第九十六話
遥か昔、まだこの地にドラゴンが一体しか居なかった時代。
人々は邪竜の力に苦しめられてきた。
神の如き力を持つ邪竜は全ての人間を憎悪し、ただひたすらに破壊を続けた。
古代人達は知恵を振り絞り、様々な道具を作って邪竜に対抗した。
しかし、その殆どが意味を成さず、人類は数を減らす一方だった。
そんな中、ある一つの兵器が邪竜に傷を付けることに成功する。
人類にとって初めての勝利。
撃退した邪竜の血を浴びた女は、英雄と称された。
その後、彼女に導かれるように次々と英雄が出現し、人類は勝利を重ねていく。
対抗するように邪竜から零れ落ちた血から新たな竜を生まれた。
そして、人と竜の戦いは時代と共に激化していった。
「…それで、この最初の女が、私達の中では『ラインの乙女』って呼ばれている、の」
全てを話し終えたヴィーヴルは少し気怠そうに言った。
「その邪竜と言うのが、ファフニールのことですか?」
「そう。ラインの乙女は、全盛期のファフニールに傷を付けた、人の英雄」
リンデの言葉にヴィーヴルはこくりと頷く。
「でも、重要なのは、そこじゃない」
「と言うと?」
「…最も濃い、ファフニールの血を浴びたラインの乙女は、その身から無尽の魔力を、放つようになった」
ヴィーヴルはリンデの顔を眺めた。
それはリンデと同じ特徴だ。
底無しの魔力。
ドラゴンスレイヤーすら超えた魔力をリンデは身に宿している。
「ラインの乙女から、放たれる魔力は、周囲の人間を、ドラゴンスレイヤーに変えた」
「ドラゴンスレイヤーに、変えた?」
レギンは訝し気な顔で繰り返す。
妙な言い回しだ。
確かに英雄達は竜を倒し、後にドラゴンスレイヤーと呼ばれるようになったのだろうが、その言い方だとそれにラインの乙女が関係しているように聞こえる。
「………」
「ヴィーヴル?」
唐突に黙り込んだヴィーヴルにレギンは首を傾げた。
ヴィーヴルは億劫そうに目を伏せる。
「…喋るの、疲れた。続きは明日で、良い?」
「真面目にやれ」
パァン、とヴィーヴルの頭にフライハイトのチョップが叩き込まれる。
思わず頭を抑えたヴィーヴルが、非難するようにフライハイトを睨む。
「…痛い。フライハイト君、何するの」
「話し始めたなら最後までちゃんと話せ! つーか、俺の方が痛かったわ! お前の鱗本当に硬てえな!」
ジンジンと痛む手を抑えながら、フライハイトは言った。
「随分と仲が良いのね。ドラゴン相手に」
苦い表情を浮かべてエーファは呟く。
今までのやり取りでヴィーヴルの性格は理解しているのだろうが、未だドラゴンに敵意を抱いているエーファからすれば複雑なのだろう。
「そうでもねえよ。ほら、続きを話せ」
「…ドラゴンスレイヤーは、竜の魔力を宿した人間のことを意味する」
「それくらいは知っている。竜を倒して、血を浴びた人間って意味だろ?」
「…違う。もっと前」
「前って?」
不思議そうに繰り返すリンデにヴィーヴルはテクテクと近付く。
トン、とその細い指でリンデの胸を指差した。
「竜を退治できるような高い魔力を宿す人間は、生まれた時から血に竜の魔力が宿っている」
「血に?」
「そう。そしてその素養ある人間は、ラインの乙女の周囲で発生しやすい」
そこまで言えば、レギン達にもラインの乙女の正体が分かった。
ラインの乙女とは最初のドラゴンスレイヤーを意味する言葉では無い。
無尽の魔力は確かに強大だが、その本来の役目は戦士では無く…
「ドラゴンスレイヤーを生み出すこと。優秀な人間が生まれてくるように、周囲に自身の魔力を分け与えることか」
人間の持つ魔力量の個人差が大きい本当の理由は、それだった。
