前世の話し5
前回のあらすじ︰元をたどればじっちゃが悪い。
私は暫くリビングで立ち呆けていたけど、胸に渦巻くドロドロした気持ちを吐き出したくて、気付けば図書館にいた。
私の中で唯一、話しを聞いてくれる人が葉山さんしかいなかったから。私は葉山さんに助けを求めた。
でも、図書館に行っても、葉山さんらしき人はいなかった。
私はもう、なんだか全部が馬鹿らしくなって机に突っ伏して時間を過ごした。
笑い出したい気分でもあったし、大泣きしたい気分でもあった。叫び出して、怒りに吼えても良かったし、嘆きに嘆いて涙に明け暮れていたい気分でもあった。
それでも、行きつけの場所で醜態を晒す真似なんてできなかった。頭の中でまだ冷静な部分が残っていて、「明日になったら普通の顔でまた通うんだろう」なんて有り得る未来を語っていたから。
家になんて帰りたくなかった。
そもそもが家ですらなかった。
私の居場所なんて、はなからありはしなかった。
私のいられる場所は、もうここしかなかった。
無い無い尽くしの人生で、本が、本のある場所が、私にとっての居場所だった。
何処をどう歩いてきたのか全く覚えていなかった私は、靴すら履いてない。泣いてボロボロの顔で、いつにも増してみすぼらしい姿が滑稽だ。
21時前、館内に閉館のアナウンスが流れる。ぞろぞろと利用者が図書館を後にしていった。
私はその様子を席に座ってただ見ていた。
私の体はピクリとも動かなくて、虚ろな顔で視線を流していた。
あぁ、私も帰らないといけない・・・。
じゃないと、ここの人達に迷惑をかける。
でも・・・。
でも・・・・・・。
何処に帰ればいいの?
私はまた、押し入れで自分を殺して生きていかなきゃいけないの?
なんのために?
「あれ!?高梨さん、まだいたの?」
机でぐずぐすと粘っていた私は、聞きなれた声の方向へ顔を向ける。
葉山さんがYシャツとパンツというラフな格好で私に近寄った。葉山さんは、ニコニコとあの人の良い笑顔を浮かべている。
「え・・・、と・・・」
口篭る私に、何時もの様子とは違うと感じとるや、葉山さんが慌てて話し出した。
「あぁ、僕だよ僕!葉山です!何時ものスーツじゃないから分かんないよね、あはは」
そう言ってスーツの前をビシッと引っ張る真似をして、照れたように葉山さんが頭をかいた。
私は惹かれるように席を立って、心の底から会いたかった葉山さんのシャツの袖を握った。
「葉山さん・・・わ、私・・・・・・っっ!!」
葉山さんは驚いたように目を見開いた。だけど、直ぐにしわくちゃの笑顔を浮かべてくれた。
涙ぐむ私の背中を優しく撫でて、葉山さんは「とりあえず、ここを出ようか」とその背を押した。
その手の温もりに、「あぁ泣いて良いんだなぁ・・・。この人だったら話しを聞いてくれるんだ・・・」という安心感に包まれた。
立ち上がった私の足下に気付いた葉山さんは、図書館の職員から来客用スリッパを借りてそれを私に履かせてくれた。必ず後日返しに来ると約束して図書館を出た。
職員は、ボロボロの身なりの私を訝しんだものの、早く閉館作業に移りたかったのか、深く突っ込んでくることはなかった。
「うーん・・・、どうしよう。話しを聞いてあげたいけど、もう夜も遅いし・・・。他の店に行くっていっても、未成年が入っていい店となると・・・・・・。あ~、もしかして今の状況をお巡りさんに見つかったら、僕、結構危なかったりするかな・・・、あはは・・・」
葉山さんは図書館の玄関前で頭を悩ませていた。
葉山さんが困ると分かっていながら、私は彼の袖を離さなかった。きっとこの手を離してしまうと、私を助けてくれる人は、もう誰もいなくなると直感が告げていた。
そうこうしているうちに、ぽつぽつと雨が降り出す。次第に雨足は激しいものとなっていき、隣に立つ葉山さんの声も耳を近付けないと聞こえなくなった。
雨で気温がぐっと下がって、私は身体を震わせた。元より、食事をまともに食べていない私の体は、誰よりも貧相で貧弱だった。
