第三十五話
『グルァァァァァ!』
「全く、何なのよ…!」
駆ける足を止めることなく、エーファは目の前に現れたワイバーンにスティレットを投擲する。
魔力強化を施された魔弾はワイバーンの肉を貫通し、その心臓を抉り抜く。
急所を貫かれたワイバーンは断末魔を上げて、地に落ちた。
「こっちは急いでいるのに!」
『グルルル…!』
ルストの東にある森を走るエーファの前に、また別のワイバーンが現れる。
「退いてろ! 『ブレス』」
エーファの後方を走っていたレギンが口から黄金の炎を放つ。
それはエーファを喰らおうとしていたワイバーンの左半身を消し飛ばし、絶命させた。
「コレで何体目かしら。ワイバーンが徒党を組んで襲って来るなんて…」
「リンドブルムとか言うドラゴンに使役されているんだろう」
「…ドラゴンにも上下関係があるって訳ね」
六天竜は人間のみならず、同族のドラゴンからも恐れられる存在なのだ。
成体にもなっていないワイバーンなど、彼らにとっては雑兵と同義なのだろう。
ワイバーンは理性の無い獣故に本能で理解している。
決して逆らってはならない存在と言うものを。
「段々と数が増えている。目標は近いわよ」
「ここまで来れば俺にも分かる。あっちだな」
エーファの横に並びながら、レギンは視線を向けた。
そこにあるのは樹齢千年を超えていそうな大樹。
一見、町外れの森にある大木にしか見えないが、魔力を見抜くレギンの眼はその正体を暴く。
「結界だ。魔力で覆い隠して、木に擬態している」
レギンは黄金の剣を握りながら呟く。
隠密性は高いが、魔力の質は低い。
魔力の薄い人間なら十分騙せるだろうが、一度見破れば壊すのは容易い。
「この結界、壊せる?」
「当然だろう。誰に物を言って…」
言いかけてレギンは思わず足を止めた。
「チッ、随分な歓迎だ」
大樹を守る様に集まってきたワイバーンの群れ。
その数は十や二十ではない。
一体一体は弱いが、流石にこれだけ数が揃えば厄介だ。
「どうしてもこの中に入れたくないようね…」
それだけこの場所はリンドブルムにとっても重要な場所なのだろう。
その中に今、リンデが居る。
今は一分一秒でも時間を掛けている余裕は無い。
「…レギン。あなたの戦い方は大雑把で無駄が多いわ」
エーファは少し考えて、そう口にした。
「ワイバーンは心臓を壊すだけで死ぬのに、ブレスで消し飛ばすのは効率が悪すぎる。それでは魔力と時間を無駄に消費するだけよ」
そう言って、エーファはレギンに視線を向ける。
「だから、ここは私が残るわ」
「…何?」
「私の方が早くワイバーン達を倒せる。あなたは先に、リンデの所へ行って!」
状況的にそれが最善だとエーファは判断した。
二人がここでワイバーンの相手をしていれば、リンデを助けられない。
どちらか一方がリンデを助けに行く必要がある。
だからエーファは、それをレギンに任せた。
ワイバーンの相手をするのは、レギンよりもエーファが適任だった。
リンデを助けると言う重要な役目を、レギンへと託したのだ。
「信頼している、から………任せたわよ」
「了解だ。その信頼は裏切れないな…!」
ドン、と地面を踏み締めてレギンは駆け出す。
それを見たワイバーン達がレギンへと顔を向ける。
「どこを見ているの? あなた達の相手は私よ」
言葉と共に魔弾の雨が降る。
悲鳴を上げるワイバーンの下を潜り抜け、レギンは大樹の結界へと飛び込んだ。
「君も意固地だねぇ」
リンドブルムは呆れたようにそう呟いた。
花の蜜のような甘い匂いに包まれた部屋の中、リンドブルムの前には膝をついたリンデが居た。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
(何、この感覚…?)
荒い呼吸をしながらリンデはリンドブルムを見つめる。
熱病のように意識が揺らぎ、眠ってしまいそうだ。
しかし、今眠ってしまったら二度と目覚めないような気がする。
「―――」
リンドブルムが何か言っているが、リンデの耳には届かない。
五感が鈍くなっている。
意識が、鈍化していく。
「ここか!」
その時、大きな音が響き、部屋の入り口が破壊された。
同時に舞い込んできた風が甘ったるい匂いを吹き飛ばし、リンデの意識が覚醒する。
「れ、レギン?」
「よし。まだ死んでないな、リンデ」
その無事を確認してから、レギンは前を向く。
自身と同じ、六天竜と対峙する。
「お前が、リンドブルムとか言う男だな」
部屋の様子を見て、レギンは大体の状況を悟った。
レギンの眼には、全てが映る。
部屋のあちこちに咲く花の正体など、一目で見破った。
「悪趣味だな。人間を喰う訳でも無く、花にして飾るドラゴンが居るとは思わなかった」
「別に飾っている訳じゃないよ。彼らは生きている。これまでも、これからも」
「死んでいないだけだろ。断末魔を長引かせるような物だ。何の意味があって、こんなことを」
「意味? そんなの決まっているだろう」
リンドブルムは少しだけ悲し気な表情を浮かべた。
「可哀想だからだよ。あの子達は、人間はとても可哀想だ。脆く儚く、触れるだけで壊れてしまいそうな命だ」
憐憫。
それがリンドブルムの抱く欲望だった。
儚く散る花を憐れむように、人の命を憐れんでいる。
そして、その全てを自分が救わなけらばならないと考えている。
「君もドラゴンなら分かるだろう? 人間は儚い。人の一生なんて、我々には刹那に等しい。やがて訪れる別れを想うと、私は胸が張り裂けそうになる」
寿命の違い。
生きる時間の違い故に、ドラゴンは人間を下等な存在と見下す。
リンドブルムはそこに同情を抱いた。
例え健康に生きてもたった数十年しか生きられない人間に、悲しみを抱いた。
「…くだらねえ」
「何だと?」
「くだらないと言ったんだ」
レギンは冷めた表情でそう吐き捨てる。
「理由はどうあれ、同情ってのは自分より下の存在にしか向けられない感情だ。お前は耳障りの良い言葉ばかり口にするが。見下しているんだよ、人間を」
同情と共感は違う。
リンドブルムのそれは、勝手に憐れんで、自分本位な救いを与えているだけだ。
ドラゴンらしい傲慢さで、命短い人間を見下している。
花に変えられた人間の気持ちなど、知ることも無く。
「お前はただ見るのが嫌になっただけだ。人の死を目の当たりにすることを恐れただけだ」
人と別れる悲しみに耐えられなくなったから。
人の死を看取ることが嫌になったから。
だから、永遠に死なない人間を作った。
ただ、自身の欲望を満たす為だけに。
「お前のそれは、ただ命を弄んでいるだけだ。救いなんて呼べない、生き地獄だ」
レギンの口内に黄金の光が収束する。
それに気付いたリンドブルムは回避するが、狙いは彼ではない。
「『ブレス』」
黄金の炎が放たれる。
それは部屋を埋め尽くし、花に変えられた子供達を残らず焼き払った。