第七十七話
ドラゴンスレイヤーの使命とはドラゴンを討伐することだけでは無い。
どんなに優れた戦士であれ、人間である以上戦える時間は限られている。
不老であるドラゴンと異なり、人間の寿命は短い。
いずれ老いて戦えなくなることを考えれば、戦士である期間はより短くなるだろう。
だからこそドラゴンスレイヤーには後進育成の義務がある。
弟子を取り、新たなドラゴンスレイヤーとして育て上げる。
それはドラゴンから人々を守る使命と同じくらい重大な使命だ。
「はい。準備運動は終わり!」
青空の下、エーファはよく通る声で叫んだ。
その指示に従い、動きを止めたのは数十人の騎士達。
本部の広い中庭にて、訓練を続けているエーファの弟子だった。
殆どが男性だが、エーファに憧れたのか一部女性も交ざっている。
基本的に討伐任務ばかり優先しているエーファだが、任務が無い時にはこのように訓練を行っている。
ちなみに、ドラゴンスレイヤーの中で最も多く弟子を取っているのはジークフリートであり、その次がエーファ、ハーゼと並んでいる。
最も弟子が少ない、と言うより弟子を一人も取っていないのはファウストだ。
コレはファウストがドラゴンスレイヤーの義務を放棄しているのではなく、彼の扱う戦闘スタイルが特殊過ぎる為に弟子を取ってもすぐに離れてしまう為。
弟子の数はある意味ドラゴンスレイヤーとしての知名度と人気度を表しており、いつもフライハイトは悔しい思いをしていた。
最近はハーゼが失脚したことでその弟子達もエーファの所へ流れてきており、特に数が多かった。
「それじゃ、今日は投げナイフの練習をしましょうか」
「投げナイフ、ですか?」
エーファの言葉に近くに居た弟子が呟く。
他の面子も口には出さないが、疑問を浮かべている。
この訓練はドラゴンと戦う術を学ぶ為の訓練なのだ。
エーファの取り出したナイフ一本など、戦いの役に立つとは思えなかった。
「確かに、こんなナイフでは竜の鱗を貫くのも厳しいわ。でも、ドラゴンも生物である以上鱗に覆われていない部分もあるでしょう?」
そう言ってエーファは自身の眼を示す。
ドラゴンの眼を傷つけた所ですぐに再生するだろうが、怯ませることは出来る。
その隙にドラゴンの心臓を貫くことだって可能だろう。
エーファ自身の戦闘スタイルも同じ。
最低限の労力とリスクで竜を退治することが重要なのだ。
「各々使う武器は違うだろうけど、こう言う小手先の技術と言うのは覚えておいて損はないわよ」
「はい、分かりました!」
「ん。それじゃあ、まずはあの的に当てることを目標にしようか」
エーファは言いながら、遠くにある的を指差した。
その指先を目で追った弟子達はぽかん、と口を開ける。
「あ、あの…? まさか、あんな豆粒みたいな的に当てるのですか?」
「そうよ」
あっさりとエーファは言った。
お手本を、とばかりに手にしたナイフを投擲し、的の中心に命中させる。
「さあ、あなた達も」
「む、無理ですよ! あんなの当てられる訳ありません!?」
「…やる前から諦めるのは良くないわよ」
ガチャンとエーファは何か重い音のする箱を地面に置く。
古びた木の箱には、大量のナイフが入っていた。
「はい、どうぞ。当たらないなら当たるまでやりましょう。大丈夫、私も最初のうちは全然当たらなかったから」
何の悪意も無い表情でエーファは告げた。
エーファは努力型のドラゴンスレイヤーである。
姉を殺した仇を討ちたい一心で、血の滲むような努力を続け、その果てにドラゴンスレイヤーとなった努力の天才である。
元々エーファは貧しい教会で暮らす孤児だったのだ。
素質はあっても出来ないことや分からないことは山ほどあった。
出来ないことは出来るまでやり続ける。
分からないことは分かるまで覚え続ける。
そんなドラゴンスレイヤーとしての師がドン引くような愚直な努力の末にドラゴンスレイヤーとなった為、この方法しか知らないのだ。
エーファはドラゴンスレイヤーの中で二番目に弟子が多い。
しかし、弟子に対する指導力は最も低かった。
「エーファさん、こんな感じですか?」
リンデはエーファの弟子に混ざり、同じように訓練をしていた。
とは言え、リンデが行っているのは投げナイフではない。
既にドラゴンスレイヤーであるリンデにはより実践的な訓練を、と滅竜術の指導を行っていた。
「前見た時より展開が早くなったわね」
「練習していますから!」
自慢げに胸を張るリンデの背には、氷を削ったような形状の青白い翼が生えている。
『竜翼』と言うリンデが最も得意とする滅竜術だ。
「本来は竜翼って緊急回避とか、空に逃げたドラゴンを追いかける時くらいしか使わないんだけどね」
