第九話
「そろそろ、どこかで休むか?」
段々と暗くなる空を見上げ、レギンは呟く。
先はまだ長いようだが、これ以上は少々危険だろう。
「そうですね。野営の準備でも始めますか」
殆ど一日中歩きっ放しだったが、リンデは特に疲れたように見えなかった。
華奢に見えるが、意外と体力はある。
旅慣れているのかも知れない。
「さっき山菜を摘みましたから、コレをスープにして食べましょう。レギンはお肉の方が好きですか?」
「いや、俺は別に要らんが…」
呑気に食事へ誘うリンデを見て、レギンは内心呆れた。
この娘、ドラゴンの主食が何なのか忘れてはいないか、と。
それとも、レギンがドラゴンである事実すら忘れているのか、と。
「…俺は適当に動物でも捕まえてくる。ここを動くなよ」
「あ、ちょっと…」
静止の声は聞こえなかったことにして、レギンは地面を蹴る。
既に周囲はかなり暗くなっているが、ドラゴンの眼には関係ない。
視界を広げ、獲物を探す。
ドラゴンの求める獲物は、魔力を多く含んだ存在だ。
この世の全ての存在には大なり小なり魔力が含まれている為、別に人間である必要性は無い。
純粋に体積が大きい動物は、人間ほどでは無いにしろ魔力もそれなりだ。
「………」
見つけた。
のそのそと動く大きな影。
毛皮に覆われたずんぐりとした身体。
野性の熊だ。
「フッ…!」
走る勢いは殺さず、レギンは跳ねる。
熊の体を飛び越えるように跳ね上がり、そのまま熊の頭部へ落下する。
ぐしゃり、と音を立てて踏み締められた熊の頭部が地に陥没した。
「さて、魔力は薄そうだが、少しは腹の足しになるだろう」
「あ、あの…」
「ん?」
妙な声が聞こえ、レギンは熊の上に乗ったまま視線を動かす。
そこには、腰を抜かした少女が目を見開いてレギンを見ていた。
素朴な花のような可憐な容姿であり、身なりが良い。
丁度、年齢はリンデとそう変わらないかも知れない。
何故こんな娘がここに、とレギンは首を傾げた。
「た、助けてくれて、ありがとう、ございます」
「…んん?」
震えながら告げる少女に、レギンは更に大きく首を傾げる。
「今何か凄い音しましたけど、大丈夫ですか!? まさか、隕石とか降って…」
そこへ音を聞きつけたリンデが慌ててやってくる。
熊を踏み潰しているレギン。
その熊に襲われていたように見える少女。
「え? 何ですか、この状況?」
「いやぁ、あなた方は娘の恩人です!」
場所は変わって、とある村。
その村で一番大きな屋敷にて、二人は歓迎を受けていた。
感謝の言葉を告げる小太りの裕福そうな男は、レギンが出会った少女の父親だ。
「………」
その隣でレギンへと熱い視線を向ける少女。
彼女は一人で外を散歩していた際、偶然熊に出会ってしまったらしい。
もう駄目か、と思った時に空から颯爽と現れて、熊を一撃で屠ったレギン。
自分を助けてくれた、と勘違いした彼女に言われるままに二人は屋敷に招待されたのだった。
「聞けばお二人は旅の途中だとか。今晩は私の屋敷でゆっくり休んで下さいね」
「あ、ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げて礼を言うリンデ。
レギンにその気が無かったのは明白だが、結果的に助けたのなら厚意は有り難く受け取っておこう。
野宿も慣れているが、宿があるならその方が嬉しい。
「お父様。私が二人を部屋に案内するわ」
「リーリエ。お前はもう少し反省しなさい。彼が現れなければ、死んでいたかも知れないんだよ?」
「分かってますよー」
そう言って少女、リーリエは逃げるように自分の部屋へ戻っていった。
それに呆れたように男はため息をつく。
「やれやれ、反抗期と言うやつなのですかね。前はあんなに素直な子だったのに」
「………」
男の愚痴は聞き流し、レギンは無言でリーリエが逃げていった方を眺めている。
「おっと、客人に愚痴など聞かせて申し訳ない」
「いえいえ、お構いなく。ええと…」
「ああ、自己紹介がまだでしたな。私はライヒと申します」
恰幅の良い紳士は軽く頭を下げながら、そう名乗った。
「私はリンデ、と言います」
「…レギンだ」
「リンデさんとレギンさんですね。ええ、覚えました」
ライヒはにっこりと愛想の良い笑みを浮かべて、頷く。
「では部屋へ案内しましょう。こちらへどうぞ」
案内された部屋は、高級な調度品が並ぶ見事な部屋だった。
一つずつ用意されたベッドも柔らかく、リンデは思わずそこに倒れ込む。
「凄い。こんなに柔らかいベッドなんて私、初めてです…!」
「…そうか」
「何か不満そうですね? 立派なベッドだと逆に眠れなくなるタイプですか?」
「違う。熊を喰い損ねた」
「ああ、そっち」
ベッドに寝そべりながら、リンデは呆れたように肘をつく。
高級な屋敷など最初から眼中に無く、レギンはずっと喰い損ねた熊肉のことだけを考えていたらしい。
「ご馳走を用意してくれるらしいじゃないですか」
「人間の食事か…」
まだ不満があるように、レギンは荒っぽく椅子に座る。
「…?」
その時、トントンと部屋の扉を叩く音が聞こえた。
少し遅れて、扉が開く。
「し、失礼します」
やや緊張した面持ちで入ってきたのは、リーリエだった。
きょろきょろと部屋を見渡し、椅子に座るレギンを見つけて笑みを浮かべる。
「レギン様。私、改めてお礼が言いたくて…」
(おや?)
もじもじと顔を赤らめるリーリエを見て、リンデは首を傾げる。
この反応、まさかそう言うアレだろうか。
リンデには未だ経験が無いが、本で読んだことはある。
ドラゴンに襲われそうになっていた姫を、颯爽と現れて助け出す英雄の話とか。
細かい所は違うが、リーリエも似たような形で助けられた。
レギンに好意を抱いても不思議ではないだろう。
問題は…
(レギンが実はドラゴンで、どちらかと言えば姫を襲う側の存在だってことかな…)
コレは前途多難だろう、とリンデはひそかにリーリエに同情した。