第九十七話
「く、ううう…! ふ、ううう…!」
リンデはエーファの手を握り締めながら、何やら唸っていた。
瞼を閉じ、額に汗を浮かべるリンデは真剣そのものだ。
「…何か変わったか?」
「いや、特には」
レギンの声にエーファは困ったように頬を掻く。
「はー…」
遂に力尽きたのか、リンデは脱力して座り込む。
心配して駆け寄るエーファを余所に、レギンは胡乱気な視線をヴィーヴルへ向けた。
「本当にこんな方法で強くなれるのか?」
「可能性は、ある」
自信があるのか無いのか読めない顔で、ヴィーヴルは淡々と言う。
この珍妙な行動は、ヴィーヴルの提案で始めたことだった。
『ラインの乙女』にはドラゴンスレイヤーを生み出す力がある。
人間に魔力を与え、竜と戦う力を授ける能力だが、それを既にドラゴンスレイヤーである人間に与えたらどうなるか。
その無尽の魔力の恩恵を受けて、今以上に強大な魔力を操れるようになるのでないか。
そんな推測から始めたこの実験だ。
「『魔力流出』は出来るのに、どうして魔力を送ることが出来ねえんだ?」
「…魔力流出は、蓋を外すだけで良いから楽なんです」
「蓋?」
首を傾げたフライハイトに、リンデは木の枝を拾って地面に何かを描いていく。
「例えば、私の魔力がたっぷりミルクが入った瓶だとすると、この蓋を外して中身を地面に捨てることが『魔力流出』」
ガリガリ、と簡単な絵を描いて説明するリンデ。
地面には蓋が開いて中身が零れているミルク瓶が描かれている。
「魔力を誰かに与えるのは、コレをコップに注ぐような感覚なんです」
ミルク瓶の横に小さなコップが描かれた。
瓶から零れるミルクは、コップに触れてもいない。
要するに、魔力を適当にぶちまけるのは簡単だが、特定の場所に注ぐのは難しいと言う話だろう。
「レギンの時は、上手くいったのですが…」
リンデはティアマトと戦った時のことを思い出す。
槍だけになったレギンに対し、リンデは手で触れることで魔力を注いだ。
あの時と同じ感覚で行ったのだが、エーファには上手く魔力が通らない。
「そもそも他者から魔力を吸収して生きるドラゴンと、自前の魔力のみで生きる人間とでは色々と違うのかもね」
「竜血を浴びた人間が、誰でもドラゴンスレイヤーになれる訳じゃねえ。それと同じか」
ラインの乙女の影響で魔力を与えられた人間も居るのだろうが、それでも人間である限り才能と言う物はあるのだろう。
リンデの例えで言うなら、瓶の深さだ。
どれだけ魔力を溜め込むことが出来るか。
ドラゴンスレイヤーとしての『器』
それが関係しているのかもしれない。
「それでも、保有する魔力が増えるのは、一番手っ取り早く強くなれる方法だ」
「それは、そうだけど」
戦法や戦略次第で魔力の有無は覆すことは出来るが、短時間で身に着く物では無い。
レギン達の敵はザッハークだ。
ザッハークは同じ六天竜であるレギンやヴィーヴルを狙っている。
そう遠くない内に、再び戦うであろうことを考えると、時間を掛けている余裕は無い。
「だったら、レギンに魔力を送ってみますか?」
ポン、と手を打ってリンデは名案とばかりに呟く。
反対に、視線を向けられたレギンは渋い顔を浮かべた。
「あまり、過度に魔力を取り込みたくはないな」
「どうしてだ?」
「…人型を保てなくなる」
レギンは己の手を見つめてそう呟いた。
リンデの魔力を与えられれば、幾らでも魔力を強化できるだろう。
だが、そうすればいずれレギンは己の魔力を抑えきれなくなる。
「ッ」
レギンが恐れていることに気付いたエーファは顔を歪めた。
以前、エーファが語っていたことだ。
レギンは竜化する度に、理性が失われていく。
心が凶暴な竜へと戻ってしまう、と。
膨大な魔力を得た状態で竜化すれば、どうなるか分からない。
最悪、ザッハークと戦う前にレギンが敵に回る可能性すらある。
「じゃあ、他にドラゴンと言えば…」
