第七十八話
ドラゴンスレイヤーに上下関係は無い。
十年以上戦い続けた歴戦のドラゴンスレイヤーだろうと、未だ数える程しか任務をこなしていない新人だろうと立場は対等である。
しかし、ドラゴンスレイヤーも人の組織である為、多少の格差は生まれる。
新入りのドラゴンスレイヤーは先達を敬うものであり、逆に相手が自身より若い者であっても実力が上なら敬意を表す。
それ故、公的に定められている訳では無いが、暗黙の了解としてドラゴンスレイヤーはジークフリートが中心となっている。
自然と本部に専用の部屋が設けられ、国王からも直々に特務を下されるなどあらゆる意味で特別な存在だ。
「あれ? アンタ、具合悪いから休むって言ってなかったっけ?」
ジークフリートの部屋の前で、本部に勤める女は言った。
部屋の清掃が彼女の仕事なのか、掃除道具を手に持っている。
「具合良くなったから、ちゃんと働くことにしたの」
女より少し若く見える少女は苦笑を浮かべて答えた。
それを聞き、女はがっかりしたように肩を落とす。
「ちぇっ、折角ジークフリート様のお部屋に入れると思ったのに…」
「ご、ごめんね」
「まあいいわ。でも、また具合が悪くなったら無理せず言うのよ?」
そう言って女は持っていた掃除道具を少女に手渡す。
「それと、何か面白そうな物見つけたら、あとで教えてね?」
最後に茶目っ気のあるウィンクをして、女は去っていった。
角を曲がり、完全に姿が見えなくなってから少女は部屋の中に入っていく。
「…やれやれ、上手くいったわね」
室内に入ると、少女の顔が溶けるように変化する。
顔の表面を覆う雪のような物の下から現れたのは、ハーゼの顔だった。
ハーゼの滅竜術『雪化粧』だ。
本物の少女は本当に病気で休んでおり、ハーゼはそれに成り済ますことでここへ潜入したのだ。
既に労役刑を受ける身でありながら、何故罪を重ねるような真似をしているのかと言うと…
「グンテルめ。何が私にしか出来ない任務、よ」
ぶつぶつとここには居ない相手に文句を言うハーゼ。
そう、これはグンテルに命じられた任務だ。
ジークフリートの部屋に侵入し、調査をすること。
当然ながらハーゼはそんな危険な任務など受けたく無かったが、強引に押し切られてしまった。
グンテルが提示した『報酬』に魅力を感じたと言うのもあるが、ハーゼが小心者で割と押しに弱い所も原因の一つだろう。
「さてと、仕事仕事」
気を取り直して、ハーゼは任務を開始する。
幸いにも、ジークフリートの部屋は殺風景なくらい物が少なく、調査はしやすかった。
「どことなくグンテルの所長室に似ているわね。何だかんだ言って、性格は似ているのかしら?」
ジークフリートの仕事机を漁りながら、ハーゼは呟く。
「えーと、コレじゃない。コレでも無い」
ハーゼが読み漁っているのは、報告書だ。
ドラゴンスレイヤーは任務が完了した時、ジークフリートに報告書を提出する。
本来は国王の仕事だが、今はジークフリートがその処理を行っている。
報告書の内容は、主に討伐したドラゴンの情報が殆ど。
その特徴、戦い方、危険度など。
つまり、今この部屋には王国中のドラゴンの情報が集まっている。
「………」
しかし、ハーゼの目的はそれでは無い。
探している物は一つ。
「…あった」
多くの報告書の中に埋もれていた書類。
一枚の指令書。
「王印。確かに、本物のようね」
それは国王からジークフリートへ与えられた特務の指令書。
グンテルが知りたかったのは、コレだ。
普段王都を出ることを禁じられているジークフリートを外へ出した命令。
あの時は誤魔化されたが、その理由が気になっていたのだ。
「『トラオア城跡』の調査?」
そこに書かれた名前に、ハーゼは首を傾げる。
トラオア城跡、と言えば二百年程前にドラゴンに滅ぼされた都市。
破壊の跡と瘴気に満ちた死の土地だ。
魔力が豊富である為にドラゴンには好まれているらしく、一度踏み入った者は誰一人帰らないと言われる。
「ふーん。なるほどね…」
ジークフリートに与えられた任務とはそれだった。
