第六十二話
「ヴィーヴルって…」
「何か知っているのかリンデ?」
「いえ、私も本で読んだだけなんですが…」
リンデは目の前に立つ少女を眺めながら、思い出すように呟く。
「古くから王国に伝わる精霊みたいな物です。幸運の象徴。出会うだけで幸せになれると言われる『幸運の女神』」
信じている者は殆どいない伝説の一種だ。
子供向けの物語に出てくる幸せを運ぶ妖精のような。
実在は不確かながら、古くから各地に伝わっていた伝説。
「…六天竜の存在は一般には知られていない。遥か昔に発見された六天竜が精霊と勘違いされることも有り得ない話では無い、か」
ヴィーヴルの外見は殆ど普通の人間と変わらない。
直接顔を合わせてもレギンが気付かない程度には、竜の気配と魔力も抑えている。
周囲の人間が彼女の正体に気付かなかったことも無理はないだろう。
「ハッ、ドラゴンを幸運の女神と勘違いするなんて間抜けな話だがな」
「…幸運の女神なんて、柄じゃない。私はせいぜい…金運アップの…パワーストーンくらい…」
表情はそのままながらどこか嫌そうな声色でヴィーヴルは否定した。
「洞窟のドラゴンを殺ったのはお前か?」
「…セートーボーエー」
ぽつり、とヴィーヴルは言い訳するように呟いた。
「先に襲ってきたのは、向こう。私を…人と勘違い…していた」
一言一言気怠そうにヴィーヴルは言った。
本人としても本意では無かったのだろう。
人間の目を誤魔化すべく身に着けた擬態が仇となり、ドラゴンに襲われてしまった。
なので仕方なく、身を守る為に返り討ちにしたのだ。
「…それで、六天竜が俺に何の用だ?」
レギンは警戒した目でヴィーヴルを睨んだ。
気配を隠している為か魔力は感じないが、相手はドラゴンを一撃で殺した六天竜の一体。
あのリンドブルムと同格以上の怪物である筈だ。
「…リンドブルムの敵討ちに来たのか?」
「………」
ヴィーヴルは無言でじろじろとレギンの顔を見つめた。
相変わらず感情は読めないが、何かを確認するようにその顔を凝視している。
「ファフニール、だけど。私が、知っているのとは………少し違う?」
「俺はファフニールじゃない。レギンだ」
「………レギン?」
ヴィーヴルは不思議そうに繰り返した。
「…まあいい。少し、確認したかっただけ」
納得したようにヴィーヴルは一人頷く。
「私は、六天竜とか、人間とか、全部、どうでもいい。ファフニールが、誰を殺そうと、興味は…無い」
感情の無い暗い眼でレギンを見ながらヴィーヴルは言う。
その眼はレギンを映しているが、何も見ていない。
周囲全ての存在に対し、何の関心も持っていない眼だ。
「だったら、何で人間の使用人なんてしていたんだ?」
「…生きる為には、魔力が要る。私は、肉では無く、宝石を食べることで、生きている」
ヴィーヴルは身に着けた宝石を見つめる。
魔剣に使われる特殊な鉱石のように、魔力を含む鉱物は存在する。
レギンがフライハイトの魔剣を喰らって魔力を回復したように。
ヴィーヴルは宝石を喰らうことで糧としている。
「私は、人を好きになるほど熱意を持てず………嫌いになるほど、関心を持てない。だから、寄生するように、人と契約を結んで、共生している」
「契約…」
「私には、人を幸せにする力がある。竜紋は、関係ない。私自身に備わった、運気を上げる…力」
契約の内容はシンプルだ。
ヴィーヴルの力で富をもたらす代わりに、魔力を含む宝石を献上すること。
この契約は宿主側にメリットしかない。
ヴィーヴルの力によって与えられる金は対価を支払っても余りある物であり、ヴィーヴルが傍にいる限り永遠に与えられ続ける。
「人間の寿命は、短い。だから、定期的に宿主を変える必要が、ある………面倒」
ヴィーヴルは顔を上げ、どこかの方角を向いた。
「でも、大抵の場合は、寿命の前に………こうなる」
ヴィーヴルがそう告げた時、その視線の先で黒い煙が上がった。
「…何だ? 火事か?」
「あの方角は、確か…!」
リンデがハッとなって思い出す。
どす黒い煙が次々と上がっているその場所は、ゲーレの屋敷があった所だ。
「さっき、あの人は、契約を破棄した」
平淡な声でヴィーヴルは告げる。
「だから、今まで与えてきた運気が………消えた」
それは言わば『反動』だ。
今まで幸運だった分、同じだけの不幸が訪れる。
「屋敷も、財産も、燃え尽きる。運が悪ければ、命も…失う」
「…何年も、共に暮らしていた相手では無いのですか…?」
冷酷なヴィーヴルの言葉に、リンデは思わず呟いた。
十年以上行動を共にしていたパートナーの末路にヴィーヴルは顔色一つ変えなかった。
「言った筈。私は、人間に関心が…無い。別の宿主を、探せばいい…だけ」
ヴィーヴルにとって、人間とは全て同じなのだろう。
ただ寄生して、糧を得る為だけの宿主。
死ねば、新しい物に変えれば良いだけだ。
「幸運の女神どころか、悪魔だな。お前」
一見すれば、出会った者に幸運を与え続けるが、手を切った瞬間に今まで与えていた幸運を取り立てる。
それは確かに、女神と言うよりは悪魔に近かった。
「………」
「待て、どこへ行く」
突然会話を切って背を向けたヴィーヴルをレギンは呼び止める。
ヴィーヴルはゆっくりと振り返った。
「…私は、喋ることが、好きじゃ…ない」
億劫そうに言うと、ヴィーヴルは再び二人に背を向ける。
「もう、確かめたいことは、確かめた。だからもう…行く」
「待て、俺の方はまだ…!」
「…私は、戦うことも、好きじゃない」
レギンの言葉を遮る様にヴィーヴルは言う。
「けど、これでも千年生きている、から………それなりに、荒事には、慣れている」
その瞬間、ヴィーヴルから魔力が放たれた。
小柄な体から放たれる魔力は、リンドブルムにも決して劣らない。
「ッ…」
コレは警告だ。
これ以上レギンが食い下がれば、ヴィーヴルは反撃に出る。
あのドラゴンを殺した一撃が、レギンに向かって放たれる。
「………」
レギンが黙ったことに満足したのか、ヴィーヴルは魔力を抑え、去っていった。