家族を知る2
「シシィお嬢様、もう暫くしたら奥様ーー・・・お母様にお会いできますよ」
ジャミーラが嬉しそうに私の頬を撫でる。
何時になく喜色を浮かべる乳母に反して、私のテンションは低い。気分に呼応して表情筋も死んでいるのではないだろうか。憮然とした態度になっていることは間違いない。
だからこそ、少しでも私の反応を引き出そうとジャミーラが頬をつついたり撫でたりしているのだが・・・。
誤魔化されないわよ!何時もだったら直ぐに笑ってあげるけど、私の笑顔は0円じゃないの!!
そうね、あたりめくれたら口端だけ引き上げたニヒルな笑みを浮かべてもいいわ!
ニヒル!アヒルではない!!
それはそうと、ニヒルの本当の意味知ってる?虚無的とか、冷たくて冷めてて暗い影があるとか・・・そんな感じの意味よ。
前世で「ニヒルな笑み」の意味が分からなくて国語辞典で調べたのよね。よく男性相手の表現で使われているけど、そういう意味だったのねぇ。
最初はよく「アヒルの笑み」と勘違いしたのよね・・・懐かしいわ。唐突にクールキャラの男性がアヒル口で笑顔を浮かべてるのかと思って混乱したもんよ。
ちょっと練習してみようかしら・・・・・・。さん、はい!
「ぐふっ・・・!」
ジャミーラが口元を抑えて顔を背けた。
頬を赤らめプルプル震えている様子は大変お可愛らしくみえますよ。ジャミーラさん、こちらをお向きなさい。
お向きなさいったら、お向きなさい。
「・・・・・・お嬢様、可愛さが半減して踏み潰されていますよ」
そう言って、私の突き出した唇を優しく摘む。
あら、どうやらニヒルじゃなくてアヒルになっていたみたい。でも私の聞き間違いじゃなかったら、遠回しに「不細工」って言わなかった?
ジャミーラさんったらお口が過ぎましてよ。この恨みはらさでおくべきか!!
言っておくけれど、私は心の狭い人間NO.1の女よ!!
或いは心の広い女ワーストワン!!
この恨み、はらさでおくべきか!!
「あぁ゛~でばあ゛あ゛~」
険しい顔をして手足をブンブンと動かし怨念を送ってみる。
しかし、愛する乳母は私の念を華麗にスルーして「笑ってくださいね~」と脇腹や足裏を擽ってきた。
「あ~~きゃはーーっっ、あーー〜~っ!!」
ジャミーラの指捌きは的確に私の笑いのツボを押して行く。身を捩り、全力で抵抗するが所詮は赤ん坊の力だ。抵抗虚しく乳母の毒牙にかかり、私は甲高い声を上げて笑い転げた。
そしてこの後、私は「人を呪わば穴二つ」の言葉の意味を実感するのだ。
笑いすぎた私は失禁した。
失禁した後はもう大変だった。
流石の私も驚きで言葉が出ないは、情けないはで洪水のように涙を散らせた。
暴れる私にジャミーラもやり過ぎたと感じたのか直ぐに着替えを用意してくれた。しかし、当の私が泣いて暴れてと一種の癇癪に似た状態に陥ったので、彼女も相当に疲弊しながらの着せ替えとなった。
漸く綺麗な衣服を身に付けた頃には、私も乳母も肩で息をしていた。
「はぁ・・・はぁ・・・、お嬢様すみません、戯れが過ぎました」
私を柔らかく抱き上げて、赤ん坊相手にでも真面目に謝罪するジャミーラの唇を掴む。
本当はジャミーラがしたように摘みたかったけれど、指が紅葉のように小さくてかなわない。掌全体で唇を覆う形になってしまう。
私の行動に目を白黒させる彼女へ私は笑いかけた。
この恨み、はらさでおくべきだ!
