第八十話
その日、レギンとリンデはドラゴンスレイヤー本部に呼び出されていた。
会議室へ来るのも三度目だ。
一度目も二度目もろくな目に遭わなかった為、レギン達は身構えながら椅子に座っていた。
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」
その緊張を解すようにジークフリートは言う。
それから集まった者達へ視線を向けた。
集められたのはレギン、リンデ、エーファ、ファウスト。
ハーゼは除名され、フライハイトは負傷により王都を離れている。
この場に居るのは今、王都にいるドラゴンスレイヤーの全てだ。
「皆に集まってもらったのは他でもない。六天竜の居場所が分かった」
全員の顔を確認した後、ジークフリートは本題を告げた。
「名前はティアマト。六天竜の中でも特に危険度の高いドラゴンだ」
「…確か、ファフニールの次に古いドラゴンと言われる怪物よね?」
ドラゴンの強さは生きた年月だ。
ファフニールが最強のドラゴンと呼ばれるのは、最も古い歴史を持つからだ。
それ故に、ティアマトはファフニールに次ぐ魔力を持つ。
ファフニールが倒された今、六天竜最強のドラゴンはティアマトだ。
「俺はこのティアマトを探して数年前から調査を行っていたんだ」
「…ミットライトに居たのはその為か」
ジークフリートの言葉にレギンは気付く。
初めてレギン達がジークフリートに出会った時、彼はミットライトに居た。
グンテル曰く、許可なく王都から離れることは出来ないと言うのに。
「そういうこと。前々から噂を聞いていた場所を調査した帰りだったんだ」
そう言ってジークフリートは壁に貼られた地図を指差す。
王国の東の果て。
人々の生活圏から離れた死の土地を。
「トラオア城跡。この場所にティアマトは潜んでいる」
人の入り込まない瘴気に満ちた地。
ドラゴンが住処とするには絶好の場所だ。
「ティアマトの討伐は最優先事項だ。だから、陛下は我々に一つ任務を下した」
「任務…?」
リンデの問いにジークフリートは深く頷く。
「ドラゴンスレイヤーの総力を以て、六天竜ティアマトを討伐する」
ジークフリートはそう宣言した。
千年以上人類を苦しみ続けた怪物は、今代のドラゴンスレイヤーの手で終わらせる、と。
ドラゴンスレイヤー達の驚きは大きかったが、反対する者は一人も居なかった。
各々の目的はどうあれ、ドラゴンスレイヤーとなった時に覚悟は出来ている。
敵がどれだけ強大であろうと、戦う前から諦める理由にはならない。
「場所はトラオア城跡。高濃度の魔力に満ちたあの場所は、魔力が低い者では呼吸することすら危険だ」
「………」
ジークフリートはファウストに視線を向けた。
実力はともかく、魔力ランクで判断すればファウストは騎士以下である。
故に討伐メンバーには加えられない、とジークフリートは判断した。
「ティアマトと交戦している隙に別の六天竜が王都を狙わないとも限らない。ファウストには王都を護ってもらう」
「…了解した」
僅かに悔しさを滲ませながら、ファウストは頷いた。
思うところが無い訳でも無いが、子供染みた我儘で人々を危険に晒す愚は犯せない。
「討伐メンバーはエーファ、レギン、リンデ…」
「ちょっと待って。リンデまで?」
思わずエーファが口を挟む。
魔力が高い者しかこの作戦に参加できないと言うのは理解したが、未だ経験の浅いリンデまで参加することには納得できない。
「言った筈だよ。今回の戦いはドラゴンスレイヤーの総力を以て当たる、と。それだけティアマトは危険な相手なんだ」
「なら尚更…」
「エーファさん」
心配そうな表情を隠さないエーファにリンデは言った。
「私なら大丈夫です。私だって、ドラゴンスレイヤーですから」
リンデは小さな握り拳を作る。
戦いでは役に立てないかもしれない。
それでも決して足手纏いにはならない。
恐ろしいドラゴンとの戦いであっても、リンデに恐怖は無かった。
むしろ、喜びの方が大きかった。
今回の作戦を決定した国王か、メンバーを選抜したジークフリートかは知らないが、こんな大事な戦いにリンデも参加することを認められた。
戦力として期待されたことが、嬉しかった。
「…やれやれ、子供の成長ってのは早いものだね。俺、ちょっと涙が出そうだよ」
「リンデはお前の子では無いだろうが」
わざとらしく目を潤ませるジークフリートに、レギンは呆れたように言った。
