第四十三話
「狂わせているのは時間………いや、体感時間か」
リンドブルム自身の速度が変わっていない以上、考えられるのはそれしかない。
攻撃を放つレギン達の体感時間が『停滞』している。
一秒が一分にも一時間にも延長され、まるで時が止まっているかのように減速する。
レギン達が見ていたリンドブルムは『残像』では無い。
あまりにも緩慢な動き故に、リンドブルムが未だそこに居ると誤認しただけだ。
そしてレギン達の動きが止まっている内にリンドブルムは移動。
能力を解除すれば、相対的にリンドブルムが加速したように見える。
「感覚の鈍化。それがお前の能力の正体だ」
「…ふふふ」
レギンの指摘にリンドブルムは笑みを浮かべた。
「正解だよ。まあ、コレは戦闘用に応用した副産物みたいな物だけどね」
「副産物だと?」
「そう」
リンドブルムは笑みを浮かべたまま、自身の頬に触れる。
そこには白い花のような竜紋が浮かんでいた。
「竜紋とは欲望の証。我々六天竜にはそれぞれ原動力となる欲望がある」
ドラゴンとは本来欲望の為に生きる存在だ。
長い時を生きた六天竜は、その中でも強く欲望を抱く。
世界を歪める程の『大欲』を。
「私の欲望は不変。いつまでも老いず、いつまでも朽ちぬ、永遠さ」
それがリンドブルムと言うドラゴンの本質。
叶えたい悲願にして、行動理由。
欲望の為だけに生きるドラゴンにとって、それは人生と言ってもいい。
「『一秒でも長く、共に在りたい』…それが、竜紋に込めた私の欲望だよ」
短い生命である人間に対する憐れみ。
いつか訪れる別れに対する悲しみ。
それら全てが集約した力こそが、リンドブルムの能力。
体感時間を狂わせることなど副産物に過ぎない。
その本質は愛する生命の時を止め、永遠に生かし続けること。
「竜紋。起動」
リンドブルムが告げると共に、頬に浮かんだ竜紋が光を放つ。
(何だ…?)
レギンは睨むようにそれを見つめた。
竜紋から膨大な魔力が放たれている。
量もそうだが、質が違う。
リンドブルムが今まで放っていた物とは性質が異なる魔力だ。
「人の一生。花の一生。あらゆる時を停滞する」
リンドブルムの口から呪詛が紡がれる。
それは世界を歪める欲望。
強過ぎる欲で世界の形を変える呪い。
「百花よ、咲き誇れ。この一時よ、永遠なれ」
レギン達の周囲に無数の花が咲き乱れる。
毒々しい程に赤い花畑は、脳を溶かすような甘い匂いで全てを包み込む。
「『オーピウム・パラディース』」
瞬間、その場にいる全ての生命の時が停止した。
花の香りで麻痺した者の精神は無限に引き延ばされ、肉体は置き去りにされる。
あらゆる感覚が鈍化し、外部刺激を何も感じなくなる。
それは時を操る魔法と言うよりは、人の体を破壊する麻薬に似ていた。
「例え理解していても、私の能力から逃れることは出来ない」
リンドブルムはゆっくりとレギン達へ近付く。
それをレギン達は知覚できない。
意識を失っている訳では無いが、反応が追い付かない。
ただ先程までリンドブルムが居た場所を見つめているだけだ。
リンドブルムの足が黄金の円を踏む。
しかし、レギンは何の反応も出来ない。
「あなたは偽者だった。ならば、もう躊躇う理由も無い」
そう呟き、リンドブルムは腕をレギンへ向けた。
近接戦闘はあまり得意では無いが、動かない案山子相手なら何の問題も無い。
その心臓を抜き取り、握り潰す。
それだけだ。
「…?」
止めを刺すべく更に一歩前に踏み込んだリンドブルムは足下に違和感を感じた。
黄金の円。
ぐにゃりと歪んだ溶けた黄金が、痙攣するように震えている。
「何…ッ」
ドスッ、とリンドブルムの足に黄金の棘が突き刺さった。
痛みに顔を顰めながら、リンドブルムは慌ててレギンを確認する。
(止まったまま…?)
レギンに掛けた呪詛は解けていない。
ならコレはレギンの意思とは異なる攻撃と言うこと。
(トラップ。魔力に反応して自動発動する罠を予め仕掛けていたのか…!)
リンドブルムが操るのはあくまでも体感時間だけだ。
物理的な時間を操ることは出来ず、その性質上生物以外には効果が無い。
だからレギンは自身の一部である黄金を完全に切り離し、魔力を感知する罠に変えた。
(自信満々に能力の正体を語っていた時には既に対抗策を講じていたのか。抜け目のない…)
リンドブルムがレギンを睨んだ時、再び黄金が意志を持つかのように震えた。
一発だけでは無い。
全ての黄金から無数の棘がリンドブルムへと射出される。
(こんな攻撃で私は殺せない。それは彼も理解している筈…)
両手足に棘の雨を浴びながら、リンドブルムは思考する。
レギンの狙いはこの攻撃でリンドブルムを仕留めることではない。
この程度の反撃ではせいぜいリンドブルムの動きを止める程度が限界だ。
(ならば、彼の狙いは…!)