両親、或いは先祖がラインの乙女と出会っていたか否か。
「ラインの乙女とは、ただそこに居るだけでドラゴンスレイヤーを次々と生み出す。だからファフニールは私達に、見つけ次第殺すように命じていた」
魔力が豊富な人間が生まれるのはドラゴンにとって都合の良いことのようにも思えるが、ドラゴンスレイヤーの数が増えることは危険だ。
恐らく、古代には、今の何倍のものドラゴンスレイヤーがドラゴンと戦っていたのだろう。
ファフニールはその脅威を知るが故に、ラインの乙女を危険視していた。
「でも、その昔に居たラインの乙女は、もう死んでしまったんですよね?」
恐る恐るリンデは尋ねた。
どれだけ魔力を持とうとラインの乙女は人間に変わりない。
殺されれば死ぬし、放っておいてもいずれ寿命で死に絶えるだろう。
「ラインの乙女は、受け継がれる物なの。初代が死んだ後、その血を引く誰かに。それが死ねば、また次の代にって感じで」
「死んだ者の魔力はどうなる?」
「生物が死ぬと、その身に含まれる魔力はいずれ霧散する。そうして、世界に散った魔力が新たな後継者の下に戻ってくる」
まるで魔力自体に意思があり、自身の子孫を選んでいるかのように。
何代も、何代も、途方も無い時を引き継いできた。
「ラインの乙女が死んで、次の後継者が現れるまで約百年」
「百年…」
「…確か、ファフニールが都市を襲撃するのも百年に一度だったような」
偶然とは思えない。
ファフニールはラインの乙女を狙って、街や都市を襲っていたのだ。
この世にラインの乙女が現れる度、悉くを殺した。
執拗に、狂気的に、殺し続けた。
「待てよ、ってことは二十年前と十三年前に王都が襲撃されたのは…!」
「そう言うことだろうな…」
フライハイトの言葉に、レギンは大きく頷く。
ようやく、あの襲撃の理由が判明した。
ファフニールは王女クリームヒルトを狙って王都を襲撃した。
当時のドラゴンスレイヤーの大半を殺しておきながら、クリームヒルトだけに執着していたのは…
「王女が、ラインの乙女ってこと?」
「私と同じ…」
「ファフニール本人に聞いた訳じゃないけど、多分そうだと思う」
王都襲来はクリームヒルトただ一人を殺す為に起きた出来事だった。
先代ラインの乙女。
六天竜の敵であるドラゴンスレイヤーを生み出す存在を消し去る為に。
「あれ? それっておかしくないですか?」
ふとリンデは違和感に気付き、視線をヴィーヴルに向ける。
「ラインの乙女が死んでから、次のラインの乙女が生まれるまで百年掛かるんですよね? だったら…」
「…それは、私も変だと思った。まだ十数年しか経っていないのに、次が現れるなんて」
ヴィーヴル自身もリンデがラインの乙女だと知った時に口走っていた。
本来百年掛かる『継承』にしては、早すぎると。
「こんなことは私の知る限り、初めて」
「………」
ヴィーヴルの話を聞きながら、レギンは無言で考え込む。
奇妙なことは、もう一つある。
ヴィーヴル曰く、ファフニールはラインの乙女を危険視していたと言う。
ドラゴンスレイヤーを何人も生み出すラインの乙女は、ドラゴンにとって脅威であると。
(本当に、それだけか?)
他の六天竜の反応を見るに、彼らは人間を脅威に感じていない。
ドラゴンスレイヤーが何人集まろうと己が勝ると、確信しているようにも見えた。
その六天竜のトップが、ドラゴンスレイヤーの数が増える程度で、そこまで『ラインの乙女』に執着するだろうか?
「………」
恐らく、ヴィーヴルの言葉に嘘はない。
だが、何かヴィーヴルの知らない事実がまだ隠されているのではないか?
ファフニールがラインの乙女に執着する本当の理由が。