何故なら魔力の消耗が激しいからだ。
一時的に手足に魔力を纏わせるならともかく、翼を具現化して維持し続けるのは魔力を消耗する。
それ故にドラゴンスレイヤーであっても竜翼を多用する者は少ない。
「でも、あなたには無尽の魔力がある。それはあなたの強みとなるでしょう」
「強み…」
魔力流出と同じく、リンデにしか出来ない切り札だ。
空の支配者であるドラゴン相手に空中戦を仕掛けることが出来るのは、他のドラゴンスレイヤーには無い切り札となるだろう。
「おい、エーファ!」
その時、少し離れた所からレギンの叫ぶ声が聞こえた。
それを聞いてエーファはうんざりしたような表情を浮かべる。
「今度は何よ? 強化は成功したの?」
「コレでどうだ?」
意気揚々とレギンは地面を指差した。
言われてエーファは視線を下に向ける。
そこには、ボロボロに焦げた何かがあった。
「どうだ? じゃないわよ! また魔力が暴発しているじゃない!」
「何? コレでも駄目か?」
「当たり前でしょ!」
怒ったようにエーファは叫ぶ。
レギンがしていたのは、リンデと同じく滅竜術の訓練だ。
ドラゴンスレイヤーの技術に興味を持っているレギンは、滅竜術を習得できないかと訓練に参加していた。
竜が竜を滅ぼす為の術を学ぶと言うのも妙な話だが、これから六天竜と戦う上で必要なことなのでエーファも快く教えた。
まずは基本となる四種の内『竜鱗』を教え、試しに魔力の鎧を纏ってみようとしたのだが、体が竜化しかけた。
その為、次に『竜脚』を教えたが、それも足が竜に戻るだけだった。
今は『竜爪』を教えて物体に魔力を込める練習をしているが、暴発してばかりだ。
「うーむ。どうやら、竜と人間では魔力の質が異なるようだな」
しばらく試した後、レギンは腕を組んで言う。
「滅竜術は人が竜と戦う為の術だからね。ドラゴンには合わないのかも」
「残念だ」
本当に無念そうにレギンは呟く。
元々魔力で勝るレギンが滅竜術を習得すれば、少しでも六天竜に近付けると思っていたのだが。
「………」
「エーファさん? どうしたんですか?」
「…え?」
突然声をかけられ、エーファは少し驚いたようにリンデの顔を見る。
リンデはどこか心配そうな表情でエーファを見ていた。
「いえ、その、何か悲しそうな顔をしていたので…」
「私が…?」
エーファはペタペタと自身の顔に触れる。
そんな表情をしていたつもりは無かった。
いや、首を傾げているレギンの様子から考えるに、リンデが鋭かったのだろう。
「リンデに隠し事は出来ないわね………大丈夫よ」
「でも…」
「ただちょっと、姉のことを思い出してね」
「ッ…」
その言葉にリンデの顔が悲痛に歪む。
エーファの姉がドラゴンに殺されたことは、リンデが弟子になった時に聞いている。
レギンもまたそれを知っている為、複雑そうな表情を浮かべた。
「前に王都が霧に包まれたでしょ? あの霧って、人の記憶を引き摺り出すらしいじゃない?」
「…ああ、そうらしいな」
「それで思い出したのよ。私が忘れていた仇の名前を」
幼少の頃、遭遇した三つ首のドラゴン。
あまりの恐怖に忘れてしまっていたが、エーファはその怪物と言葉を交わしていた。
ほんの僅かな物だったが、確かに怪物は名乗ったのだ。
「ザッハーク。それが、私の姉を殺した竜の名前」
「…ザッハーク」
「…悪いが、記憶にないな」
申し訳なさそうにレギンは答える。
「だと思ったわ。ただ、伝えておきたかっただけよ」
瞼を閉じ、少しだけ穏やかな表情を浮かべてエーファは言った。
「一つ聞いてもいいか?」
「何?」
「そのザッハークと言うドラゴンは残忍な奴だと聞いたが、どうしてお前は無事だったんだ?」
そう、レギンはふと疑問に思ったのだ。
ザッハークはエーファの姉を、それどころか教会に住む人間を皆殺しにした。
エーファはそれを目の前で見ていたと言っていた。
ザッハークに見つかり、言葉も交わしていながら何故助かることが出来たのか。
「…正直、詳しくは覚えていないわ」
「そうか…」
「でも、確か………急にいなくなったのよ」
「いなくなった…?」
「ええ。クローゼットに隠れていた私が怖くて下を向いていたら、いつの間にかいなくなっていたの」
妙な話だ、とエーファ自身も思う。
記憶の中のザッハークは明らかにエーファのことも殺すつもりだった。
言葉を交わし、数秒後にはエーファを嬲り殺しにする、と言う所で急にいなくなったのだ。
「結果的に、それで私は助かったんだけどね」
「………」
ザッハークの謎の行動には意味があったのか。
ならばそこからザッハークの正体を見付けることが出来るのだろうか。
レギンは訝し気な顔を浮かべて考え込んでいた。