第五十五話
「…何だ?」
翌日、レギンは戸を叩く音で目を覚ました。
またエーファかと思ったが、違うようだ。
ドンドン、と戸を破壊するような大きな音と共に男達の怒声も聞こえる。
「………」
嫌な予感しかしないが、放っておいても何の意味も無い。
レギンは無言で部屋の戸を開ける。
「出てきたな、悪竜め!」
「貴様よくも、よくも…!」
そこに居たのは、見覚えのない数人の男達だった。
恐らくは騎士なのだろう、腰には同じ剣を下げている。
「…何の用だ?」
「何の用か、だと!」
「ふざけるな! 貴様、あの人にあんなことをしておいて…!」
男達は酷く興奮したように腰の剣を抜く。
憤怒に顔を歪め、今にもレギンに襲い掛かりそうだ。
(あの人? あんなこと?………また、何かあったのか?)
レギンは冷静に断片的な言葉から思考する。
昨夜、何かあったのだろう。
この男達の慕うあの人、とやらにレギンらしき人物が危害を加えたのだ。
しかし、当然ながらレギンに身に覚えはない。
と言うことはやはりコレは、例の偽者の…
「そこの騎士達、何をしているの」
「あ? 俺達は…!」
背後から聞こえた声に、男達は剣を握ったまま振り返る。
完全に頭に血が上り、無関係の人間だろうと邪魔する者なら容赦しない。
「あ、あなたは…」
だが、背後に立っていた女の顔を見て、男達は青褪めた。
「王都で許可なく剣を抜くことは禁じられているわ。知らないとは言わせないわよ」
「し、しかし、緊急時には許されている筈です!」
「そうです! エーファさん! 俺達はこのドラゴンを…」
冷や汗をかきながら言い訳を口にする男達に、エーファは眉を吊り上げた。
「誰か、そのドラゴンを殺せと命令したのかしら?」
「ッ!」
「そんな筈ないわよね? だって、そんなことをするくらいならドラゴンスレイヤーが直接この場に向かっている筈だもの」
そもそもこの男達では百人集まってもレギンには勝てない。
だからドラゴンスレイヤーがそんな命令を下す筈がない。
そしてドラゴンスレイヤーが一人もレギン討伐に向かっていない以上、未だレギンに処分は下されていないと言うこと。
エーファは冷たい目で男達を睨む。
「失せなさい。この男の処遇は私が預かるわ」
「え、エーファさん…」
「…何か、不満でも?」
「い、いえ! 申し訳ありませんでした!」
怯えたように男達は慌ててその場から走り去った。
それを見送り、エーファは深いため息をつく。
「おお、怖い。部下をイジメるのは感心できんな」
「うるさいわね。私も誰かさんのお陰で少しイライラしているのよ」
そう言ってからエーファはレギンの隣の部屋を見つめた。
「…リンデは?」
「さあな。慣れない夜更かしで今も寝ているんじゃないか?」
「そう、なら良かった」
「良かった?」
首を傾げるレギンを余所に、エーファは背を向ける。
「リンデが起きない内に移動するわよ。今ちょっと面倒なことになっているの」
「王都に来てからトラブルは事欠かさないな」
やれやれ、とレギンは肩を竦める。
「あなたが言うな。全部あなたが原因でしょうが」
エーファは呆れたようにそう呟いた。
「昨夜、また襲撃があったわ」
目的の場所に向かう途中、エーファは言った。
「またか。今度は誰だ?」
「相手は、あなたも知っている人…」
エーファはちらりと視線をレギンに向ける。
「ハーゼよ」
「…アイツか」
レギンの脳裏に先日出会ったハーゼの顔が浮かぶ。
エーファと同じドラゴンスレイヤーである女。
レギンに竜血を提供して欲しいと告げていたが、その程度だ。
特に親しい相手でも無い。
「ハーゼはどちらかと言えば竜退治よりも竜血研究に力を入れている方だけど、それでもドラゴンスレイヤーには違いないわ」
つまり、生半可な人物には倒されない。
ドラゴンスレイヤーであるハーゼを襲撃した犯人は、それと同等以上の実力者と言うこと。
レギンに対する疑いが深まったのは言うまでもない。
「さっきの連中は…」
「ハーゼの弟子よ。彼女、誰にでも親切だから弟子達に凄い慕われているの」
「なるほど」
先程のはその忠誠、或いは恋慕が暴走した結果か。
自分達の慕う師が傷付けられれば、怒るのも無理はない。
「…ハーゼの傷の具合はどうなんだ?」
「それは、すぐに分かるわ」
エーファは目の前の建物を指差した。
それは王都に存在する最も大きな医療施設。
ハーゼの入院している場所だった。
「き、貴様は…!」
「悪竜め、ハーゼさんにこれ以上何をする気だ!」
ハーゼの病室前で、男達は叫んだ。
わらわらと病室前に門番のように立っているのは、全てハーゼの弟子だ。