「あ~、ごめん。とりあえず、僕の家に行っても良いかな?温かいミルクでもだそう」
葉山さんの提案に私は賛同して、家にお邪魔した。
運転しながら葉山さんは、たまたま返却しないといけない本があることを思い出して図書館にやってきたことを説明してくれた。
「でも良かったです・・・。私、葉山さんに話したいことがあったので・・・」
葉山さんはにこっと笑みを浮かべただけで答えなかった。
10階建てのファミリー向けマンションに葉山さんは住んでいた。リビングに通されて、私が椅子に座りきょろきょろと落ち着きなく室内を見回している間、葉山さんはキッチンで牛乳を温めていた。
部屋の中は、綺麗に整理されていて清潔感が保たれていた。
しかし、葉山さん以外の、人の気配を感じられず私は首をかしげた。
「あの・・・葉山さん。ご家族は・・・・・・」
以前、奥さんと小さな子供が一人居ると話していたことを思い出して、葉山さんに声かけた。
「ん?家族なんていないよ。僕はここで一人暮らしだけど?」
鍋で牛乳がぐつぐつと沸く音を心地よく聞いていた私は、一瞬彼が何を言っているのか理解できなかった。
「え・・・、でも前に・・・奥さんとお子さんがいるって・・・」
葉山さんは、私に背中を向けたまま鍋の牛乳をコップにうつす。
「まあ、嘘だよね。僕はここでずっと一人で暮らしているよ」
先程と変わらない口調、温度感で彼は答えた。
私は意味が分からずに、葉山さんの背中を注視していた。
一体なんのために、彼がそんな嘘をつく必要があったのか、考えてみた所で答えは出なかった。
葉山さんは両手にコップを持って、一つを私の前に置くと私の真向かいに座った。
「ぇ、と・・・・・・、何でそんな嘘を・・・」
コップに両手を添えて冷えた指先を温めた。なんだか急に信頼していた「葉山さん」が別の知らない人に思えて、更に血の気が引いた。
コップに口をつけて、彼は私を見た。
変わらず穏やかな表情に私はほっと息をついた。
「僕は結婚もしてないし、仕事もしていないよ。親が亡くなった遺産で食っているだけだ。それこそ、スーツなんて君を安心させる為の小細工に過ぎない。全部、嘘だよ」
「・・・・・・・・・っっ」
「まぁ、ちょっと趣味でもの書きをしていてね。感情の動きっていうのが、僕はどうにも苦手らしくて、単調な小説になってしまうんだよね。」
「さてさて、どうしたらもっと味のある作品になるかなと、図書館で本を探しながら考えていたんだ。そしたら、君がいた。一目見て分かったよ。よれてサイズの合っていない制服、汚らしい髪、貧相な体つき・・・・・・、あぁ愛されてない子だなって。だって君、浮いてるんだもん」
葉山さんは明るく笑った。
何時もの優しい口調で、私を貶した。
私は、目の前が暗くなるくらいに気分が悪くなって、手の震えを抑えることができなかった。
「ん?大丈夫かな?僕が怖い?それとも寒いのかな?牛乳を飲みなさい、温まるよ」
葉山さんはそう言って促したけれど、私は怖くて動けなかった。
どうして、彼の家について来てしまったのか。自分が望んだはずなのに後悔が押し寄せていた。
「あれ?聞こえなかったかな。飲みなさい」
「・・・・・・あ、えっと・・・」
浅い呼吸を繰り返す私に、葉山さんは終始笑顔を貼り付けていた。
「飲みなさいって言ってるだろ?」
コンコンとテーブルをノックして彼は催促する。
私が飲めないでいるとコンコンという音は鳴り止むことなく、私を急き立てた。
私は、ぎこち無い動作でゆっくりとコップに口をつけた。牛乳を飲んだふりで唾を飲み込む。
「減ってないね、ちゃんと飲んでね。誤魔化しはいいから」
しかし、彼には通用せず再度穏やかな口調で命令され、観念して牛乳を飲んだ。
温かい牛乳は、若干の甘みを舌に感じたけれど、私を慰めるには何もかもが足りなかった。
本当に、何もかもが足らなかった。
ギャグゥは、話しの展開的にもう少し待ってね。