どこか嘘臭いが、リンデの成長に感動しているのは本当らしい。
「それから、最後の討伐メンバーは俺だ」
「え…!」
「ジークフリートさんが…?」
「何でそんなに驚くのさ? ドラゴンスレイヤーの総力なんだから、当然俺も参加するさ。こう見えてもドラゴンスレイヤーの最高戦力なんだぜ?」
驚愕するエーファとリンデにジークフリートは剽軽に笑う。
「…最高戦力だからこそ、王都を離れられないのではなかったのか?」
「今回も特別さ。アルベリヒ王の許可は取ってある」
それは当然だろう。
そもそもこの任務はアルベリヒ王の下したものなのだから、許可を出さない理由が無い。
それだけアルベリヒ王も今回の作戦には本気だと言うことだ。
「グンテル様には、また嫌味を言われるだろうけど」
ジークフリートは苦笑いを浮かべて、そう呟いた。
「ティアマト様。次はどうするおつもりで?」
トラオア城跡にて。
ドラゴンスレイヤー達が討伐作戦を計画しているとは知りもせず、ミーメは呑気に尋ねた。
フェルスとネーベル、ティアマトが放った二人の刺客は役目を果たせなかった。
「あの二人のことは残念でしたねェ。特にネーベル。アレの能力は、記憶を取り戻すのに最適だったのに」
正直なところ、ティアマトはフェルスには期待していなかった。
フェルスを放ったのはレギンの足止めや注意を引くのが目的であり、本命はネーベル。
ドラゴンの中でも稀有な記憶に関する能力を持つネーベルを利用することで、レギンをファフニールに戻そうと企んでいたのだ。
「ネーベルと同じ能力を持つ者には当てがないし、そろそろ本格的に動き出しますか?」
「………」
「例えば、ご自分で記憶を引き出すとか?」
ミーメはフードに隠れた顔をポリポリと掻きながら呟く。
我ながら悪くない提案だとは思う。
ファフニールが最も長く時間を共にしたのは間違いなくティアマトだ。
ティアマトと出会うことで何かの拍子に記憶が戻る可能性は十分にある。
まあ、ミーメの本音としては記憶など戻って欲しくないのだが。
『…いや』
ティアマトは静かに首を振った。
『まだだ。まだ早い』
「と言いますと?」
『別の者を用意する。ファフニールの記憶を取り戻せる者を…』
普段より低い声でティアマトはそう告げた。
その言葉にミーメは訝し気な顔を浮かべる。
「何をそんなに恐れているのです?」
思わず、ミーメは抱いた疑問を口にしてしまった。
そう、恐れだ。
ティアマトは何故かファフニールに会うことを恐れているように見えた。
いや、より厳密には…
今のファフニール、つまりはレギンにだ。
ファフニールが生きていると知った時にはあれだけ歓喜していたと言うのに。
『…恐れている、だと?』
ぐにゃぐにゃと水銀で構成されたティアマトの体が歪む。
それを見て、ミーメは己の失言に気付いた。
『誰が! 何を! 恐れていると言うのだ…!』
「も、申し訳…!」
謝罪を口にしようとしたミーメに水銀の触手が襲い掛かる。
流体でありながら鉄すら貫く一撃を見て、慌てて回避した。
『お前は私の何を理解したと言うのだ? お前如きが! 私の何を!』
ボコボコと地面が泡立ち、次々と水銀の触手が伸びる。
以前のような拷問染みた懲罰では無い。
本気の殺意がミーメを襲った。
「くっ…!」
ミーメの言葉は、何かティアマトの深い部分に触れたのだ。
逆鱗、と呼ばれる部分に。
「仕方ありません…!『ブレス』」
苦い表情を浮かべてミーメは口からブレスを放つ。
暗い色をした光は、ティアマトの体の一部を消し飛ばす。
この程度の攻撃でダメージなど与えられないが、目晦ましにはなる。
その隙を突いて逃げ出そうとミーメはティアマトに背を向けた。
『逃げられると思うか?』
走り出したミーメの前に、水銀の柱が出現した。
一本だけでは無い。
ミーメの周囲を取り囲むように、地面から水銀の柱が伸びる。
『どちらにせよ、お前の役目は既に終わっている』
一本の水銀がミーメの胸を貫いた。
「が…ああああああ…!」
ドラゴンの急所である心臓を一突き。
断末魔の叫びを上げるミーメだが、宙づりになった身体では何も出来ない。
やがて、ミーメの体は動かなくなった。
『ふん』
ミーメの体をゴミのように投げ捨て、ティアマトは息を吐く。
未だ不快な気分は晴れない。
千年を生きるドラゴンである自身が、何を恐れると言うのか。
『ファフニール…』
空を睨むように見上げながら、ティアマトはその名を呼んだ。