第八十四話
「間一髪、だったな…」
地上を埋め尽くす棘の山を見下ろしながら、レギンは呟いた。
リンデの竜翼が間に合わなければ、どうなっていたか。
不死身に近い肉体を持つレギンはともかく、人間であるエーファ達はただでは済まなかっただろう。
「リンデ、大丈夫?」
「だ、大丈夫です。少し眩暈がするけど、慣れれば何とか…」
心配そうに声を掛けるエーファにリンデは言う。
無尽の魔力を持つとは言え、魔力の扱いに関してはリンデはまだ未熟だ。
継続的に四人分の翼を維持するのは、一瞬で済む魔力流出とはまた別の難しさがある。
「…世話になりっぱなしで悪いが、もう一仕事頼んでも良いか?」
「ちょっと、リンデにこれ以上無理は…」
「こいつにしか出来ないことなんだ」
庇うように言うエーファに対し、レギンは真剣な表情で言う。
それを聞き、リンデもレギンに顔を向ける。
「ティアマトの不死性の秘密が分かりそうなんだ。その為に手を貸してくれ」
「はい。私に出来ることなら…!」
両手に握り拳を作り、リンデは大きく頷いた。
あのドラゴンを倒す為に自身の力が必要であるなら、多少無理をしてでもやり遂げて見せる。
未熟だろうと、幼かろうと、
リンデだってドラゴンスレイヤーなのだから。
「………」
そのやり取りを無言で眺めていたジークフリートは視線を地上へ向けた。
レギン達に空へ逃げられ、必殺の攻撃が不発に終わったティアマトを。
(静かすぎる…)
ジークフリートは心の中で呟く。
怒り狂っていると思われたティアマトは、静かにレギン達を見上げていた。
『………』
ティアマトは無言で空を見ていた。
青い翼を背から生やし、空を舞うレギン達。
空を、飛んでいる。
人間がドラゴンのように翼を生やし、空を飛んでいる。
それに見下ろされるティアマト。
『ッ…』
ティアマトの脳裏に、過去の映像が過ぎる。
この広い空を自由自在に飛ぶドラゴン達。
己の翼を使って、どこまでも飛んでいくドラゴン達。
ティアマトはただ、それを見上げているだけ。
地を這う蛇が、空に焦がれるように。
深く暗い海の底で、空を見ているだけ。
『ア、アアアアアアアアアアア!』
ティアマトは空へ向かって咆哮を上げる。
怨嗟、憎悪、憤怒、そして羨望。
様々な負の念を込めて、絶叫した。
『この私を、この私を見下ろすなァ! 人間如きがァァァァァ!』
ボコボコと地面が波打ち、水銀が放出される。
それは百を超える蛇の大群。
白銀に輝く、蛇の嵐だ。
「チッ、攻撃してきやがった…!」
空を飛ぶレギン達を撃ち落とさんと、白銀の蛇が襲い掛かった。
レギン達はリンデに与えられた翼を使って、それを回避する。
(さっきよりも動きが鈍くなっている…)
蛇の大群はレギン達を追い掛けるが、先程までの触手よりも動きが鈍い。
水銀の変化の速度が遅くなっているのだ。
(地上から離れる程に再生力も落ちている。やっぱりか…!)
白銀の蛇を剣で斬り捨てながら、レギンはリンデの方を向いた。
「リンデ! 今だ!」
「は、はい! 『魔力流出』」
合図を受け、リンデは自身の魔力を解放する。
翼を維持したまま魔力を放つのは困難だったが、範囲を絞ることで何とか発動させた。
空から地上へと放たれるリンデの魔力。
それは見えない波となって地上に降り注ぎ、地の底まで浸透する。
「ッ! 見つけたぞ、ティアマト!」
レギンは地上を睨みながら叫んだ。
「おいおい、まさか…」
「そのまさかだ! リンデの魔力が弾かれた! 地の底にデカい魔力の反応がある!」
ジークフリートの言葉にレギンは答える。
地上に居るティアマトは全て偽者だ。
蛇の大群も全てティアマトの一部に過ぎない。
本物は…
「ジークフリート! 全力で魔力を叩き込め! 大地を割るつもりでな!」
「了解した!」
ジークフリートは魔剣の先端を地上へと向ける。
その剣先に炎が収束し、どす黒く燃え上がっていく。
「滅竜術『黒爆点』」
それは黒く燃える小さな太陽。
バルムンクの剣先から放たれた黒球は、瞬く間に大地を大きく抉り取った。
「『ブレス』」
続けてレギンは黄金のブレスを放つ。
ジークフリートの攻撃で脆くなっていた大地が崩れる。
地割れのように裂けた大地が、大きく音を立てた。
「…来るぞ」
裂けた大地の底。
暗闇の中から、それが地上へと這い出る。
「――――――」
思わず、エーファとリンデは言葉を失った。
大地を揺らしながら地の底から現れたそれは、人間の常識には無い存在だった。
ドラゴンと呼ぶことすら憚れる程の存在感。
山脈のようなスケールを持つ超巨大なドラゴン。
魚のようなえらが生えており、水銀の翼はぐにゃぐにゃと蠢いている。
顔には耳が無く、鋭利でどこかサメに似ていた。
しかし、鱗に覆われた足は四本確かに存在し、その巨体を支えている。
「…人間体で、あの再生力は有り得ない。だから、ティアマトは竜体なのではないか、と思った」
人間体と竜体。
再生力に優れるのは当然ながら竜体だ。
魔力を十全に使えるからと言うのもあるが、単純に肉体が巨大化するからだ。
人間体の腕を一本再生するのと、竜体の腕を一本再生するのは同じコストだ。
心臓を破壊されるリスクもある為、人間体に拘る理由は一つも無い。
『………』
ティアマトは最初から竜体だったのだ。
本体である肉体を地の底に隠し、地上には分身だけを放っていた。
だとするならあの異様な再生力も頷ける。
どれだけの数の分身を放とうと、それはティアマトにとってほんの一部に過ぎないのだから。
「何てことは無い。俺達は今まで、アイツの小指と戦っていただけだったんだ」