第八十二話
『ははははははは!』
笑うティアマトの長い髪が不気味に蠢く。
光沢のある髪がぐにゃぐにゃと歪み、無数の触手となってレギン達へ襲い掛かった。
「…ッ!」
手にした黄金の剣で受け止め、レギンはその重さに驚く。
ドロドロとした形の無い水銀だが、それは決して脆くない。
一本一本が鋼鉄の槍のような物だ。
伸縮自在、変幻自在の凶器。
ある意味では自由自在に黄金を操るレギンに似た属性だ。
「レギン! 下!」
「チッ…!」
リンデの鋭い声を聞き、レギンは咄嗟にその場から飛び退く。
先程までレギンが立っていた地面から、水銀の柱が突き出る。
(髪だけじゃねえな。足を液状化して、地面の下を潜り抜けてきたのか…)
ティアマトは全身を水銀に変え、周囲に広がっている。
最初に魔力を感じたように、周囲一帯全てがティアマトの体と言っても過言ではない。
(触手を何本斬ろうが意味はない。本体を潰さねえと)
レギンはティアマトを睨む。
無数の触手を手足のように操りながら、ティアマトは笑みを浮かべていた。
「…おい、ジークフリート」
次々と襲い掛かる水銀の触手を躱しつつ、レギンは近くに来たジークフリートに声をかけた。
「何だい?」
「今から俺が囮になる。その隙にアイツの心臓を貫け」
ティアマトはレギンに強く執着している。
戦闘の中であっても、ティアマトが意識しているのはレギンのみ。
ジークフリートやエーファにも攻撃を放っているが、あまり重要視していない。
本人の目的がレギンだと言うのも理由の一つだが、何よりティアマトは人間を軽視しているのだ。
ただの人間も、ドラゴンスレイヤーも変わらない。
六天竜の前では何も出来ず殺される虫けらだと。
それはきっとティアマトの隙となる。
「行くぞ!」
黄金の剣を片手に、レギンはティアマトへ駆け出す。
そうすればティアマトの眼は自然とレギンだけに向いた。
『本来のお姿には戻らないのですか?』
「お前の方こそ!」
水銀の触手を手にした剣で弾きながら、レギンは叫ぶ。
「黄金よ…」
剣を握っていないレギンの左腕が黄金へと変化する。
「敵を縛る鎖となれ!」
『む…』
溶け出した黄金が無数の鎖に形を変え、ティアマトを縛り上げた。
細い鎖に変化しても、黄金の強度は変わらない。
その拘束から逃れることは例えドラゴンであっても、容易いことではない。
『肉体を水銀に変えられる私に、こんな物が意味があると?』
「ねえだろうな。だが、一瞬でも動きを止められればそれで十分…!」
「『魔竜剣』」
レギンの背に隠れるように立っていたジークフリートが、片手で魔剣を構える。
右腕を大きく引いた体勢から、勢いよく地面を蹴る。
「『参式』」
僅か一歩で距離を詰めたジークフリートが渾身の突きを放つ。
狙うのは当然、ティアマトの心臓。
それに気付いたティアマトは全身を水銀に変化させるが、間に合わない。
ジークフリートの魔剣が、ティアマトの胸を貫いた。
「これで…」
終わり、と言いかけてレギンは顔色を変える。
胸を貫かれたティアマトの表情を見たからだ。
『…は』
その端正な顔に浮かぶのは、嘲笑。
ジークフリート達の無駄な努力を嘲る顔だ。
「くっ…! しくじったか!」
狙いを損ねたことに気付き、ジークフリートはティアマトから距離を取る。
引き抜いた魔剣には、ティアマトの血が付いていなかった。
「ど、どうしてですか? 心臓を貫いたのに…?」
「外した、みたいだ」
困惑したリンデの言葉に、ジークフリートは苦い表情で答える。
「そうか。奴は全身を液状に変えられる。だから…」
「…まさか、心臓の位置を自分で動かしたの?」
レギンの推測を聞き、エーファは目を見開く。
ドラゴンの肉体構造が人間とはかけ離れた物だと言うことは知っていたが、それでも常軌を逸している。
見た目は人間に近いのに、心臓の位置がどこにあるかも分からないなど。
人間とは逆の位置かもしれないし、頭部にあるかもしれない。
「…全身を一度に破壊するしかないか」
ジークフリートは魔剣を握り締めてそう呟く。
「出来るのか?」
レギンは確かめるように言う。
ティアマトの肉体は変幻自在な性質もそうだが、純粋な強度も決して脆くはない。
水銀の触手を切り払うのとは訳が違う。
再生力も高いティアマトの肉体を全て破壊するのはレギンのブレスでも不可能だ。
「俺はこれでも黄金のドラゴンスレイヤーと呼ばれる男だからね。少し、本気出しちゃうよ」
剽軽な笑みを浮かべて、ジークフリートは魔剣は天に掲げた。
「魔竜剣バルムンク。真の姿を見せろ」
言葉に応えるように、骨で出来た刀身が黒く焼け焦げる。
黒く染まった刀身から噴き出す炎が、ジークフリート自身さえも呑み込む。
「滅竜術『炎威剣』」
それは炎の剣。
ドラゴンを象徴する『炎』を操る滅竜術。
ドラゴンスレイヤーの頂点に立つジークフリートの生み出した竜殺しの術だ。
「全員巻き込まれないように、気を付けてくれよ」
ジークフリートはそう言うと、燃え盛る魔剣を振るった。
「『魔竜剣・弐式』」
放たれるのは四方に飛ぶ四つの斬撃。
しかし、今度は斬撃だけでは無い。
ジークフリートの振るう魔剣の軌跡に沿って、炎が放たれる。
(さっきより威力が上がっている。それに、炎の追撃まで…)
「…援護を頼むよ」
一言呟き、ジークフリートはティアマトへと走り出す。
水銀の触手はジークフリートの放った炎で燃え盛り、思うように動かすことが出来ない。
『鬱陶しい。私に近付くな』
ならば、とティアマトは自身の髪を水銀に変化させ、ジークフリートへ伸ばす。
「黄金よ、身を護る壁となれ!」
だが、それはジークフリートの目の前に出現した壁によって防がれた。
地面よりせり上がるように現れた黄金の壁。
ティアマトを真似て、レギンも地面の下に黄金を流していたのだ。
「ナイスだよ、レギン!」
ジークフリートは黄金の壁を足場にして、空高く跳躍する。
両手で燃え盛る魔剣を握り締め、頭上に掲げた。
『無駄なことを…』
ティアマトは頭上を睨みながら呟く。
どんな攻撃だろうと、溶けて地中に逃れてしまえば意味はない。
嘲りの表情を浮かべて、ティアマトは全身を水銀に変える。
「滅竜術『電磁万有』」
『…ッ!』
バチバチ、とティアマトの全身に黒い電流が走った。
変化が止まり、ティアマトの動きが麻痺する。
「私の魔弾は、取り込まずに弾くべきだったわね」
『き、さま…!』
憤怒の表情をエーファに向けるティアマト。
しかし、全てが遅かった。
「『魔竜剣・肆式』」
空中から炎を纏った魔剣が振り下ろされる。
落下の衝撃も攻撃に加えた一撃。
それはティアマトを立っていた地面ごと粉砕し、蒸発させた。