第三十六話
レギンのブレスが花々を焼き尽くす。
魂まで花に作り変えられた子供達は、断末魔すら上げない。
花に変えられた時点で既に精神が死んでいたからだ。
「………」
リンドブルムは燃え盛る花を無言で眺めていた。
その顔に表情は無く、不気味な沈黙を保っている。
歪んだ善意で掻き集めた子供達。
救いを与えると称して植物化した物。
それを全て台無しにされたリンドブルムの胸を支配するのは、怒りか。
「…どうして」
ゆっくりとリンドブルムは振り返る。
その眼差しがレギンを捉えた。
「どうして、君はこんなに酷いことが出来るんだ?」
そう呟くリンドブルムの眼から涙が零れる。
心から悲しみを表すように、涙が止まらない。
「この子達が一体何をした? ただ生きたかっただけじゃないか。どうして殺した?」
自身のしてきたことは棚に上げ、リンドブルムはレギンを非難する。
否、恐らくその自覚すら無いのだろう。
彼にとって植物化は救いであり、それを邪魔する者は悪なのだ。
「………」
リンドブルムは涙を拭うことなく、瞼を閉じた。
失われた命に祈りを捧げるように、静かに黙祷している。
「………ゆるさない」
トン、とリンドブルムは床を踏み付けた。
瞬間、床から無数の茨が伸びる。
毒々しい色合いの茨はまるで触手のように、レギンへと襲い掛かった。
(この色。毒か…?)
直接触れるのは危険と判断し、レギンは手にした黄金の剣を振るう。
見た目通りの強度しか無かったのか、茨は容易く切断された。
「!」
しかし、それがリンドブルムの狙いだった。
切断された茨の断面から赤黒い液体が零れる。
甘ったるい匂いのするその液体を、レギンは頭から被ってしまった。
「くそっ…!」
痛みはない。
体にも特に異常は感じない。
(遅効性の毒ってことか? だったら、早く倒さないとマズイ…!)
レギンは黄金の剣を構える。
ブレスの方は強力だが、人間体では乱発出来ない。
最悪、ロザリオを解いて本来の姿に戻ることも考えるが、その前に相手の能力を見破るのが先だ。
ただ無策に竜体になっても的が大きくなるだけだ。
それはエーファとの戦いで学んだ。
「命は尊いものだ。どんな人間であれ、どんなドラゴンであれ、私は生き物を殺したくはない」
スゥ…とリンドブルムの姿が溶けるように消えていく。
それに気付いた時には、既にリンドブルムはレギンの眼の前に居た。
(馬鹿な、いつの間に…!)
「だけど、その価値が分からない者には、己が生きる価値すらない」
咄嗟に蹴りを放つレギン。
それすらも残像を掠めるだけで、リンドブルムに当たることは無い。
(速い、なんて次元じゃない…! 全く感知できなかった…!)
一瞬の出来事だった。
姿のみならず、音も気配さえも置き去りにして、リンドブルムは移動した。
まるで、瞬間移動でもしているかのように。
「楽には殺さないよ」
そう言ってリンドブルムは握っていた何かを放り投げる。
「君が殺した子供達の分だけ痛め付けてから、心臓を握り潰してあげる」
それは、レギンの左腕だった。
レギン自身にすら気付かれず捥ぎ取られた腕は、花弁となって散る。
「…ッ!」
すぐに左腕を再生するレギンの頬に汗が伝う。
今の一瞬でも、リンドブルムはレギンを殺せた。
レギンの心臓を抜き取り、目の前で握り潰すだけで命を奪うことが出来た。
そうしなかったのは、ただレギンを嬲り殺す為。
「………」
リンドブルムの頬に白い花を模した紋様が浮かび上がる。
『竜紋』
六天竜の証だった。
(俺だって六天竜の筈だ。なのに、何故ここまで…)
実力が違い過ぎる。
同じ六天竜とは思えない程にレギンは弱い。
人間やドラゴンならともかく、ドラゴンスレイヤーや六天竜。
本当の強者の前では、手も足も出ない。
「次は足を貰おうか」
トン、とリンドブルムは床を踏む。
それに合わせて床から再び毒の茨が生える。
「くっ…!」
「逃がさないよ」
距離を取ろうとしたレギンの背後からも茨が襲い掛かる。
床だけではない。
壁も天井も、あらゆる場所から茨が伸び、レギンを狙っている。
(そうか。この屋敷、コイツの魔力で出来ているのか…!)