トラオア城跡の調査。
高濃度の魔力に満ちたあの場所はドラゴンスレイヤーの中でも高い魔力を持つ者でなければ活動できない。
それを考えれば、この任務はジークフリートが最も相応しいと言える。
しかし、何故国王はあの場所の調査を求めたのか。
「…まあ、私には関係ないわね。さっさとコレを記録して持ち帰りましょうか」
それ以上考え込むのをやめ、ハーゼは準備に取り掛かった。
「………」
同じ頃、リンデは王都の図書館に来ていた。
レギンが王都の書物に興味を持っていた為、それに付き合っているのだ。
前々から知っていたことだが、レギンは意外と読書家だ。
それが趣味なのか、記憶の手掛かりを求めているのかは分からない所だが。
「…記憶、か」
パタン、とリンデは途中まで読んでいた本を閉じた。
あの男、ミーメに言われた言葉が頭に過ぎる。
レギンの記憶は戻すべきではない。
リンデの良く知るレギンは決して邪悪な存在では無いが、それは記憶を取り戻したレギンとは関係ない。
同じドラゴンであるミーメですら、ファフニールの復活を恐れている。
レギンの記憶を戻すことは、本当に正しいことなのだろうか。
「そう言えば…」
ミーメはそれ以外にも気になることを口にしていた。
魔力流出を使って霧を払ったリンデを見て、確か…
「『ラインの乙女』…だっけ?」
「何を一人でぶつぶつ言っているんだい?」
「え…」
背後から声をかけられ、リンデは振り返る。
そこには何冊かの本を抱えたジークフリートが立っていた。
「ジークフリートさん…?」
「やあ。何だか久しぶりだね」
愛想の良い笑みを浮かべ、ジークフリートは片手を上げた。
「お仕事は良いのですか?」
「今日は一通り片付いたから終わりなんだ」
そう言ってジークフリートは近くの机に持っていた本を置く。
「まあ、他のドラゴンスレイヤーだとこうはいかないと思うけど、俺は事務仕事ばかりだからね」
「………」
リンデの隣の席に座り、ジークフリートはパラパラと本のページを捲る。
「ジークフリートさんは、どうしてドラゴンスレイヤーになったのですか?」
「…俺?」
リンデの質問が意外だったのか、ジークフリートは不思議そうに首を傾げた。
しばらく無言になり、考え込む。
「うーん。成り行きかな?」
「な、成り行きですか?」
「そう。俺の父親、ジークムントって言うんだけど。ドラゴンスレイヤーだったんだ」
適当にページを捲りながらジークフリートは言う。
「伝説の英雄、なんて言われてさ。二十年前の邪竜襲来の時にはファフニールを撃退して、王都を守り抜いたんだ」
「す、凄いじゃないですか!」
「ああ、凄かったよ………その時の怪我が原因で、死んじゃったんだけどね」
「ッ…」
あっさりと告げたジークフリートの言葉に、リンデは息を呑む。
どんな英雄だろうと、六天竜と戦って無事で済む筈が無かった。
王都を守ると言う偉業の代償は、自身の命だったのだ。
「それから父を失った俺は、父の親友だったアルベリヒ王に面倒を見てもらい、戦士としての修行を重ねた」
父を奪った邪竜を倒す為。
英雄と呼ばれた父の跡を継ぐ為。
ジークフリートはがむしゃらに修行を続けた。
「そんな日々を送る中で、俺は彼女に出会った」
「…もしかして」
「アルベリヒ王の娘、クリームヒルトだ」
アルベリヒ王の厚意で、王城に出入りすることを許されていたジークフリートは王城で暮らしていた彼女に出会った。
歳も近く、親しい仲になるのに時間は掛からなかった。
「…そうだな。俺はアイツの為にドラゴンスレイヤーになったんだ」
「ジークフリートさん…」
「ただ俺は、アイツを自由にしてやりたくて。アイツの傍で、ずっと守ってやりたくて…」
どこか遠くを見るような目でジークフリートは呟く。
既にこの世には居ない、愛しい相手を見ているのだろう。
かつて守ると誓った少女の顔を。
「…救いたい相手は既に無く、それなのにドラゴンスレイヤーを続けている」
ジークフリートは自虐するような笑みを浮かべてリンデを見た。
「俺は一体、何がしたいんだろうな?」