第六十九話
「あーあ、あっさり死んじゃったわね」
溶けた黄金となったフェルスを遠くから眺めながら、ネーベルはため息をつく。
霧を消された時からひそかに身を隠していたネーベルだが、その判断は正解だったようだ。
不用意に姿を晒していれば、フェルスと同じ運命を辿ることになっただろう。
魔力を溜め込んで普段の倍以上の魔力を纏ったフェルスでさえ、六天竜を前には時間稼ぎにもならないと言うことなのか。
「………」
逆鱗、と言う言葉がある。
本来は竜の喉元にある一枚の鱗のことであり、それに触れられた竜は激怒し、必ず相手を殺すと言われる。
そこから転じて、その者の怒りを買うことを『逆鱗に触れる』と言う。
怒りとは、時に実力以上の力を生む感情だ。
”逆鱗”状態となったドラゴンは知性を失う代わりに、凶暴性と魔力が倍増する。
先程のレギンのように。
「…なるほど。アレが、ファフニールの『逆鱗』か」
ネーベルの眼には、石化したリンデが映っていた。
良くも悪くもレギンの深い部分に関わっている者。
レギンの力の源にして、弱点。
「…とは言え、迂闊に手を出せばフェルスの二の舞ね。さて、どうするか」
ネーベルは周囲に目を向けた。
そこに並べられているのは、石化した街の人々。
フェルスの能力によって石に変えられ、あとで取り込む為にここまで運ばれた者達だ。
よく出来た石像のようなそれらに、亀裂が走った。
「石化が解ける、か。潮時ね。一旦退きましょうか」
そう言うと、ネーベルは体を霧に変え、姿を消した。
「石化が…!」
同じ頃、石化したリンデを前にしていたレギンが声を上げた。
石となったリンデの体に亀裂が走り、割れた石の下から綺麗な皮膚が見える。
「奴が倒されたことで、呪いが解けたのだろう」
「ファウスト! お前も無事だったか」
「ああ、借りが出来たな」
ファウストは元に戻った手足の具合を確かめながらそう答えた。
「…それにしても、先程の能力は何だ? ドラゴンを黄金に変えて殺す能力なんて、初めて聞いたぞ」
「………」
ファウストに言われ、レギンは自分の手を見つめる。
怒りのままにフェルスを殺したレギンの能力。
触れた物を全て黄金に変換し、命を奪う凶悪な力。
「分からん。自分にあんな能力が備わっていたこと自体、初めて知った」
無我夢中で、無意識のうちの行動だった。
同じことをもう一度やれ、と言われても不可能だ。
「何かがきっかけで部分的に記憶が戻った、と言うことか?」
「…そうだな」
レギンは石の皮膚が完全に砕け、元の姿に戻ったリンデを見る。
トリガーは、やはりリンデだ。
この少女はレギンの記憶に深く関わっている。
本人に身に覚えは無いようだが、或いはその存在そのものが。
「…考えるのは後でも良いだろう。王都へ戻るぞ」
「王都に?」
「任務完了の報告と、念の為に検査を受けた方が良い」
そう言ってファウストは眠る様に気絶しているリンデを見た。
もうその身体に異常な部分は無いが、つい先程まで全身が石化していたのだ。
身体のどこかに異常が出ていても不思議ではない。
「大切なのだろう? 怒りで我を失うくらいには」
「お前…」
「俺にそう言う存在は居ないが、まあ気持ちは分からなくも無い。大切な者を傷付かれて怒るのは、人も竜も変わらないらしい」
逆鱗に触れて我を失ったレギンを、ファウストは見ていた。
怒りのままにフェルスを虐殺したレギン。
その姿は恐ろしく、歴戦のファウストの背筋を凍らせる程だった。
だが、同時にファウストは納得した部分もあった。
怒りで怪物に変わる程にレギンはリンデを想っているのだ。
どんな言葉よりも、その行動はそれを雄弁に語っていた。
「お前は実に人間臭いドラゴンだよ」
「………」
ファウストの言葉にレギンは答えなかった。
ただ無言でその手に抱えたリンデを見つめている。
「…さて、王都に戻る前に街の住人を探さんとな」
気を取り直すようにファウストは手を鳴らした。
ファウストの予想では行方不明となったシュトルツの人々もどこかで石化されていると考えられる。
フェルスが倒された今、彼らも元に戻っている筈だ。
全員を王都に連れていくことは出来ないが、異常が見られる者がいれば連れて行こうと。
「行くぞ、レギン。もたもたするなよ」