第八十九話
「キヒヒヒ! そらそらァ!」
一対の黒き翼を振るいながら、ザッハークは狂笑を浮かべる。
他のドラゴンに比べればそう大きな物では無いが、その鱗は鉄より硬く、刃よりも鋭い。
「チッ!」
対するレギンは右腕を黄金の剣に変えて立ち向かう。
翼と黄金が触れる度、辺りに火花が舞った。
「どうしたァ! ファフニール! ティアマトとの戦いで魔力を使い過ぎたのかァ?」
動きが鈍いレギンを嗤い、ザッハークは叫ぶ。
「お前を殺して! その魔力も俺が喰ってやるよォ! ヒャハハハハ!」
貪欲に、強欲に、ザッハークは告げた。
同じドラゴンを喰らうことに何ら躊躇いは無い。
高みを目指す為なら、強さを得る為なら、手段など選ばない。
「この世は弱肉強食なんだよォ! 弱けりゃ、ただ喰われるだけだァ!」
ザッハークの両肩から一対の首が伸びる。
それは蛇のようにレギンの両腕に絡みつき、その肉に牙を立てた。
「ぐっ…この…!」
「消えろ、ファフニール!」
ザッハークは口を大きく開け、光を収束させる。
拘束した上で、至近距離からブレスを浴びせるつもりだ。
「させない!」
「チィ…クソが!」
それを邪魔するようにエーファはスティレットを投擲した。
鱗に覆われていない眼を狙って放たれた攻撃に、ザッハークはブレスを中断する。
「俺の邪魔をしてんじゃねえ!」
ドン、とザッハークは足で大地を踏み締めた。
「ッ! 地面が…!」
瞬間、エーファの足が地面の中に引き摺り込まれる。
まるで沼のように変化した地面はズルズルとエーファの体を呑み込んでいく。
ザッハークの属性は『泥土』
それはただ自身の肉体を泥に変えるだけでなく、立っている地面にさえも影響を及ぼす。
「後で遊んでやるから、そこで大人しくしていな」
「くっ…」
「キヒヒヒ! 俺は他のドラゴンのように人間を無価値だとは思わない」
ザッハークは嗜虐的な目でエーファを見た。
「お前達には価値がある。弄び、嬲り、痛め付ける玩具としてなァ!」
人間と言う種を、どこまでも見下した言葉だった。
生きる為に喰らうのではなく、ただ殺したいから殺す。
これまで出会ったどんなドラゴンよりも、悪意に満ちた存在。
悪竜、と呼ぶべき存在だ。
「その為には、お前が邪魔なんだよ! ファフニール!」
ギロリ、とザッハークの眼がレギンを捉える。
「お前も! ティアマトも! リンドブルムも! 俺以外のドラゴンは全て邪魔なんだよ! この空に! 俺以外のドラゴンは要らねえんだよォ!」
「それが、お前の目的か」
「そうさ! その為にアイツらを殺した! 間抜けなお前達を利用してなァ!」
ティアマトもリンドブルムも唆すことで、レギンとぶつけた。
直接手を下すことなく、ザッハークはその遺体を喰らったのだ。
全ては己の欲望の為。
他のドラゴンの邪魔が入ることなく、弱い人間を嬲り続けていたい。
『弱者を踏み躙る』と言う享楽、ただそれだけの為に。
「…ハッ、弱肉強食が聞いて呆れるな」
レギンは吐き捨てるようにそう告げた。
「利用したと言えば聞こえは良いが、要するに自分では出来ないことを俺に押し付けただけだろう? 直接戦っても勝てないから、コソコソと暗躍した」
「………」
「他人が倒した獲物を喰らうだけのハイエナが、弱肉強食を語るとは片腹痛い」
「…キヒヒ」
レギンの指摘を受けて、ザッハークは口元を吊り上げた。
「キヒヒヒヒヒヒ! ヒャハハハハ!………やっぱムカつくわ、テメエ」
静かな殺意に呼応するようにレギンの立っている地面が脈動する。
ティアマトのように地面に水銀が潜り込んでいるのではなく、ザッハークと同化した地面そのものが変化している。
「噛み殺せ!『ヒュドラ』」
「!」
地面から立ち上るのは、九頭を持つ大蛇。
泥土によって形成された巨大な怪物は、牙を剥き出しにしてレギンへと襲い掛かった。
「チッ…『ブレス』」
迫る蛇の首を躱せないと判断し、レギンは右腕からブレスを放つ。
黄金の光は大蛇の首を全て破壊したが、そこにザッハークの姿は無かった。
「…どこに」
「キヒヒヒヒヒヒ!」