「………」
「…?」
思わず全員がヴィーヴルの顔を見つめる。
注目を浴びたヴィーヴルは不思議そうに首を傾げた。
「お前が魔力を得てパワーアップするって話だよ」
「…えー」
表情は変わらないまま、露骨に嫌そうな声を出すヴィーヴル。
「何だ、えーって」
「…私にとって、魔力を得るってことは、食事と同じ、なの」
ポツポツとヴィーヴルは呟く。
「…それで?」
「…いくら体に良いからって、口を通さずに、直接栄養を注入するなんて、どうかと思う」
不満そうにヴィーヴルは息を吐いた。
要は、魔力を注入される感覚が気持ち悪いだけだった。
「よし、俺が許可する。やっちまえ、リンデ」
「オーボーだー」
「えっと、良いんですかね?」
フライハイトに言われてリンデはヴィーヴルの手を掴んだ。
ヴィーヴルは嫌そうな声を上げたが、抵抗するのも面倒なのかされるがままだ。
やや戸惑いながら、リンデは魔力をヴィーヴルへと送り込む。
瞬間、ヴィーヴルの体が光った。
「…は?」
「え…?」
突然のことに固まるレギン達。
光に包まれたのは一瞬であり、思わずリンデが手を離すとすぐに収まった。
「………」
しかし、光の中から現れたヴィーヴルの姿は変わっていた。
元々ヴィーヴルはリンデとそう変わらない年頃に見える少女だったが、明らかに変化している。
年齢は二十歳くらいだろうか。
幼い姿のヴィーヴルがそのまま成長したような顔立ちの女だった。
額に埋め込まれたダイヤ。
身に着けた服はそのまま。
誰もが振り返るような美女だが、人間とは決定的に違う部分が一つある。
それは下半身。
宝石のように完璧な女性の胴から下が、ダイヤの鱗に覆われた異形へと変わっている。
足は無く、竜と言うよりは蛇に近い胴体だが、背にはコウモリのような羽根も生えていた。
「…わお」
自分の姿を見下ろし、ヴィーヴルは薄い反応をした。
本人は驚いているのかもしれないが、いつも通りの無表情だ。
「お、お前、それが本当の姿なのか?」
「そう、みたい?」
「何で疑問形なんだよ」
「久しぶり過ぎて、忘れてた」
呑気な様子でヴィーヴルは答える。
きょろきょろと自身の体を珍しそうに眺めてから、フライハイトへ視線を向けた。
「でも、これなら私の力も少しは増す………かも」
「………」
同じ頃、ザッハークはある森の中に居た。
周囲には人間の残骸と、骨だけになった竜の亡骸がある。
他者を喰らうことで魔力を取り込むザッハークにとって、人も竜も関係ない。
何人でも何体でも、出会った者は全て喰らってきた。
「…不快だ」
思い出すのは、ヴィーヴルを狙った時のこと。
ザッハークの竜紋『フェアフルーヘン』で弱らせ、確実に殺せる筈だった。
六天竜であるヴィーヴルを喰らえば、今以上の力を得ることが出来ただろうに。
「………」
いや、そうではない。
ヴィーヴルを逃したことは確かに口惜しいが、それだけではない。
ザッハークは同じ六天竜を過小評価していない。
ヴィーヴルを取り逃がす可能性も十分にあると考えていた。
だが、
「あの人間…」
ザッハークは足下に散らばっていた竜の骨を踏み砕く。
たかが人間がヴィーヴルを庇い、結果的に取り逃がした。
竜血を浴びせることで弱体化させようとした狙いまで見抜かれた。
ヴィーヴルだけならまだしも、たかが人間がザッハークを出し抜いたのだ。
「ラインの乙女とファフニールを優先するつもりだったが…」
あの人間は先に殺す。
考え得る限り最悪の方法で処刑してやる。
ザッハークは誰よりも人間を見下している。
故に、自身に逆らう人間を絶対に認めない。
その心が折れるまで、甚振り続けると決めた。
「………」
ふと、ザッハークはあることを思い出した。
そう言えば、以前にもこんなことがあった。
非力な人間の分際で、ザッハークに逆らい続けた者。
どれだけ甚振っても、決して心が折れなかった忌々しい娘。
あれは確か、十五年前の…