流石に武器は持っていないが、殺気立った目でレギンを睨んでいる。
「その反応は正しく、俺はそのことに怒りは感じないが…」
刺すような視線を浴びながら、レギンは淡々と言う。
「―――邪魔だ。そこを退け」
「ッ」
冷ややかなレギンの殺気を浴び、弟子達の体が石のように固まる。
その横を通り、レギンとエーファは病室へと入っていった。
「…誰?」
入ってすぐに、聞き覚えのある声が耳に届く。
広い病室に、一人だけベッドに座った女。
「ハーゼ…」
その姿は、レギンの記憶にある姿では無かった。
全身に巻かれた包帯に、その下から覗く生々しい傷跡。
顔も殆ど覆い隠されているが、右目だけが露出している。
「あ、エーファさん? それと…」
ハーゼの右目がゆっくりと動き、エーファの隣に居るレギンを捉える。
すると、その眼に深い恐怖が浮かんだ。
「ヒッ…! ど、どうしてあなたが…!」
ガタガタと震え、ハーゼは身を抱き締めた。
「その反応、襲撃者の顔を見たようね」
「は、はい…そ、その男が…私を…!」
包帯に覆われた体を震わせ、ハーゼは呟く。
恐らく、同じ言葉を弟子達にも言ったのだろう。
だからこそ、彼らはレギンを憎悪していた。
「…ねえ、本当にこの男だったの?」
「ま、間違いありません! その男が、いきなり私に襲い掛かってきて…!」
「………」
エーファは無言で佇むレギンを一瞥した後、再び視線をハーゼに向ける。
「…襲われた後は、誰に病院に連れてきてもらったの?」
「偶然通りがかった騎士が私の弟子だったんです。それで、この病院まで…」
先日同様に、警邏中の騎士がハーゼの弟子だったのだろう。
ハーゼの悲鳴を聞き、駆け付けた時には既に手遅れだったと。
「…もう一度聞くわよ。本当に、この男だったのよね?」
「何度も聞かないで下さい、間違いありませんよ!」
ハーゼは恐怖の中に怒りも浮かばさせて、レギンを見つめた。
「月明かりでしっかり顔は見ていたんですから!」
「…そう」
エーファはどこか悲し気に頷いた。
「でも、それはおかしいのよ。ハーゼ」
ぽつり、と呟くようにエーファは言葉を続ける。
「だって私、昨夜はずっとこの男の部屋を『監視』していたから」
「………え?」
キョトンとした表情を浮かべ、ハーゼは呟いた。
「おい、聞いていないぞ」
「当たり前でしょう。監視対象にわざわざ告げる監視がありますか」
抗議の声を上げるレギンに、エーファはあっさりと返す。
昨日、部屋の外でレギンとリンデの会話を聞き、レギンへの疑いが完全に消えたエーファだったが、念の為に外で監視していたのだ。
一晩中、一睡もすることなく。
それは逆に、レギンのアリバイを証明する。
「ハーゼ。昨夜あなたを襲った相手って、本当にレギンだったの?」
「そ、そうです! その男ですよ!」
「もしかしたら、姿を真似ただけの偽者だったとか?」
「そんなことはありえません! 絶対に、絶対にその男でした!」
何故か、頑なにハーゼはエーファの言葉を否定する。
その態度にエーファは眉をひそめる。
「そう言えば、初日の襲撃も目撃者はこの女の弟子だったな」
二人の会話を聞きながら、レギンは思い出したように言った。
「そして今回も目撃者はこの女の弟子だ」
じろり、とレギンはハーゼの顔を見た。
「弟子なら、警邏するルートを聞きだすのも簡単なんじゃないか?」
「………」
エーファは無言でハーゼの顔を見た。
敢えて、見つかり易いように自身の弟子が近くを警邏する時間帯を狙った。
一度目も二度目も、レギンの姿を見せる為に。
「…ハーゼ。こんなこと言いたくは無いんだけど、確かあなたの滅竜術って」
エーファは確信を得たように告げる。
「自分の姿を変える能力、だったわよね?」
「………………」
無言で、ハーゼはエーファの顔を見つめ返した。
怯えた顔も、愛想の良い笑みも、消える。
「これだから顔も頭も良い女って嫌いです」
瞬間、骨まで凍えるような猛吹雪が部屋中に吹き荒れた。
窓も開いていない室内でありながら、目も開けていられないような暴風。
「滅竜術『冬封箱』」
「ハーゼ…!」
吹雪の中、声を上げようとしたエーファの動きが止まる。
パキパキと軽い音を立てて、その身体が爪先から凍結する。
「――――」
吹雪が収まった時、エーファは棺桶のような氷の箱に閉じ込められていた。
骨まで凍てついたエーファの体は、ぴくりとも動かない。
「………」
ハーゼは体に巻かれた包帯を解く。
その下の皮膚には、傷一つ残っていなかった。
「さて、残りはあなたですか」
ハーゼは攻撃を躱したレギンに視線を向ける。
その眼に映る全てを嫌悪するような、濁った眼だった。