡い色合いのゆったりとしたワンピースを身につけ、お淑やかに笑むその顔には、いくつか吹き出物がある。しかし、それらも霞むように朗らかに表情を緩める女性は、何処か輝いて見えた。
些か歳を重ねているようにも思えたが、私の知り合いにそもそも外国人はいなかった。
私がまじまじと見つめていると、女性は子守唄のようなものを口ずさみながら私の体を揺らした。ぽんぽんと優しく背中をたたき、あやされる。
「~~~~~~~~♪」
コバルトブルーの瞳は澄んでいて邪気が無い。
その瞳に『私』が映った。
布に包まれた赤ちゃんが、そこに、いた。
私は訳が分からずに、石像のように固まってしまう。
女性は泣き止んだ私を見て、更に柔らかい笑顔を浮かべると、窓辺の席に移った。
窓は開け放たれ、鳥達の軽やかな音色が室内に響く。さわさわと木の擦れ合う音が涼やかな風と共に届けられた。
丸テーブルには、眼前にあった赤い花が活けられていた。そこから微かに花の芳しい香りが流れる。
女性は大人しくなった私を抱えたたまま、窓の外へと視線を移した。視線の動かし方一つ、洗練された美しさがある。
それに反して、私ときたら視線をこっちへやり、あっちへやりと忙しなく、自身の陥った状況を把握しようと努力していた。
しかし、視線を彷徨わせただけで答えが落ちているわけが無い。
昨日は、雨に打たれて疲れて座り込んだはずだ。
どうして自分の意識がこの小さな赤ん坊に入っているのか、考えただけで頭が爆発しそうだった。
私は気分を紛らわせる為に、もう一度室内を眺めた。
室内は過度な装飾は一切無く、女性の利用しているテーブルセットと私が眠っていたであろう揺籃、大人用の寝台があるのみだ。綺麗に手入れの行き届いた室内は質素だが、一つ一つに高級感が漂っている。
「~~~~~~~」
男性の低い声に私はハッとした。視界の端から突如として現れた男性は、私を一瞥して向かいの席に座る。
男性はダークブラウンの髪を後ろに撫で付け、彫りが深く目鼻立ちがはっきりした顔をしている。
しかし、ニコリともしないので、彼の纏う雰囲気はかたく冷たいものだった。女性と同い歳くらいだろうか、顔には歳を重ねた証明が刻まれている。
突然に思えた登場であったが、彼らの会話で目を覚ましたことを思い出す。
そうだった、何を言っているのか分からなくて、違和感を覚えて起きたんだっけ。
「~~~~~」
「~~~~~~~」
耳に集中してみても、やはり彼らの言葉は聞いたことの無い言語に思えた。
とりあえず、私が中学で勉強していた英語ではなさそう。
じゃあ、英語圏以外の国といったら・・・何処だろう。まぁ、見た目からして思いっきりハリウッド映画に出てそうな二人だから、アジア圏ではないことは確かかしら?
ドイツ?フランス?
どこのドイツだ、ラ・フランス。
・・・・・・ダメね、あまりにも世界に興味が無さすぎて、くだらないことしか言えなかったの・・・。
でも、くだらないことを考えたおかげか何時もの調子が戻ってきたわ。
こうなってくると、華奢な女性の腕にすっぽりと抱かれている事実を認めないわけにはいかない。混乱は完全に抜け落ちていないものの、先程よりは落ち着いた頭で状況を整理していく。
どうやら私は、赤子になってしまったらしい。
OK分かった。分かってないけど、分かった。
ということは、よ。
つまり私は死んだか、若しくは意識だけがこの赤ん坊に憑依したか、の二択になるわけよね。
あと、夢を視てるっていう可能性も無くはないかしら。あまりにも匂いとか温度とかが本物に思えるから、その可能性は低そうだけど・・・。
・・・・・・え、ちょっと待ってよ死んでる!?私、死んでるの??!!
いやいや、そんな訳ないわよね、勘弁してよ冗談キツイわよ~。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
・・・憑依してるパターンだとしても、瀕死の状況で魂だけが抜け落ちて・・・みたいな感じだったりするのかしら・・・。
それだったらどちらにせよ、私は死んでるか瀕死じゃない!!!
一人ショックを受けた私は、とりあえず泣いといた。
「あわぁ~~、ふぎゃああぁぁぁぁ」
なんの前触れもなく、また泣き出した私を女性は驚きながらも優しい手つきであやしてくれたのだった。