鉄を擦るような嫌な嗤い声と共に、レギンの立っていた地面からザッハークの腕が伸びる。
自身の体を泥土に変え、地中に沈み込んでいたのだ。
足下からの奇襲を仕掛けたザッハークは、そのままレギンの心臓を狙う。
「レギン! 飛べ!」
突然聞こえた声に、思わずレギンはその通りに動いた。
地面を蹴り、空へと逃げるレギン。
「『魔竜剣・伍式』」
ザッハークがそれを追い掛けようと腕を伸ばした時、声が聞こえた。
少し離れた場所から魔剣を両手で振り被るジークフリート。
地面を砕く程の踏み込みと共に、横振りの一閃が放たれる。
炎を伴った一撃が、ザッハークの居た場所を焼き払った。
「仕留めたか!」
「いや、躱されたようだ」
すぐ隣に降り立ったレギンに、ジークフリートは苦い顔で答える。
「不意打ちとは、危ねえなァ。魔剣の英雄様ってのは、随分と汚ねえ真似をしやがる」
地面から姿を現したザッハークは余裕を保ったまま呟いた。
「まだまだ…!」
ジークフリートは地面を蹴り、一気に大地を駆ける。
「正面から突っ込むだけかァ?」
馬鹿にするように嗤いながら、ザッハークは片手で地面に触れた。
ジークフリートが踏み締めている地面も、既にザッハークの支配下だ。
それが全て底なし沼に変われば、人間であるジークフリートは逃れられない。
「む…」
『泥土』の力を使おうとした時、ザッハークは自身に迫る魔力に気付いた。
空より降り注ぐ黄金の槍。
十や二十を超える槍の雨が、無差別に放たれた。
「ファフニールか…!」
咄嗟に地面から手を離し、次々と降る槍を躱す。
レギンの魔力が不足しているのか、数はそれほど多くない。
ザッハークは槍を躱しながら、ジークフリートの方を見た。
「『ブレス・ドライファッハ』」
ジークフリートを狙って、三つの首から同時に暗色のブレスが放たれる。
このタイミングなら防御も回避も間に合わない。
ザッハークの顔に勝ち誇るような笑みが浮かんだ。
「ハァ!」
迫るブレスを前に、ジークフリートは地面を蹴る。
滅竜術で強化した足を使い、地面に突き刺さった槍を踏み締めた。
(槍を、足場に…!)
勢いよく跳躍してブレスを回避したジークフリートは魔剣を大きく掲げる。
「『魔竜剣・肆式』」
落下しながらジークフリートは叫んだ。
両手で振り被った魔剣を重力も加えて大地へと叩き付ける。
(マズイ…!)
その一撃の威力は、ティアマトの戦いの中でザッハークは目撃していた。
まともに受ければ、ザッハークであってもただでは済まない。
ザッハークは足下で魔力を爆発させ、その勢いを利用して攻撃範囲の外へと逃れる。
「危ねえ…!」
大地に大きなクレーターを空けるジークフリートを見ながら、ザッハークは言う。
その威力、回避に失敗していれば危険だった。
だが、当たらなければ何の問題も…
「『電磁万有』」
ドスッと言う鈍い音と共に、ザッハークの身体に黒いスティレットが突き刺さる。
驚くザッハークの視界に、スティレットを握り締めたエーファの顔が映った。
「何…!」
エーファはザッハークの能力で無力化した筈だった。
両足どころか下半身全てを泥土に呑み込まれ、身動きすら出来ない筈だ。
「!」
ザッハークは自身を貫くスティレットが黒い電流を帯びていることに気付く。
エーファの滅竜術は魔力を通した物体に引力と斥力を付与すること。
それを利用すれば、動きを封じられたエーファの体を強引に引き寄せることも可能だ。
「…ッ」
ザッハークの足下にはエーファのスティレットが刺さっていた。
それは、今エーファが放った物では無い。
先程のティアマトの戦いの中でエーファが使用した物の一部だ。
ザッハークはジークフリートの攻撃を躱したと思っていたが、そうではない。
誘導されていたのだ。この場所に。
「…止めは譲ってあげるわ。レギン」
そう言ってエーファは背後を振り返る。
「テメエ、ら…!」
そこには、黄金の剣を手にしたレギンが居た。
身体に刺さった魔弾の影響で、ザッハークは身動きが出来ない。
「貰った!」
黄金の刃がザッハークの心臓を貫いた。