レギンが黄金の武器を作る様に、リンドブルムは大樹に擬態した屋敷を作った。
この屋敷自体がリンドブルムの魔力そのもの。
だから一部を茨に変えて操ることなど、容易いことなのだ。
「ぐ…!」
茨がレギンの全身を縛り上げる。
先程とは込められた魔力が違うのか、鋼鉄のように硬い。
「足どころか、全部捕まえちゃったね」
リンドブルムは縛られたレギンを冷めた目で見つめる。
「もういっそのこと、このまま死にたいかな?」
「ふざ、けるな…!」
全身に力を込めるが、茨はびくともしない。
ロザリオを外そうにも、この状態ではどうにも出来ない。
魔力が足りない。
(…魔力)
レギンはリンドブルムの顔を睨みつける。
コイツの魔力は『花』だ。
レギンの『黄金』と同様に、リンドブルムは『花』を操る。
魔力で自在に花を生み出し、触れた人間や物を花に変える。
(触れた物…)
レギンは床に視線を向ける。
そこには花弁となったレギンの左腕の残骸があった。
リンドブルムは触れた物を花に変える。
人間だろうと、武器だろうと、
『ドラゴンの腕』だろうと、
(………)
「さっきから、何を黙っているのかな?」
いつの間にか、リンドブルムはレギンの前に居た。
「私を殺す方法でも考えているのかい? 無駄だと思うけど」
「…そう思うか?」
「うん。自慢じゃないけど、伊達に何百年も生きていないからね。君みたいなドラゴンに会うのは、別に初めてって訳じゃ…」
ドクン、と何かが大きく脈打つような音が聞こえた。
言葉を止め、リンドブルムは辺りに視線を巡らせる。
何も居ない。
と言うことは、
「今のは、君の仕業か?」
「…ああ」
茨で縛られたまま、レギンは口元を吊り上げる。
「その通りだ。馬鹿が」
瞬間、レギンの全身が黄金の光を放った。
それが伝わるように、レギンを縛る茨も光を放つ。
「何、だ…?」
それだけではない。
茨から床へ、床から壁へ、
水が染み込むように侵食が広がっていく。
「お前は、俺の腕を花に変えた」
レギンは静かに呟く。
「俺の腕は当然、俺の魔力で出来ている。それを花、つまりお前の魔力で染め上げたってことだ」
魔力の浸食とでも言うべき現象。
六天竜だからこそ出来ることなのだろう。
「なら、俺が同じこと出来ても不思議じゃないよな?」
レギンは六天竜だ。
ロザリオで多少制限されていようと、身に秘めた魔力に大きな差はない。
故にレギンは自身に触れる茨に魔力を流し込んだ。
リンドブルムの魔力を、レギンの魔力で上書きする為に。
「コレ、は…!」
ボロボロと茨が崩れ、レギンの体が自由になる。
崩壊はレギンを中心に屋敷全体に広がる。
魔力の浸食、だけではない。
コレでは最早、捕食だ。
屋敷を構成するリンドブルムの魔力が喰われ、吸収されているのだ。
「ククク、クハハハハハ!」
レギンの纏う膨大な魔力にロザリオが悲鳴を上げる。
狂ったように笑うレギンの頬には、不気味な赤い紋様が浮かんでいた。
「この能力…それに、その竜紋…は…!」
「消し飛べ『ブレス』」
吸収した魔力を全て黄金に変換し、解き放つ。
先程とは桁違いの光の濁流。
それは崩れかけていた屋敷ごとリンドブルムを包み込んだ。