第五十九話
トラオア城跡。
ティアマトの『縄張り』であるこの場所に、二人の竜が集まっていた。
「………」
一人は女だった。
半透明の肉体を持ち、白い霧を纏う不思議な雰囲気の女。
幽霊のように輪郭が曖昧で、地面より僅かに浮かんでいる。
死装束を思わせる白っぽい服を纏っており、口元には作り笑みを浮かべていた。
肌も青白く、生気を一切感じられない。
「………」
もう一人は男だった。
切り出した岩石のような大男。
石像のような灰色の皮膚を持ち、そこにひび割れのように顔が刻まれている。
額にもう一つの眼があり、三つの眼を持つ不気味な男。
こちらも生物的な温かみは一切感じられず、よく出来た石像が動いているような印象を受ける。
「『迷霧』のネーベル。此処に」
「『岩塊』のフェルス。此処に」
二人は片膝をつき、臣下の礼を取る。
彼女ら二人は共に百年を超える成体のドラゴンだ。
多くの町や村を破壊し、数多の人間を喰らってきた暴虐の化身だが、目の前に立つ者はそれを遥かに超える存在だ。
『………』
六天竜ティアマト。
弱肉強食を絶対の理と信じるドラゴン達にとって、六天竜は王にも等しい存在だ。
普段は他人の指図など受けない二人だが、彼女の命令だけは無視できなかった。
『話は既に聞いているな? お前達にはあるドラゴンの下へ向かって貰いたい』
「存じております、ティアマト様。あの黄金ですよね?」
ネーベルは媚びるような笑みを浮かべ、頷いた。
『そうだ。彼は今、記憶が混乱している。その記憶を取り戻させることがお前達への命令だ』
「彼は今、人間と共に行動しているのですよね? そちらはどうしますか?」
『どうなっても構わん。彼さえ無事なら、周りの人間を何人殺そうと問題ない』
フェルスの言葉にティアマトは答える。
彼女にとって重要なのはレギンの記憶だけだ。
思い出す過程で関係ない人間が何人死のうと、興味も無い。
「しかし、記憶ですか。記憶を奪うならともかく、取り戻すとなると困難ですね…」
『方法は任せる………が、褒美が無ければお前達も気が乗らんだろう』
渋るようなネーベルに、ティアマトは言う。
『お前達も知っての通り、六天竜リンドブルムは死んだ。彼の記憶を取り戻そうとしてな』
ぐにゃぐにゃとティアマトの水銀の体が蠢く。
『つまり、この任務はリンドブルムでさえも達成することの出来なかった任務と言うことだ』
「…それは、まさか」
ネーベルはティアマトの言おうとしていることに気付き、目を見開く。
『この任務を達成した者を、新たな六天竜と認めよう』
「な…」
「本気ですか…!」
二人は驚愕の声を上げた。
六天竜とは、数百年の時を生き続けたことで認められた最強の称号。
ドラゴンに対する絶対的な権力だ。
全てのドラゴンの畏怖と羨望の象徴であり、誰もがいずれその地位を得ることを望む。
百年。たった百年しか生きていないにも関わらず、そのチャンスが巡ってきた。
『空席は一つ。当然ながら、得られるのはお前達のどちらかだけだ』
「………」
ティアマトの言葉に二人は顔を見合わせた。
共にティアマトに呼び出された間柄だが、別に親しい関係と言う訳では無い。
この時より、隣に立つ相手も敵に変わっただけだ。
「お任せ下さい! 必ず、必ず成し遂げてみせます!」
(六天竜の地位…! それさえあれば、何でもやりたい放題の権力を得られる!)
