第三十三話
「一通り周ったが、ドラゴンの魔力は感じなかったな」
ホテルに戻ったレギンは、昼食を食べながら言った。
ちなみに作ったのはリンデだ。
見た目はまともだが、人体に害があるレベルで魔力が含まれている。
それを平然と食べ続けるレギンを、エーファは引き攣った顔で見つめていた。
「やっぱり、この町に六天竜は居ないんじゃないか?」
「そうね。今回は外れだったのかも…」
恐る恐る自分の分のスープを口にして、エーファは顔を顰めた。
「それなら、エーファさんはもう王都に戻るのですか?」
「いや、念の為にあと数日はここに残るわ」
エーファは自分の分をレギンに押し付けながらそう答える。
居ないなら居ないで、その根拠を報告する必要がある。
出来れば行方不明事件の真相を暴いて、犯人を拘束してから王都へ帰還したいところだ。
「だったら私もまだこの町に残ります」
師であるエーファはここに残るのなら、リンデだけで王都へ向かう理由はない。
「レギンさんもそれで良いですか?」
「別に構わんぞ。まだ六天竜がこの町に現れないと決まった訳では無いしな」
対面すればドラゴンを見破ることは容易いが、その痕跡までは分からない。
偶然、今だけ町を離れているだけの可能性もある。
「ところで、行方不明者に共通点は無いのか? 魔力が高いとか。肥え太った奴ばかりとか」
レギンはふと疑問に思ったことを口に出す。
もし、その行方不明がドラゴンの仕業なら目的は十中八九、食べる為だろう
ならば選ばれた犠牲者には偏りがある筈だ。
ドラゴン的に、美味そうに見える連中ばかりだとか。
「魔力は分からないけど、太った人間では無いわね」
エーファは取り出した行方不明者リストを眺めながら答えた。
「だって、殆どが子供だもの」
「子供?」
「ええ」
魔力も肉も少ない子供達。
食事が目的なら、まず狙われないと思われる者ばかりだった。
(…子供)
話を聞いていたリンデは何となく、その言葉が頭に引っ掛かった。
「………」
その後、昼食を終えたリンデは先日の路地裏に来ていた。
傍らには心配でついてきたエーファが居り、レギンはホテルで寝ている。
「確か、この辺だったんですけど…」
そう言って先日の孤児を探すリンデの手には鍋が握られていた。
リンデが作った昼食の残りだ。
折角なので彼らにも差し入れをしようと思い、わざわざ持ってきたのだ。
「………」
エーファは物言いたげな目でリンデを見ていた。
彼らにリンデの料理を食べさせたら、どうなるか分からないからだ。
どうにかして止めなければならないが、やんわり指摘してもリンデは中々止まらない。
最近レギンと言う評価者を得て、妙な自信を付けてしまったようだ。
「…おかしいですね。誰も居ません」
周囲を見渡しながらリンデは首を傾げた。
昨日来た時には浮浪者や孤児で溢れていたのだが、今は誰一人居ない。
場所を間違えたのかと思ったが、そうではない。
孤児が使用していたと思われる毛布などはそのまま残っている。
生活の痕跡だけ残し、孤児達だけが忽然と姿を消している。
「…あ」
リンデは思わず声を上げた。
少し離れた所に、一人の少年が居た。
キョトンとした表情を浮かべた少年の前に立っているのは、以前出会った奇妙な男だ。
「そのまま、じっとして。目を閉じて」
「はい、先生」
言われるままに目を閉じる少年に向かって、男は指先を向ける。
「眠れ」
瞬間、指先から光が放たれ、少年の額を貫く。
途端に少年は脱力し、意識を失った。
「え? 今、何を…」
「リンデ! 私の後ろに下がって!」
焦りを含んだ声を上げ、エーファはリンデの腕を引いた。
エーファの頬に冷や汗が浮かんでいる。
声に気付いた男はゆっくりと二人の下へ近付いてきた。
「…見た?」
開口一番に男はそう訊ねた。
二人は何も答えず、警戒した目で男を見つめる。
それを肯定と受け取り、男は困ったように頬を掻いた。
「参ったなぁ。何て説明すれば良いんだろう? 実は私ってば、魔法使いだったんだ! と言えば、納得してくれるかい?」
「…あなたの正体は、魔法使いなんて可愛い物ではないでしょう」
エーファはスティレットを握りながら、男を睨みつける。
「人の皮を被ったドラゴン。ここの孤児達は全てあなたが喰らったの?」
「ちょっとちょっと誤解しないでくれよ」