「よう。久しぶりじゃないか」
「ッ!」
レギンの手がリンドブルムの腕を掴んだ。
術が解け、動けるようになったレギンはリンドブルムの顔を見下ろす。
「どうやら俺の作戦が上手くいったようだな」
レギンはリンドブルムの能力を見破ると同時に、その弱点に気付いていた。
それは、感覚の鈍化は一定時間経つと元に戻ること。
そうでなければ一度掛けた術を何度も解く意味はない。
術を掛けた後、殺すまでそれを解かなければ容易に勝てていた筈だ。
だからレギンが講じた策とは、リンドブルムの妨害をして術を解除させること。
自動発動する罠を使って、ただひたすらその場に押し留めること。
「時間を操るお前の能力に制限時間があるなんて、皮肉なものだなァ?」
「…茨よ」
「遅い!」
リンドブルムが茨を生み出すよりも、レギンが黄金の剣を振るう方が速かった。
刃がリンドブルムの胸を貫き、その血が宙を舞う。
(手応えはあった…!)
コレは間違いなく本体だ。
純粋な身体能力ではリンドブルムはレギンに劣る。
レギンの一撃は正確にリンドブルムの左胸を捉えた。
「あ、ああああああ…! 六天竜を、なめるなよ…!」
「何…!」
しかし、致命傷には至らない。
鱗だ。
ドラゴンがその身に纏う魔力の鎧。
人間体であっても、目に見えない形でリンドブルムの体表を覆っているそれが、レギンの刃を阻んだ。
鱗を破り、皮と肉を貫きながらも、あと一歩届かない。
「くっ…!」
レギンは剣を引き、後退しようとした。
だが、今度はリンドブルムの方が速かった。
「私の勝ちだ!」
リンドブルムの竜紋が白い光を放つ。
「停滞しろ!『オーピウム・パラディース』」
再び、レギン達の時間が停止する。
今度は小細工をする余裕も与えなかった。
レギンは何の反撃も出来ない。
コレで勝敗は決した。
「おっと…」
リンドブルムは風を切る音を聞き、飛んできた物を掴み取る。
それは黒塗りのスティレットだった。
「彼を真似て自動発動に切り替えたのかな? 発想は良いけど…」
更に五本の魔弾がリンドブルムへ襲い掛かる。
エーファの意思を離れ、ただ標的に向かって引き寄せられるだけの魔弾。
「二度目は通じないよ」
リンドブルムは飛んできたスティレットを全て掴み取った。
あっさりとそれを握り潰し、一本だけ残った刃を手に取る。
そして、手にした刃をレギンの左胸に突き付けた。
「………」
最後の悪足掻きも無駄に終わった。
レギンに掛けた術が解けるまでは未だ十分に時間がある。
今度こそ、本当に終わりだ。
刃がレギンの鱗を破り、肉を貫く。
その時だった。
「な…に…?」
リンドブルムは目の前の光景に思わず動きを止めた。
眩い程の青い光。
澄んだ川底のような群青の光。
それは、翼だった。
生物の翼と言うよりは、氷を削って作ったような無機質な印象を受ける一対の翼。
リンデの背から生える群青の翼だ。
「馬鹿な…!」
何故動ける。
今、リンデの精神は停滞している筈だ。
精神と肉体が乖離し、身動き一つ出来ない筈だ。
「―――――」
動揺するリンドブルムを前にして、リンデは何も語らない。
表情すら変化がない。
(精神は、術に囚われたままなのか?)
術が解けた訳では無い。
リンデは指一本動かすことも出来ず、恐らく今の状況を知覚すらしていない。
それなのに、リンデの翼は本人の意思に反して動き出す。
「!」
群青の翼が大きく羽搏いた。
その瞬間、群青の光と共に周囲に風が吹き荒れる。
キラキラと翼の欠片が粉雪のように光り、空を舞い散る。
それは以前フライハイトが『魔力流出』と呼んだ現象だった。
「ッ…」
痛みはない。
だが、その場に留まることは耐えられない。
リンドブルムのみならず、周囲を包み込んでいた甘い匂い。
レギン達の精神を冒していた赤い花粉さえも群青の光が全て吹き飛ばす。
(まさか、この子は…)
その力にリンドブルムはリンデの顔を睨むように見つめる。
術が解け、リンデはきょろきょろとエーファとレギンを交互に見ていた。
自分が何をしたのか、自分が何者なのか、自覚しているようには思えない。
「…そうか。何故、あなたが人間の子供に拘るのかと思っていたけど、そう言うことだったのか」
「何を言っている?」
「記憶を失ってもあなたはあなたのままだったと言うことか…」
リンドブルムは確信を得た。
やはり、この男は黄金だ。
であれば、もう手加減をしている余裕も無い。
「本当の姿で、戦ってあげるよ」
ボロボロとリンドブルムの皮膚が剥げ落ちる。
人を模した血肉の下のあったのは、樹皮。
段々とリンドブルムの影が膨張していく。
『はぁぁぁぁ………百年ぶりだよ。この姿に戻るのは』
それは、老樹を思わせる巨大なドラゴンだった。
樹皮のような鱗を持ち、背中には植物の管のような物が無数に生えている。
顔には眼球も鼻も無く、ただ窪みだけがある。
穏やかそうな青年の名残などどこにも無い。
これこそがリンドブルムの本来の姿。
自然の権化であるドラゴンの形だ。
大樹のドラゴンは眼球も無い顔をレギンへ向けた。
『では、決着を付けようか』