フェルスは拳を握り締めて、大声で叫ぶ。
その眼には深い野心と欲望が渦巻いていた。
「必ず、ティアマト様のご期待に応えてみせましょう」
(正直、地位なんかには興味ないけれど、竜紋が得られるのは魅力的ね。アレさえあれば…)
ネーベルは慇懃に頭を下げながら、ひそかにほくそ笑む。
竜紋こそが六天竜を最強たらしめる力。
アレをこの身に刻むことが出来れば、新たな力を得ることが出来る。
そうすれば、もうこんな古いだけの女に頭を下げる立場からもおさらばだ。
『では、アイツも連れていけ』
そう言ってティアマトは視線を動かした。
そこに居たのは、フード付きの黒ポンチョを羽織った男だった。
「え? 俺が、ですか?」
露骨に嫌そうな顔を浮かべ、男は自分の顔を指差す。
その声で男の存在に気付いたのか、二人も黒フードの男を見た。
「いやいや、彼が黄金だと言うなら俺なんて役に立ちませんって」
両手を顔の前で振りながら、黒フードの男は言う。
顔は青褪め、本気で怖がっているような雰囲気だ。
「…そうですね」
そんな彼の言葉を、フェルスは肯定した。
「ティアマト様。このような無翼竜など足手纏いです」
黒フードの男をじろじろと見ながら、フェルスは蔑むように言った。
ワーム。翼無き竜。
翼を持たない男を心から見下し、役立たずと罵る。
「フェルス。そんなことを言ってはいけませんよ。例え戦力にならずとも、ティアマト様が傍に置いているのは何か意味があるのでしょうから」
ネーベルもフォローしながら、男には侮蔑の眼を向けていた。
弱肉強食を信じるドラゴンにとって、弱さとは罪だ。
彼女らには成体のドラゴンとしての自負があり、自身より弱いドラゴンを露骨に見下す傾向にあった。
「ひ、酷い。本当の事でもそんなこと言われると傷付きますわー。これでも奴隷歴なら、オタクらより上なんだけどね」
わざとらしい泣き真似をしつつ男は呟く。
『…まあいい。では、お前達は二人だけで行け』
「了解!」
「分かりました」
ティアマトの言葉に二人は頷き、すぐに姿を消した。
百年を生きたドラゴンだけあって、人間体でも人外染みた速度で動けるようだ。
「それで、例の話は本当ですか?」
二人の魔力を完全に感じなくなってから、黒フードの男は呟く。
『何の話だ?』
「アレですよ、新しい六天竜にしてやるって話」
『…ああ、それか』
どうでもいいことのようにティアマトは言った。
『嘘に決まっているだろう。大体、私に竜紋を刻むことなど出来ん』
「…やはり、そうですか」
予想通り、と言ったように黒フードの男は頷いた。
そして二人が去っていった方角を見つめる。
「全く、残酷なお方だ」
「ドラゴン退治?」
王都にて、レギンはエーファに言われた言葉を繰り返した。
傍らにいるリンデも不思議そうに首を傾げている。
「そう。まあ、当たり前のことだけどドラゴンスレイヤーになったからにはドラゴン退治の仕事をしてもらうって訳」
「それは、どこで?」
「どこでもよ。西にドラゴンに襲われた村があれば西へ。東にドラゴンの目撃情報があれば東へ。ドラゴンの居る所、どこへだってドラゴンスレイヤーは行くわ」
現在王都に全てのドラゴンスレイヤーが揃っているのは非常に珍しいことなのだ。
王都を本部としているが、基本的に全員集まることは殆ど無い。
ドラゴンスレイヤーは常に王国中のドラゴンから人々を守っているのだから。
「まあ、ドラゴンスレイヤーも五人しかいないから、ワイバーンとかは騎士を派遣したりもするけど、成体のドラゴンを退治できるのは私達だけだからね」
「ふむ」
「…それともう一つ」
エーファはそう言うと苦い顔を浮かべた。
「例の襲撃事件は全部ハーゼの仕業って分かったけど、それでもレギンを敵視する人間が居ない訳でも無いのよ」
ハーゼほどではないせよ、レギンが王都に居ることに反感を覚える者は少なくない。
「だからジークフリートはレギンに何体かドラゴンを倒させて、その功績で人々に受け入れさせようと考えているみたい」
「なるほど…」
リンデは納得したように深く頷いた。
レギンがドラゴンから町を守れば、人々がレギンに抱く印象が変えられるかも知れない。
「事情は分かった。それで? もう行き先は決まっているのか?」
「ええ、ジークフリートから指令書を預かっているわ」
エーファはそう言って、持っていた指令書を渡したのだった。