ひらひらと手を動かし、男はエーファの指摘を否定した。
「私の名はリンドブルム。お察しの通りドラゴンだけど、子供を食べたことなんて一度も無いよ」
男、リンドブルムは困ったような笑みを浮かべて言う。
どこか気弱そうに見え、嘘などついていないように見えた。
「ここの孤児達は私の『屋敷』に送っただけさ。彼らを保護する準備が出来たからね」
「保護って…」
「む? おお、君は昨日の!」
そこで初めてリンデに気付いたのか、リンドブルムは笑みを深める。
そのままリンデに近寄ろうとしたが、それはエーファに阻止された。
「むむ。初対面から随分と嫌われている感じ…」
頭から生えた花を揺らしながら、リンドブルムは考え込むように口元に手を当てる。
「あ。そうだ! 君らも私の屋敷に招待しよう! そうしよう!」
「何を、言っているんですか?」
「元々君のこともそうしたいと思っていたし、都合が良い」
一人納得したように頷き、リンドブルムは手にしたキセルを振った。
蜜のように甘ったるい匂いのする煙が舞い、リンデ達の鼻をくすぐる。
「何も怖がる必要はないよ。目を閉じていればすぐに…」
孤児の時のように向けようとしたリンドブルムの手に、スティレットが突き刺さった。
驚く間もなく、今度はリンドブルムの顔に数本のスティレットが投擲される。
狙うのは目と鼻。
ダメージにはならないだろうが、隙は出来る筈。
「リンデ! 一旦、ここから…」
「びっくりしたなぁ、もう」
「!」
その場から逃げ出そうとしたエーファの背後から声が聞こえた。
引き寄せようとしていたリンデを逆に突き飛ばし、武器を構えて振り返る。
「当たらないよ」
振り向き様に振るったスティレットをリンドブルムは容易く距離を取って躱す。
(コイツ…!)
エーファは地面を反発して、一気にリンドブルムへ距離を詰める。
しかし、エーファの刃が届く前にリンドブルムの姿が消えた。
「こっちこっち」
「くっ…!」
再び背後に現れたリンドブルムに投擲したスティレットが突き刺さる。
その瞬間、笑みを浮かべたリンドブルムの姿が風景に溶けるように消えていった。
擦り抜けたスティレットが地面に転がり、音を立てる。
(残…像…?)
攻撃を当てるどころか、目で追うことすら出来ない。
ドラゴンスレイヤー最速を誇るエーファが、まるで子供扱いだ。
最早、戦いですらない。
その証拠に、リンドブルムは一度も反撃をしていないのだ。
「この…!」
「女の子がそんな物持ったら危ないよ」
パチン、とリンドブルムは指を鳴らす。
すると、エーファが握るスティレットが無数の花弁に変化した。
「な…」
舞い散る花弁を呆然と見つめるエーファ。
何が起きた。
今、何をされた。
分からない。分からない。
エーファの理解が、追い付かない。
「ッ! 滅竜術『電磁万有』」
絶望に染まりかける頭を振り、エーファは黒い雷を纏う。
無数のスティレットを投擲し、滅竜術で操る。
リンドブルムは一度スティレットを受けている。
ならば、どれだけ速く動けようと関係ない。
エーファの魔弾はどこに居ようとリンドブルムを追尾する。
「………」
眼前に広がる無数の魔弾を見上げるリンドブルム。
回避行動すら取らない。
ただぼんやりと興味深そうに見つめるリンドブルムを、魔弾が貫く。
その寸前に、全ての魔弾は花弁となって散った。
「そん、な…」
リンドブルムはその場から一歩も動いていない。
何もしていない筈だ。
少なくともエーファには、そう見えた。
「やれやれ…」
困ったように肩を竦めるリンドブルム。
その腕の中に、見覚えのある少女が居た。
「リンデ…!」
いつの間にか、エーファの傍に居た筈のリンデがリンドブルムに抱えられていた。
何かされたのか、リンデの意識はなく、眠る様に身を任せている。
「その子を、放しなさい!」
「しー、静かに。この子達が起きちゃうでしょ?」
孤児の少年ももう片方の腕に抱え、リンドブルムは言った。
少年とリンデを抱えるリンドブルムの周囲を、舞い散る花弁が覆い隠す。
「私はもう帰るよ。君との話は、また今度ね」
「待…!」
「次に会った時には、きっと仲良くやれると思うよ。私はリンドブルム…」
人懐っこい笑みを浮かべ、リンドブルムは告げる。
「六天竜の一角。『百花』のリンドブルムさ」
最後にそう言い残し、リンドブルムは花と共に姿を消した。