二人で一通り遊び終えるとジャミーラは乳母車に私を乗せ、張り切って部屋を出た。
何日か前の父親との会話で薄々気が付いていたが、彼女は私と母親を会わせたいと考えているようだった。私がこの世界で目覚めてから、母親と一度も顔を合わせていない。実の親に会わせてあげたいという良心で彼女は動いているのではないかと推察している。
しかし、その良心不要とは思っても言えない。
私としては「会いたくない」というのが本音だ。もう十分、母親には恐怖してきた。ジャミーラがいれば、両親が居なくても私は「大丈夫」だった。
だって、ジャミーラが初めてだった。初めて笑顔で私を受け入れてくれた。それが「無償」の愛でなくても、「使用人」という立場であっても今の私が安心して身を任せることが出来るのは彼女だけだ。
この関係に罅が入るくらいなら、母親になんて会いたくない。ジャミーラと私だけ、狭い世界で終わってしまえばいいと本気で考えていた。
考えて、もう一人の私が囁くのだ。
『お母さんに、愛されたかった』
それは真実、私の想い。願望、泡沫の夢。
もしかしたら、次の母親は愛してくれるかもしれないという冀望が憐れにも顔を出す。
砂糖のまぶした菓子ににも似た甘い期待は、反面毒にまみれている。期待を多く持ちすぎると、現実との齟齬が毒のように私の心と体を蝕むのだ。
それでも、なお、『母』という存在に希望を抱く私は度し難い馬鹿だ。
乳母車の中からジャミーラを見上げる。プラチナブロンドの髪が窓から射し込む光に反射してキラキラと輝く。
「あぁ~うぅ~」
初めて部屋の外に出たというのに、私は後光が差しているような彼女を見つめてばかりいた。
私の突き刺さるばかりの視線に気が付いたジャミーラが口元を緩める。
「大丈夫ですよ、シシィお嬢様」
まるで私の心を、不安を読み取った口振りで励ました。乳母車を一度広い通路で止めて、彼女は横たわる私の頬を撫でる。
「可愛いお嬢様を、お母様にしっかり見ていただきましょう。それと、外はとても綺麗ですから、楽しみにしてくださいね」
再び乳母車を押し進める彼女を私は無言で見続けた。
ジャミーラは私の気持ちなんて知りもしないだろう。しかし、彼女の優しさが、無条件の受容が有難かった。
先程まで心を占めていた不安が少し軽くなって、私は詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
ジャミーラには悪いけれど、私は母親に会うことよりも、外に出かけられることを目的にしよう。
螺旋階段では、乳母車のみ男性使用人に降ろしてもらい、私はジャミーラに抱っこされて建物の一階まで訪れた。もう段差が無いのか再度丁寧に乳母車に乗せられて、私は建物の外へ出た。
何人もいる使用人が「行ってらっしゃいませ、お嬢様」と息を合わせて挨拶する。そういう教育を受けているのだろう、身のこなしに一切のズレが無い。
初めての外出どころか、初めて合わせる顔ぶれ、軍隊のように統制された使用人達に呆気にとられていると、気付けば庭園をジャミーラと彷徨っていた。
部屋の窓から眺めていた花々が目の前に迫る。赤青黄色と色とりどりの見たことの無い花は大小様々で、柔らかい芳香を放っている。
「うぅ~あぁう」
目の前にある真赤な花が目に付いてそれを取ろうと手を伸ばす。
この花は私が目覚めた時に見たものと同じ種類らしい。毒々しい程に堂々と赤く染まる花弁は鮮血のようでゾッとする恐ろしさと孤高の気高さを感じさせた。
一様に美しい花々に私が目を奪われていると、不意に軽やかな女性の笑い声が風に乗って運ばれてきた。
「ーーシシィお嬢様、・・・・・・あの御方がお母様ですよ」
視界の低い私を抱き上げてジャミーラが告げる。指さされた方向に顔を向けると、庭園の空いた一角、そこでテーブルに席を着いて男女が親しげに身を寄り添っていた。
女性は咲き誇っている花々のように赤い髪をしていた。派手な色の髪を綺麗に整え、遠くからでもその美しさは見て取れた。吊り上がった眉、気の強さを示すような双眸もまた燃えるような赤だ。
傍目にも優れた容貌であることが分かる。ざっくりと切り開かれた胸元は、豊満な身体を強調させ、自然と視線が寄せられる。細いくびれを包むローブは細かな刺繍がさされ、彼女の気品と色気をより一層際立たせていた。
母親の隣に座る男もまた整った顔立ちをしている。
しかし、派手な母親と比べると少し物足りなさを感じる。子の欲目と言えばいいのか、父親の方がより色男だ。
「シシィお嬢様、お母様にご挨拶しましょうか」
呑気なジャミーラの発言に私は度肝を抜かした。
なんというか、母親と男は親密な雰囲気を醸し出していて・・・有り体に言えば、男女の関係を連想させた。
そんな二人の仲に「貴女のお子様ですよ~」と地雷を落としに行くなんて正気の沙汰ではない。
と言うかジャミーラは、敢えて空気を読まず、私を利用してこの二人の仲を裂きたいのだろうか。
「えぇ~あうだぁ~」
私がこの先の地獄を回避する為に必死で抵抗するも、彼女は知らんぷりで「そうですか、会いたいですか。そうですかそうですか」と一人で完結させている。
彼女の中で声を掛けることは確定事項らしい。死んだ。
私が白目を剥いている隙にジャミーラは母親の傍に近寄る。
「奥様、こんにちは。お元気そうでなによりです」
おいでませ、昼ドラ。