第五十八話
「ふうう…」
レギンは体の調子を確かめながら、深く息を吐いた。
ハーゼの術が解けたのか、先程まで凍り付いていた体はもう何ともない。
エーファを閉じ込めていた氷の箱にも亀裂が走る。
「おっと」
解放されたエーファを抱き止め、レギンはそっと地面に下ろした。
気絶しているようで、エーファはピクリとも動かなかった。
「全く、油断しやがって」
レギンは全く役に立たなかったエーファに呆れ顔を浮かべる。
とは言え、ドラゴン相手ならエーファも不意打ちを受けることは無かっただろう。
ハーゼの豹変に動揺した為、本来の実力を出せなかったのだ。
「ドラゴンだけが敵だと思っているんじゃねえよ」
そう言いながらレギンは視線を前に向ける。
レギンの放った黄金のブレスで破壊された室内。
ハーゼが光に呑み込まれた場所を睨む。
「はぁ…はぁ…はぁ…!」
そこには、呼吸を荒げるハーゼが立っていた。
何故か体の一部が凍り付いているが、その身体に傷の跡は無い。
「…自分自身の氷漬けにしてブレスを防いだのか?」
「危うく、自分の能力で凍死する所、でしたが、焼死するよりは、マシと言うもの…!」
ハーゼは憎々し気にレギンを睨みつけた。
その体は怒りと恐怖で震えている。
「よくも、よくもよくもよくもよくも…!」
忌々しい過去と同じように自身を焼こうとしたレギンへ呪詛を吐くハーゼ。
元々レギンの血を使って自身を苛む火傷を治す薬を作る腹積もりだったが、もうそれはどうでもいい。
この怒りと恨みを晴らす為だけに、レギンを殺す。
「その全身を氷漬けにして! 足下から少しずつ砕いてあげますよ! 緩やかに近付いてくる死を感じながら、震えて死ね!」
「チッ…! まだやる気か」
膨れ上がる魔力を感じながら、レギンは舌打ちをした。
先程の一撃に全てを込めたレギンは、既に魔力が尽きている。
このままでは…
「そこまでだ」
その時、今にも襲い掛かろうとしていたハーゼの首元に剣が触れた。
魔力で作られた赤い結晶のような剣を突き付けながら、男は笑みを浮かべる。
「暴れすぎたな。ハーゼ」
「…フライハイトですか」
「呼び捨てかよ、そっちが素か? いやー、女ってのは怖いねェ」
けらけらと笑いながらも、フライハイトは油断なくハーゼを見つめていた。
妙な動きをしたら即座に首を刎ねる、と言う意思が伝わってくる。
「言うまでもないだろうが、既にジークフリート達にも連絡は言っている。要するに、お前はもう包囲されているってやつだ」
「…くっ」
悔し気に顔を歪めながら、ハーゼは魔力を抑えた。
漂っていた冷気が消えることを確認してから、フライハイトは連れてきた弟子にハーゼを任せる。
「よう、レギン。俺は初めからお前はやってないって信じてたぜ?」
「ハッ、どうだかな」
「本当だってのに」
フランクな調子でフライハイトは言った。
魔剣の一件でレギンを恨んでいた筈だが、あまり怒りが長続きしないタイプなのかもしれない。
「まあ、とにかくコイツの身柄はこっちで預かるぞ」
連れていかれるハーゼを眺めながら、フライハイトは言う。
「アイツはどうなる?」
「地位の剥奪、程度で済めばマシな方だな」
フライハイトは淡々と答えた。
結果的に死者は出ていないとはいえ、そうなってもおかしくなかった。
「そうだな。人類の護り手であるドラゴンスレイヤーが、人間を襲った罪は決して軽くはない」
「お、ジークフリート。早かったな」
駆け付けたジークフリートは冷めた目でハーゼを一瞥した。
普段の表情では無く、ドラゴンスレイヤーの長としての冷徹な顔を浮かべている。
「禁固刑なら数年、いや数十年か?」
その裁きを下すのはジークフリートでは無いが、それくらいが妥当だと考える。
それだけハーゼが犯した罪は重い。
「…ジークフリート」
「ん。無事だったか、エーファ」
「エーファ?」
ジークフリートに言われてレギンも振り返った。
もう意識を取り戻したのか、エーファは自分の足で立っていた。
未だ寒気が残っているようで微かに身を震わせているが。
「ハーゼは、様々な薬を開発し、多くの人々を救ったわ。彼女の思惑はどうあれ、それは事実よ」
「…悪いが、例えどれだけの功績であれ、犯した罪を軽くすることには繋がらないよ」
ハーゼを庇うような言葉に、ジークフリートは冷静に答える。
確かに、ハーゼの成した功績は大きい。
ドラゴン退治こそ積極的に行うことは無かったが、竜血から開発した薬は多くの人を救った。
しかし、それで罪が許されることはあってはならないのだ。
「…ハーゼを庇う訳じゃねえんだがよ」
「フライハイト。君まで何だ?」
「そこのドラゴンだって、六天竜退治に有用だから過去の所業を見逃しているんだろ?」
フライハイトはレギンを指差しながら言う。
レギンは過去に罪を犯した訳では無いが、ドラゴンと言うだけである意味では犯罪者のような物だ。
それでも合理主義のジークフリートはレギンと言う戦力に期待して味方に引き込んだ。
ならば、ハーゼと言う戦力を使わずに閉じ込めておくのは良いのか。
「…さっきも言ったけど、ハーゼの罪が軽くなることは無い」
ジークフリートは険しい表情で告げる。
「だが、彼女の態度次第では贖罪の方法はまた別の形になるかも知れない、とだけ言っていくよ」
それだけ言うと、ジークフリートは部屋から出ていった。
少なくとも、問答無用で何十年も幽閉するような事態にはならないようだ。
「はぁ…良かった」
エーファは深く安堵の息を吐いた。
それを見て、レギンは訝し気な顔をする。
「解せんな。どうして、アイツを庇った? アイツはお前の命を狙ったのだぞ?」
「そうね…」
エーファは複雑そうな表情でもう一度息を吐く。
自分でも、どうして庇ったのか分からないようだ。
「ただ、あの人とも割と長い付き合いだからね。自分の薬で傷が治った人々を見るハーゼの顔。アレが全て、演技だったとはとても思えないの…」
「…そういうものか」
全てを嫌悪するような態度を取っていたハーゼ。
それでも性根までは邪悪では無かった、と。
少なくとも、エーファはそう信じていた。